エンブ一家の旅日記

アウトドア大好き、エンブの日記です(笑)
大好きな奥ちゃまとワンニャン引き連れあちこち走り回っています。

日帰りの旅~茨城の古城巡り 最終回~

2012年06月12日 | Weblog
日曜日ワン子と一緒に出かけた旅を長々と書いてきましたが、最終回です(笑)
土浦を出発、細かい道を縫うように走り龍ヶ崎市内へ。
普段どおしても混むというイメージがあるので危惧していましたが、殆ど混雑無しで市内へ。
まずは、龍ヶ崎城後へ。
-----龍ヶ崎城-----
龍ヶ崎城は龍ヶ崎氏が滅亡した後の永禄十年に土岐氏によって築城され、土岐胤倫が城主として居城した。
天正十一年(1583)の佐竹氏による攻撃を受けた龍ヶ崎城は一旦落城したものの、やがて奪還に成功する。
その後同十八年の豊臣秀吉による小田原征伐の時、北条氏に味方した土岐氏は再び佐竹氏の攻撃を受け、落城した。
~『日本城郭体系4』新人物往来社刊参照~

現在の龍ヶ崎城の跡地には龍ヶ崎第二高校が建っています。
まただぁ~(笑)
とりあえず辺りを車で流してみたけど、どうも入っていけそうに無いので遠目から。

上に登るとあたり一面を見下ろせそうな小高い丘になっているようで、城としての立地は良かったのでは。
車を停めた所が住宅街でもあり、あまり長いも出来そうに無く早々に立ち去る。

で、ここから直線距離にして1.5キロ程度の所にある訓馬城を訪ねてみました。
歴史博物館の駐車場に車を停めたらSLがあったので見学してみました。


どうせなら、こいつらも一緒に(笑)

また、なんとなく懐かしい建物があったので写真を撮ってみた。

訓馬城後は、この歴史博物館の駐車場の一番奥からアプローチできます。

-----訓馬城-----
馴馬城は南北朝の時代、康永二年十一月、関城・大宝城の落城の知らせを受けた北畠親房が吉野へ帰った後、
当地に留まった春日顕国が旗揚げをした城である。
現在は龍ヶ崎市唯一の県指定史跡として残されている。

残されているのは、土塁のほんの一部みたいです。
雑草の茂る中を進むと、少しだけ雰囲気のある場所に出た。


竹が生い茂り、なんとなくここが土塁かぁ~と思わせる場所が少しだけ。


県指定の史跡らしいのですが、まあこんなもんですかね。
なんとなく雲行きも怪しくなってきたもので、今回はここまでとして帰路に着きます。

十兵衛とミッシェルは歩き疲れたようで、家に着くまでの1時間少々の道程、ずっと寝ていました(笑)
本当は、手賀沼のほとりにある日帰り温泉にでも寄ろうかと思ってたのですが今回パス。
茨城にはまだまだ見て歩いて無い古城跡が沢山あるようです。
もう少し時間をかけて周ってみたいですね。





コメント
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