鬼井江の世界(gooブログ)

中山道歩き旅(長久保宿 → 追分宿へ 8宿を歩く) 2023年3月7日~10日【その1】

 3月7日、JR堺市駅から長野県・JR篠ノ井駅へ。青春18切符利用で移動した。篠ノ井駅でしなの鉄道に乗り換え、上田駅に到着。午後7時40分ごろになっていた。朝家を出てから、約12時間かかったことになる。特急利用で早く上田駅に到着できたとしても、長久保宿(今回の中山道歩きスタート地点)へ向かうバスは、一日に4本しかなく、午前中は8時15分発の一本しかない。上田駅にその日のうちに到着できればいいので、青春18切符利用で行くことにした次第です。(堺市駅から篠ノ井駅までは、時間がかかりましたね。18切符利用で東京駅へ行く方が短時間で楽でしたね。)

 一日目は中山道歩きをすることなく、列車による移動だけで過ぎてしまいました。おかげで(?)しっかり読書ができました。今回は、友人が紹介してくれた『はやぶさ新八御用旅』シリーズ6を車中で読了できました。シリーズ1の「東海道53次」やシリーズ2の「中仙道69次」はとても面白かったのですが、シリーズ6の「紅花染め秘帳」はあまり面白くはありませんでした。奥州方面への旅を扱っていましたが、ほとんど知らない場所ばかり出てくるので、興味もわきませんでした。ストーリーや人間関係もわかりにくい歴史小説でした。でも、青春18切符利用の旅として、読書しやすい点がいいですね。

 3月8日(旅行2日目)、上田駅前午前8時15分発のバスに乗り、長久保宿へ。ちょうど1時間後の9時15分に長久保バス停に到着。バス料金は990円。運転手に「乗り換えますか?」と尋ねられたが、「いえ、乗り換えません。今回は」と答えた。(中仙道の最大の難所=和田峠方面へ向かう場合は、ここで乗り換える必要があるようだ。和田峠へ行く場合、長久保バス停で乗り換えることになるのだろう。)

 長久保バス停の近くの地点が、中山道・長久保宿(江戸から27番目)中心部だった。長久保宿はL字型の町並みの宿で、東西の街並みが南北の街並みに変化する(90度の)曲がり角に古い旅館が残っていた。濱田屋旅館という名だった。江戸時代を感じさせてくれる建物だったので、感激してパチリ、パチリ! 「中山道の良さ」を写真に残しました。(えっ、今も営業しているのだ! 泊まりたかったなあ!)

 長久保宿の街並みを見学後、東に6kmほど先にある芦田宿をめざして歩きだした。長久保宿から追分宿近辺までが、今回の中山道歩きの行程。おおまかに北陸新幹線駅でいえば、上田駅→佐久平駅→軽井沢駅の近くの道(中仙道)を歩く行程。もっとも、上田駅からバスで約1時間も離れている地点がスタートだから、大まかすぎることになるが・・・。

 長久保宿から軽井沢方面への中山道は、全体としては緩やかな上り坂のコースでした。長久保宿を離れると、笠取峠があり、松並木(長野県天然記念物・延長約1km)周辺は公園として整備されていて、歩きやすい中山道になっていた。「笠取」という名は、風が強く、旅人の笠を吹き飛ばすところに由来しているとのこと。この日は、風もなく暑いぐらい日和だったので、「帽子は微動だにしなかった」峠道でした。

 芦田宿(土屋本陣跡)に到着したのは、午前11時半ごろだった。芦田宿の街並みは特に魅かれる建物はなく、ざっと見学しただけでした。12時を過ぎたころ、ちょうど「ドライブイン」があったので、昼食をとることにした。ドアを開けてみたら、誰もいなかった。「こんにちは! どなたかおられますか?」と声をかけたら、老人(男性)一人が出てきた。「あの・・・食事できますか?」と尋ねたら、できるとのことだった。メニューの一番目に、「とんかつ定食」があったので、これを注文した。

 (老人一人だけで料理もしているらしく、かなり待たされたが)、味は良く、ゆっくりいただくことができた。ドライブインでの食事中、入ってきた客は(私以外に)一人だけだった。(これでやっていけるのかなあ?)と心配になったが・・・。私にとっては、ゆっくりと足を休める時間になった。昼食を終えたのは、午後1時前になっていた。(さあ! ちょっと急がなくちゃ・・・!)

 芦田宿から、次の宿(望月宿)までの間に、間(あい)の宿・茂田井あった。茂田井の街並みは古い建物が多く、味わい深かった。芦田宿よりも(間の宿)茂田井の方が写真に撮りたいと思った。そこで、いろいろな角度から街並みを撮っておいた。

 間の宿・茂田井を通り過ぎた後、望月(もちづき)宿へ。「望月」の地名は、資料によると、「奈良平安時代、この地には『御料牧場』が置かれ、毎年旧暦八月十五日の満月の日(望月)に朝廷に馬が献上され、これが地名由来になっている。」とのことである。歴史ある牧場地だった。蓼科山の裾野で、千曲川、鹿曲川、布施川で囲まれた御牧原台地が放牧場だったらしい。「望月駒」と呼ばれる名馬の産地だった、とのことである。しかし、中山道歩きをしてみて「名馬の産地」らしき状況は感じられることはなかった。「今は昔・・・」なのだろうと思われた。

 望月宿の中心部で印象に残った建物は、『井出野屋旅館』の建物だった。内部を見学する時間はなかったが、内部は資料によると「大正5年建築の木造三階建」で、現在も営業中だった。またその向かいに、江戸時代末に創業の『御宿山城屋』があり、どちらも旅館として営業している点だった。本陣跡や脇本陣跡も近くにあり、歴史を肌で感じる雰囲気は残っていた。

 望月宿を午後2時過ぎに通過後、八幡宿を目指した。地図を見ると約4kmほど先にあったので、「近い!」と思った。この分だと3時ごろには着けるだろうと、安心した。(本日の目的地は、八幡宿の次の塩名田宿)

 ところが、地図上の中山道のコースを見間違えてしまったらしく、中山道ではない道を歩いてしまった。Y字型になっている分岐点で、交通量の多い広い道と少ない細めの道とに分かれていた。よく地図を確認しないで、広くて交通量の多い道を選んでしまった。20分ほど歩いて行った地点で、(なんとなくおかしいぞ? こんな川の流れは地図では、中山道に沿ってはないはずだが・・・???)と地図を再確認してみた。

 あっ、と思った。先ほどの「細めの道」が中山道だったのだ! (修正のために、元に戻ろうか? それとも適当に「八幡宿」らしき方向への道を探して歩こうか?)と迷った。結構スピードを上げて歩いてきたので、20分も戻りたくないなあ・・・。ここから勘を働かせて、八幡宿への道を探して歩こう! と決めた。途中で、住民に出会ったら、お尋ねしようとも思った。

 八幡宿本陣らしき地点を目指して、中山道の道を探し当てることを目標に、歩きだした。歩きながら、(住民に出会ったら道を尋ねよう、尋ねよう・・・)と、30分ほど歩いたが、誰にも出会うことはなかった。車が一台、通り過ぎただけだった。その車が通ってきた道を手掛かりに「車道」を探してみたら・・・、あった、あった。古い立派な門の家が、車道に面して建っていたのだ! ひょっとしたら、「本陣かも!」と近づいてみた。

 八幡宿本陣跡だった。やったー! この車道が中山道だったのだ。時刻は午後3時40分になっていた。

 八幡宿の街並みを味わうことはできなかったが、本陣跡だけは写真に収めることができた。次の塩名田宿への道(中仙道)を見つけることができたので、ほっとした。次の塩名田宿バス停でバスに乗る予定をしていた。何しろ、バスの本数が少ない地域なので、バスに乗り遅れたくはなかった。塩名田(バス停)から佐久平駅行きのバスは一日4本。午前中1本のみで、昼1本、夕方2本という少なさ。夕方4時台に1本と5時台に1本。可能なら、4時台のバスに乗りたかった。

 塩名田宿までの距離は、 短く、たったの2.7km。4時台のバスに乗れるかな?

 塩名田宿を目指して、急ぎ足で歩いた。2.7kmといえども、坂道があり、歩くスピードが遅くなったりした。(信濃川の上流で)長野県での名前が「千曲川」にかかっている中津橋を渡ったところが、塩名田宿中心部だった。バス停に着いた時間が午後4時20分だった。

 バス停の時刻表ををみると、4時台のバスは4時23分だった。次のバスは最終で、5時50分発だった。4時23分に乗れるぞ! と、「変な感激」を味わうことができた。塩名田バス停のすぐ前が塩名田宿本陣跡(建物は残っていた)だったので、写真を撮ることができ、バスに乗ることができた。(明日、もう一度ここへ来る予定)

 バスに乗り、佐久平駅に到着。駅近くのホテルへ。旅行2日目は終了。ホテルでゆっくり足腰の疲れを取り、明日(塩名田宿→岩村田宿→小田井宿→追分宿付近へ)の歩き旅に備えた。

 以上、歩き旅前半の記録です。  (この日、歩いた歩数は36146歩=約20kmでした。)

*この続きは【その2】へ。

長久保宿中心地点 濱田屋旅館(写真右手・南北方向の中山道=最難関峠・和田峠への道  写真左手・東西方向の中山道=軽井沢・碓氷峠方面への道) この地点で中山道は90度曲がっている。

長久保宿本陣跡 現存の建物は中山道で最古(1630年頃の建築)と伝えられている。内部は公開されていない。写真左が、高札場(復元)で、実際の高札は本陣だった石合家で保存されている。本陣や脇本陣、旅館などの歴史的建造物が保存されている宿場で、とても魅力的だった。また訪れてみたい!

長久保宿 緩やかな坂のある宿でした。写真手前の道が「芦田宿」方向。

間の宿・茂田井(もたい)の街並み 「古い建物、S字カーブの細い道、細い水路がある中山道 こういう雰囲気が好きですね。

(ピントは合っていないが、)望月宿の歴史ある旅館(木造3階建)を中山道から撮ったものです。

 

八幡宿本陣跡 広い屋敷そうで、門が立派だった。目の前の車道が中山道でした。

塩名田宿本陣跡 立派な建物が塩名田バス停のすぐ近くにあった。

 

 

 

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