連れとの二人の暮らしですが、
毎年この季節になると
お雛様を段ボール箱からとりとりだします。
これも毎年のことですが、
このお雛様のお顔をみると
私が子供の頃の母との思い出が
蘇ります。
小学校の1年生の時のお話です。
当時子どもたちの間で流行っていたお人形は
カール人形。
横にすると目を閉じる金髪の巻き毛のお人形さんです。
流行っていたといっても高価なものでおねだりして
簡単に買ってもらえるようなものではありませんでした。
私は信用組合からもらった打出の小槌が
描かれた貯金箱に毎日毎日小銭をいれました。
1円やら10円やら50円をこつこついれました。
この貯金箱がいっぱいになったら
デパートにいって、「カール人形」を買う。
我ままで堪え性のない私でしたが、
カール人形が手に入るならと三日坊主にならずに
入り口まで、いっぱいの小銭が貯まりました。
貯金箱をいっぱいにするのには随分の月日が
かかったものです。
小銭は3,000円に達していました。
デパートまではバスで1時間もかかります。
ちょうど博多にでかける用事のあった母に
私はお金をたくしました。
母が帰ってくるのが待ち遠しかったのは
言うまでもありません。
日が傾きかける頃、母は大きな直方体の箱を下げて
戻って来ました。
その箱の形に瞬間的に疑問を持ったのですが
深く考えずに包みをといて、
姿をあらわしたものにがっかりし尻もちをついて
しまいました。
それが、毎年段ボールから今もだす「立ち雛」です。
私は「カール人形を買ってきてね」、と母に頼んだのです。
そして母も私がそのためにお金を貯めていたことを
知っていたのに・・・。
母は言いました。
「お母さん、お雛様が欲しかったの」。
その言葉を聞くや、悲しくてやりきれなくて泣きだして
しまいました。
その涙をぬぐった手で、女雛様の顔をさわってしまったのです。
するとどうでしょう。
お雛様の眉と目がくずれてぼやけてしまいました。
それを見た母は、私をきつく叱ったのですから、
子ども心にも不条理なお話です。
人生の不条理をはじめて知ったわたくし的大騒動です。
<古型博多人形内裏雛 中ノ子勝美作>
時を経て私自身の意思で購入したお雛様は
福岡出身ということもあり、
古型博多人形作家の4代目 中ノ子勝美氏に
依頼して作っていただいたものです。
さて、子供のころ大騒動のうえ飾られることになった
木目込みの立ち雛ですが、
男雛と女雛をどちらに飾っていいかわからない・・・
という困った問題がもちあがりました。
昭和30年代は、情報がすくなくてすべてが曖昧。
地元の家具屋さんやおもちゃ屋さんをのぞくと
男雛が右もあれば左もある。
問うと、なべて「うちは前からこうだったから」。
長じて、実はどちらも正解と知ることになります。
関東と関西は男雛と女雛の位置が逆です。
関西は「天子南面して東に座す」という古来の儀式にのっとり
紫宸殿を背にして向かって右に男雛を飾ります。
それでは関東はなぜ左かというと、
明治維新で西洋文化がはいり、大正天皇即位時に
天皇の立ち位置が変わり向かって左にお立ちになって
以来現在にいたるというわけです。
ところが、ネットでチャールズ皇太子他のヨーロッパの
王族の結婚式画像を調べますと、大聖堂からでておいでの
立ち位置やバルコニーでの立ち位置が変わっていたりと
判然としません。
国民へのサービスとして位置をおかえになるのかもしれませんね。
それに比べて日本の皇族はつねにむかって殿下が左においでです。
「お内裏雛」とはお雛様1対(男雛・女雛)をいうのですが、
近頃は、「男雛」を「お内裏さま」といい「女雛」を「お雛さま」
というのが一般的になってしまっています。
これは誰もがこの季節に歌ったことがある童謡「うれしいひなまつり」
の歌詞「おだいりさま と おひなさま」が定着しての誤用です。
雛二つ桃一枝や床の上
(正岡子規 明治29年作)
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