・端午の節句 5/5端午 たんごのせっく
端午の節句の端ははじめ、はじまるということを意味し、午(ご、月のはじめのうま)は五に通じ、5月のごと午のごが重なり端午で五月初めの五日になったと伝えられます。当初は必ずしも5月とは限らなかったといいます。
5月は、病気、災(わざわ)いの多い月で中国ではものを弔(とむら)う邪気払いの月となっています。そして、その風習は、病気や災厄(さいやく)を除ける大切な宮中行事、端午の節句となったと言われています。五が重なることから重五、重午(ちょうご、ちゅうご)、端五の節句ともいいます。
一説では、楚(そ)の詩人、屈原(くつげんBC340~278)祖国の、いく末を案じ川に身投げしてしまい、楚の国民が屈原が川魚の餌食(えじき)にならないようにと供養に竹筒にもち米を入れ投げ入れた日が5月5日でその命日とされ、また粽(ちまき)の由来とされます。時が流れて後、中国の三国の時代、端午の節句は、魏(ぎAD220~265)の国により旧暦五月五日(新暦2022年6月3日)に定められ、やがて日本にも伝わって行きました。
日本の端午(たんご)の節句は、奈良時代(8C)より中国から伝わり、よもぎや菖蒲を使って厄除けを行ったことが始まったとされます。古くから続く行事です。武士のあいだでは尚武(武をたっとぶ)の気風が強く、「菖蒲」と「尚武」をかけて、端午の節句を尚武の節日として盛んに祝うようになりました。
江戸時代になって菖蒲は、尚武に通じ武者人形が飾られ、鯉の川登りからどんな環境でも苦難を乗り越えで立派な人になるように天への祈りも込められ鯉のぼりを飾るようになったといわれます。柏餅は柏 の葉が、縁起が良いことなどにより使われています。
端午の節句に、菖蒲(尚武に通じる)と蓬(毒、邪気を払う)を軒先に吊るし悪疫を払うという行事があり利用しています。
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