鬼井江の世界(gooブログ)

西国街道の一部を歩いてきました。 昆陽宿(こやしゅく)近辺歩き 4.17 日帰り

 西宮市の武庫川河川敷にある「髭の渡し」(西側)からスタートして、JR西宮駅までの西国街道を歩いたのは2月15日でした。初めての西国街道歩きでした。

 本日(4月17日)日帰りで、西国街道歩き2回目を実施しました。

 本日の西国街道歩きの行程は、武庫川をはさんだ渡し場「髭の渡し(東側)」をスタートすることにしました。明治時代の初期ごろまでは、「髭の渡し」はありましたので、街道はつながっていたのですが、現在はつながっていません。(明治以後、橋が架かって「渡し」がなくなった街道は増えました。)

 まず、「髭の渡し」(東側)まで歩かなければなりません。そこで、阪急今津線・小林駅をスタートして「髭の渡し(東側)」を目指しました。約1時間かかって到着できました。西国街道歩きは、ほぼ2か月ぶりでしたので、武庫川対岸にある「髭の渡し(東側)」の説明板を見つけた時はうれしかったですね。

 武庫川西側にある「髭の渡し(西側)」説明板(2月15日に読んでいた)よりも、東側の説明板の方が立派で説明内容も詳しく書かれていました。

 本日の「西国街道歩き」は、「髭の渡し(東側)」→ 箕面 → 茨木 → 高槻 → 京都(終点)を目指してスタートした次第です。今日は、「髭の渡し」(東側)より箕面市(阪急箕面線・桜井駅近くの西国街道)まで歩きました。本日の歩数計データは、 約33000歩=約18kmの行程でした。(街道歩きそのものの距離は14kmぐらいでした。)

 「髭の渡し(東側)」から北東の方角に歩きだした。しばらくしたら国道171号線の一部が西国街道そのものの区間を歩きました。交通量の多い国道でした。西宮から京都へつながる国道。西国街道は国道171号線の近くの道が多いですね。

 伊丹市に昆陽寺や昆陽池がある。この「昆陽(こや)」は、西国街道と有馬街道が交差する位置にあり、宿場として賑わったようです。江戸時代は(一時だが)天領(江戸幕府直轄地)にもなっている。

 伊丹市内の西国街道を進んでいくと、JR宝塚線(北伊丹駅近く)の線路を越えると、猪名川が近くになりました。猪名川には(江戸時代にも)「渡し」はなかったらしく、旅人(松尾芭蕉など)は歩いて渡ったということです。そういう記録が残っているらしい。現在、橋が架かっているので、その橋を利用して(遠回りして)対岸へ移動しました。このあたりの西国街道は眺めが最高によかった。大阪国際空港の滑走路の北端部が西国街道だったからです。南端部は着陸する飛行機がばっちり見学できる地で、人気がある。私も一度「滑走路南端部」(立ち入り可能の見学ポイント)で、飛行機を見たが、感動しましたね。真上、約20メートルの低空を飛行機が着陸していく・・・。迫力ありました。

 一方、西国街道(飛行機ビューポイント)は滑走路北端部にあり、飛行機が近づいてくるときはかなり上空を飛んでいるので、見た目には「迫力」はなかったです。しかし、見学のための車が数台駐車していて、ビューポイントでの飛行機見学を楽しんでいるようでした。私も歩き旅の休憩がてら、写真を撮ってみました。望遠用カメラではなかったので、しっかりと飛行機をとらえることはできんせんでした。大阪国際空港滑走路での「見学ビューポイント」は、やはり「滑走路南端部の見学地点」がいいですね。(ただし、歩きか自転車でないと行くことができない場所のようです。)  

 飛行機見学後、伊丹市から池田市へ移動。高速道路や国道などが複雑に交差している地点で、西国街道の道筋を見つけるのに苦労しましたが、何とか阪急宝塚線・石橋駅近くの西国街道を歩くことができました。とにかく交通量が多くて新しい道は「西国街道」ではないことが多い。経験上、「細くて直線的ではない道」が旧街道であることが多い。池田市や箕面市の西国街道においても、「細くて直線的ではない道」が多かったです。

 ただし、阪急箕面線の桜井駅近くの西国街道は直線的でした。歩きやすかったですね。桜井駅前の西国街道地点で、本日の歩き旅(日帰り)を終えました。

 次回は、桜井駅から茨木市→高槻市方面を目指して歩くつもりです。        了

 

西国街道 武庫川「髭の渡し(東側)」跡近辺 川まで近づいたが、何もなかった。

向こう岸「髭の渡し(西側)」に写っている建物は「報徳学園の校舎」の一部 

「髭の渡し場(東側)」跡近辺に説明板や常夜燈がありました。

 

説明板 説明から歴史などよく理解できました。

伊丹市内の西国街道道標は新しくきちんとしたものになっていました。

昆陽(の西国街道に面した公園に)保存されていた「閼伽井」 小さな井戸でした。

古い道標 すぐ=真っすぐ のことで、歩く方向を指している。

向かって「真っすぐ」(現在は、門があって道ではなくなっているが・・・)は 中山や小濱(現在の宝塚市小浜宿)へ向かうという道標

こういう古い道標は、旧街道では撤去されずに残っていることが多い。歩き旅において、石の道標を見つけるとうれしくなりますね。

大阪空港滑走路 北端部のすぐ近くが西国街道 街道筋から離陸していく飛行機を撮影。写真の奥に梅田周辺のビル群が見えていました。この日、一番眺めのいい「街道歩きビューポイント」でした。

池田市石橋周辺に大きな家がたくさんありました。西国街道に面した店として、がんこ屋敷シリーズ『がんこ石橋店』がありました。立派な屋敷でしたね。食事の料金はリーズナブルでした。(時間があれば食事をしたかったのですが、時間がなくて…。またの機会に。西国街道に面した食事場所として、いい場所にありました。)

摂津国の中心部(へそ) 伊丹市「辻の碑(いしぶみ)」  説明板に摂津国の範囲などが書かれていました。そして、この地は西国街道と多田街道(川西市多田神社への参詣道)との交差点でもありました。

「辻の碑」がある地から南28kmが堺の大小路だと書かれていました。堺の大小路通りが摂津国と和泉国との国境。ということは「辻の碑」から北28kmまでが「摂津国」ということになる。摂津国について、東西の範囲や南北の範囲が説明されていた。

 「辻の碑」の前の説明板で、「大小路」(摂津国の南端)の地名が出ていたことに、堺市民の一人として感動しましたよ。(小さなことに感動する私ですが・・・)歩き旅の「小さな喜び」でした。

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