炭鉱で栄えた本山地区だが
その名残は殆ど残っていない。
この斜坑坑口が唯一の証拠で
住宅地の中にある
大正3年(1917)に坑道として
設けられ昭和16年(1941)に完成した。
昭和38年(1963)に坑口を閉鎖するまで
使用された
坑道は沖合い3km、最深部約200m
総延長は19kmにも及んでいる
形状は鉄筋コンクリートで側面は石組み
市指定文化財
(平成10年3月23日指定)
その名残は殆ど残っていない。
この斜坑坑口が唯一の証拠で
住宅地の中にある
大正3年(1917)に坑道として
設けられ昭和16年(1941)に完成した。
昭和38年(1963)に坑口を閉鎖するまで
使用された
坑道は沖合い3km、最深部約200m
総延長は19kmにも及んでいる
形状は鉄筋コンクリートで側面は石組み
市指定文化財
(平成10年3月23日指定)
岬公園に向かって行くと
民家と民家の間にこの
赤白の煙突が見える
手前のグリーンのタンクと
煙突の赤色とのコントラスト
が面白いと思った
煙突の高さを西部石油に電話
で聞いたら親切に教えてもらった
手前の高いほうが120m
右側の低いほうが100m
民家と民家の間にこの
赤白の煙突が見える
手前のグリーンのタンクと
煙突の赤色とのコントラスト
が面白いと思った
煙突の高さを西部石油に電話
で聞いたら親切に教えてもらった
手前の高いほうが120m
右側の低いほうが100m
本山地区の海浜公園を岬に
向かって行くと旧炭住街に出る
正面山の後ろには西部石油の
赤白の煙突がまるでシンボル
のように見える
戦前戦後この地区には本山炭鉱と
大浜炭鉱があり炭住街で賑わった
今はあまりその面影はなく海辺に
向かって新興住宅が建ち並んでいる
向かって行くと旧炭住街に出る
正面山の後ろには西部石油の
赤白の煙突がまるでシンボル
のように見える
戦前戦後この地区には本山炭鉱と
大浜炭鉱があり炭住街で賑わった
今はあまりその面影はなく海辺に
向かって新興住宅が建ち並んでいる
竜王山からもう1枚描いた
昨日の絵とほぼ同じ位置だが
少し視点をずらして見た
巨大タンクは直径90m
高さが24mもあり
東京ドームとほぼ同じ大きさ
敷地の193万㎡とは周囲が
20kもありパトロールで車で
移動して2~30分もかかる
従業員は自転車に乗って
工場内を移動するという
昨日の絵とほぼ同じ位置だが
少し視点をずらして見た
巨大タンクは直径90m
高さが24mもあり
東京ドームとほぼ同じ大きさ
敷地の193万㎡とは周囲が
20kもありパトロールで車で
移動して2~30分もかかる
従業員は自転車に乗って
工場内を移動するという
我が町のシンボル竜王山の中腹から
貯油タンク群の全容を見ることができる
製油所は小野田、宇部市にまたがる
西沖干拓地を造成した上に建っている
193万㎡の敷地に日量12万バレル
の原油処理能力と385万klの
貯油タンク群を保有する西日本有数の
石油基地
遠く乱立する煙突は宇部市の工業地帯
貯油タンク群の全容を見ることができる
製油所は小野田、宇部市にまたがる
西沖干拓地を造成した上に建っている
193万㎡の敷地に日量12万バレル
の原油処理能力と385万klの
貯油タンク群を保有する西日本有数の
石油基地
遠く乱立する煙突は宇部市の工業地帯
同じ海でも180度向きを変えると
全く違う風景となる
この岬には石油精製会社があり
無数の巨大なタンク軍がある
地上のタンクに11,4k沖合から
海底管を通じて原油を供給するために
停泊している
原油の全量はクウェートや
サウジアラビアなど主に中東地域から
輸入しているという
全く違う風景となる
この岬には石油精製会社があり
無数の巨大なタンク軍がある
地上のタンクに11,4k沖合から
海底管を通じて原油を供給するために
停泊している
原油の全量はクウェートや
サウジアラビアなど主に中東地域から
輸入しているという