人生は邂逅なり

新たな出会いを求めて

★OB会の豊後高田と宇佐へのバスハイク

2019年05月23日 | 旅行

前回の投稿から一週間が過ぎました。その間もおかげさまで様々な出来事に感動と興奮をいただいています。とくに先週は高校の同窓会の案内からオプションツアーの計画など、楽しい忙しさでした。その情報連絡用のLINEの呼び出しが頻繁に鳴っています。

先日は雲ひとつない好天に恵まれOB会のバスハイクに行ってきました。同窓生のラインの呼び出しは相変わらず続いていますが、今日は平日でほとんどの仲間が今から仕事のようです。とても旅行とは言いだせないでいる私です。

バスは昨年1月に舘やんの退職記念の旅行で訪れた、豊後高田の「昭和の町」と「宇佐八幡」を巡るバスハイクです。福岡県人は豊後高田をブンタカと略して呼びますが、島原藩の飛地(江戸や大阪との重要な交易港)で当時はおおいに栄えた港町だそうです。また、ここはわたしの好物蕎麦が有名で、前回は美味しい蕎麦屋を見つけました。その時の模様は https://blog.goo.ne.jp/enohachan/d/20180120

ツアーは50数人の大勢のお年寄りの参加者で、統率するリーダも大変のようです。

人数分買ったはずの入場券が何枚か残っています。

1950年代後半、白黒テレビ・洗濯機(手でローラを回して絞る)・冷蔵庫の家電3品目が『三種の神器』ですが、あの当時まだ家にはテレビもなく、分限者(ぶげんしゃ)の家に行って「ハリマオ」や「力道山」のプロレスに熱狂したものでした。

「昭和の町」商店街を無料で土日のみ走るボンネットバスです。このバスのガイド西佐知子さんは、車内の観光客をいじり、車窓から見える店主らをおちょくるなどして、車内を爆笑の渦に巻き込む超有名ガイドさんですが、今日は平日残念です。また、このバスの頭には、たしか青や緑の明かりがあります。小さい頃は姉が大阪から帰ってくるとき、嬉しくて嬉しくて待ちきれないので、小さな停留所までバスを迎えに行ったものです。なぜか帰省はいつも夜だったように思いますが、ちいさな坂の暗闇の中から突然青と緑の光りに胸がときめいたものでした。

ここは「昭和の町」だからでしょうか、絶滅心配のツバメがさかんに飛んでいます。軒下には巣立ち真近い子供たちが5羽、商店街の方たちも大事に見守っているようです。

大分は竹細工でも有名なところです。ここ竹製品のお店には、先般梅干しづくりのためネットで仕入れた中古のざると同額程度の、国産手作りの立派なざるが置いてありました。残念・・・・

どこも同じでしょうが先輩たちはお酒のお店に突進します。わたしは一風変わった酒屋兼釣具屋の釣り具の方に興味ありますが・・・・

博物館にやってきました。

EPレコードのジャケットが並んでいます。「17才」のデビューキャンペーン中の南沙織さん(シンシア)に新宿伊勢丹のロビー会いました。見事なまでの可愛さと、美しい髪とオーラに握手さえ躊躇し圧倒的されたことを覚えています。すぐにスターとなっていきました。ほんとに可愛かった・・・・

昔の授業体験をしてきました。「上を向いて歩こう」の大合唱です。

お昼をいただいて宇佐に向かいます。

門前町商店街をぬけ八幡宮総社「宇佐八幡」に向かいます。

今日は平日で、緑の若葉と雲一つない青い空に、ピリッとするひんやりとしたあの空気感ではなく、柔らかな優しいエネルギーが満ち溢れているようです。

ヤマガラが数匹じゃれあっています。今年巣立ちしたばかりの子供たちでしょうか。

八幡宮の総本社であり古くから皇室の崇敬を受けていて、参拝は一般と異なり出雲大社や伊勢神宮と同じ二拝四拍手一拝を作法としています。ご神体は一之御殿:八幡大神(はちまんおおかみ)の応神天皇、二之御殿:比売大神 (ひめのおおかみ)の宗像三女神(多岐津姫命・市杵島姫命・多紀理姫命)、三之御殿:神功皇后 (じんぐうこうごう)は応神天皇の母で、お腹に子供(のちの応神天皇)を妊娠したまま筑紫から玄界灘を渡り朝鮮半島に出兵したという武勇伝がたくさんある女帝だったそうです。

お参りの帰り、あのなつかしい公衆電話にまた会ってきました。まだ、テレホンカードが使えますよぉ。

またの参拝の機会があらんことを祈りながら宇佐を後にします。

安心院のワイナリーにやってきました。無料の試飲に群がりますが、私はぶどうジュースをいただきます。

敷地には散歩コースがあります。シジュウカラや「てっぺんかけたか」のホトトギスが鳴いていて、ひんやりと気持ちの良い林です。

遠くに由布岳を眺め大分を後にしました。

初めての挑戦で、ことしは梅干しづくりと酢ラッキョを作りたいと幼馴染の宏志に言っていましたが、宏志から聞いたのでしょう。先週兄ちゃんから生梅とラッキョが送られてきました。

梅は宏志にレシピを聴き塩漬けしました。送られてくる前日にしその種を友達にいただいたのですが、植えてシソができるのには時間がないので、広島福山の「こだま食品」さんから梅漬けのシソを買い求めました。2k用で400円と価格も手ごろで、シソの葉をとり塩もみする手間も省けます。

この梅の1か月後の天日干し用ザルも、中古ですが倉庫で出番を待ってくれています。

ラッキョは8k以上ありましたが、元来薄皮だけでいいところをその内側までも剥いたためでしょうか、6kになりました。宏志によると、「ラッキョ酢を買ってきて漬け込むだけでいい。」と言いますが、初体験のだからこそ本格的なつくり方をしたいと、田舎もラッキョの本場ですが、これまた本場の「JA全農とっとり」さんのラッキョウの本漬けレシピを参考に塩漬けしました。心配は2週間後に「24時間以上流水にさらす」工程があります。これをどのような形で行えるのか心配な部分でもありますが、何とかなるでしょう。

だっけを ほうちょん びんたで たたっせえ かつおぶいと ちょいやん しょうゆでくうと うんまかど

(塩漬けした途中の)ラッキョを 包丁の 柄の部分で たたいて 鰹節と 丁子屋(田舎の醤油屋)の 醤油で食べると 美味しいですよ。


★大阪での高校同窓会

2018年07月17日 | 旅行

あいもかわらず猛暑日が続いて、テレビでもトップニュースで熱中症の報道が繰り返されています。わたしもFIFAワールドカップ・ロシア大会期間中に鹿児島と大阪の同窓会等で生活リズムが狂っていて、体調もすぐれず今朝病院に行ってきました。結果は先生曰く「鼻のアレルギー性等鼻炎から喉へのダメージと咳につながる病気」とのことで、なんと6種類の薬が処方されました。毎日血圧と糖尿の薬4種類を服用しているので10種類の薬を飲むこととなります。

 

同窓会の日程に合わせて、若いとき我々男の兄弟が、大阪の実家みたいに大変お世話になった親戚の家への表敬訪問と、兄と義兄の墓参りを予定しています。朝10時前に新大阪につきました。海の日の3連休初日で大変な混雑様です。

 

早速91歳のお母ちゃんが待っている尼崎へ向かいました。昨年も訪問したのですが、その時はたしかケガをしたこともあり車いすの状態でしたが、今は杖を突いて歩けるほど元気です。

わたしともちろん同郷で、長いこと故郷へ帰れないでいます。先月中学校の同窓会に帰った時、今の故郷をたくさんの写真に収めてきています。写真は涙を流すほどの喜びようで、いいお土産ができました。その後、考えもしなかったことなのですが、家族8人で10月に2泊3日の故郷行きが決まりました。もちろんわたしと田舎のあんちゃも参加して、楽しい思い出作りに一役買いたいと思います。

 

本日の同窓会の参加者は、男女15名づつの30名の沢山の仲間が集まります。地元の高校は3クラスで全校生徒430人程の小さな小さな学校です。したがって亡くなった同級生などを除くと約1/4の参加となります。

 

48年ぶりすっかり変わったように見える仲間も30分もたつと昔の姿となってきます。

 

今回は2年前から準備している大阪での同窓会です。午後4時始まりました。今回の大阪での幹事は浩二君です。会場や宿泊者のとりまとめなどありがとうございます。

 

みなさん酔っぱらう前に集合写真を撮ります。

 

まずはクラスごとに着席します。久しぶりの再会もあるので、各自の胸にはネームプレートと、参加者名簿には高校当時の写真を印刷して配布しています。まずは顔と名前を思い出すための静かな時間が流れます。

 

少しづつ昔がよみがえってきて、あの時の若さや心に戻ったような不思議な感覚です。

 

同窓会に参加する人には決して「自分を不幸と思う人」や「ネガティブ思考」のひとは参加しません。したがって当然話も盛り上がります。鹿児島の銘酒も持ち込みしていますが、この年になると焼酎より会話を楽しんでいるようです。

 

2時間半で一次会が終了です。なんと、どうしても所用で帰らなければならない地元大阪在住の2人を除き、28名が近くの居酒屋の2次会へ参加です。新大阪という会場もあるとはおもいますが、今までの同窓会でこんなに沢山の参加がいただけた2次会は聞いたことがありません。

 

まずは2次会の乾杯・・・・わたしはウーロン茶です。そもそもお酒は好きな方ではなく、事務局のわたしが酔っぱらうと集団を統率できないので、毎回この役に徹してします。

 

50年近い年月を、ここでも語りつくせないでいます。

 

午後9時2次会も終わりとなります。ホテルに着くと、まだ物足りなさを感じている人たちが18人程ロビーに・・・・前回の打ち合わせで楽しんだ京橋のキャバレーには女性もいて遠いし、ホテルで近くのコーヒーショップを探してもらいコーヒーショップにやってきました。これまで毎回一人や二人いて、私が心身ともに苦労するヨクロンボ(酔っぱらい)もいないで、まるでダンディな都会の人たちの同窓会みたいな?

 

夜11時過ぎホテルに帰ってきましたが、まだ語り足りないのか7・8人ホテルの部屋で酒とツマミを仕入れて・・・・わたしはサッカーの3位決定戦があるにもかかわらず朝5時まで爆睡でした。

 

朝食をすまし部屋で本日の行程に向け、スケジュールのタイムラインを思いめぐらしていると、だれかれともなく別れが名残惜しいのか10人程が私の部屋をノックしました。

 

正喜くんと憲良くんが、わざわざ川西のねえちゃんの家まで送ってくれました。兄たちの墓参りを済ませ、ラーメン好きなわたしのため、姪っ子がラーメン屋に連れてきてくれました。「神座:KAMUKURA」というお店で、白菜たっぷりの醤油ラーメンです。もちろん福岡にも鹿児島にもないような麺でした。うまいねぇ・・・・

 

午後7時過ぎ、今日のために貴重な三連休の一日を費やしてくれた、姪っ子たちに感謝です。・・・・ありがとう

 

午後7時24分の「のぞみ」で帰路につきました。帰ると午後11時前、今日はFIFAワールドカップ・ロシア大会の決勝戦です。2時過ぎまで楽しみました。このような乱れた生活リズムのため、医者にお世話になりましたが、週末は「キツネノカミソリ」の登山です。規則正しい生活で病を乗り切らないと・・・・あんちゃんやねえちゃんが、「この頃じゅんは人生を急いで・・・・早よしんたらせんどかい(死んでしまうのでは)」と言っているそうです。

 

もちっと ゆっくい しもんそ

もうすこし ゆっくり しましょう


★帰郷 完結編 鹿屋から我が家へ帰還

2018年06月30日 | 旅行

今朝は堰を切ったような激しい雨と雷鳴に早く起こされましたが、サッカーがある訳でもなく再び眠りに着こうとすると、我が家の愛犬ナッちゃんは稲妻と轟く雷鳴に、心細そうで私の近くを離れません。仕方なく朝5時前起床となりましたが、いまも大雨警報中で一年前の朝倉災害地域も心配です。

写真は雨の合間を縫って、我が家の庭で大事に育てたツマグロヒョウモン蝶です。

 

パンジーとビオラの第一世代が枯れていく中、その種子から新たにビオラが芽吹きました。同じく第二世代ツマグロヒョウモン蝶の幼虫の餌となればいいのですが・・・・

 

6月24日日曜日は正喜の家に浩二とお邪魔します。浩二はわたしの車で用向きのため別行動なので、正喜の車で鹿屋へ向かいます。お昼は私のお昼の定番ともいえる、鹿屋のラーメン屋さんへ・・・・

 

ここ「麺'sら.ぱしゃ」には、「薩摩おごじょが選ぶ第1位ラーメン」の幟がはためいています。確かにおいしいラーメンですが・・・・ごま油を垂らしているようで、わたしにはスープに合わない気がしました。確かに店舗の雰囲気などは女性ごのみです。

 

浩二も遅れて到着しました。

 

正喜の家はアジサイの鉢がたくさん並びます。さぞ咲き誇る様々な色のアジサイは見事だったでしょう。

 

奥様の趣味だとか・・・・アジサイのほかにもクリスマスローズの苗木もたくさん育てています。

帰りにアジサイとクリスマスローズの苗木をもらって帰ります。

 

ここにはカナリアやキンカチョウなど数種類の小鳥も育てられています。昨年まで暮らした大阪では伝書バトもたくさん飼っていたらしく、レースのりっぱな多くのトロフィーもあります。

鳥が好きなので、「日本野鳥の会」の事務局へお願いして案内書を送ってもらいました。多趣味の正喜ですが、会員になってまた一つ世界が広がってくれればと願っています。

 

温泉好きな私のお願いで近所の「ホテル太平温泉」にやってきました。トロトロとした滑らかな肌触りのいい温泉です。ゆっくりと入りたいのですが、正喜と浩二は烏の行水、しかたなく私も30分ほどであがります。

 

深夜にはFIFAワールドカップ セネガル戦で、久しぶりに私もプレミア焼酎「伊佐美」をちびりながらの三人での観戦でした。

次の日は、浩二も私も初めての鹿屋の地です。せっかくならと少し観光をしてから福岡へ帰ることとしました。まずは奥様地元の大隅半島の屋根で「高隅山山系」の麓にある「観音淵の中世古跡塔群」を訪れました。

 

地下水が長い年月をかけて造り出した天然の洞窟で、高さ8メートル、幅16メートル、奥行30メートルもあり、洞窟の中には、鎌倉時代初期から戦国時代までの供養塔が約90基祭られています。洞窟の最深部は地下水が滾々とあふれ出しています。湧水は名水として知られ、水汲みの方も2組ほどいて超軟水でさわやかな水だそうです。いただくと確かにまろやかな冷たい美味しい水でした。

 

わたしが海を見たいといったので、「高隅山山系」を横に見ながら海に向かいます。

 

やってきたのは「荒平天神」、海に突き出た島のような岩山上(天神島)に神社が建立されている風光明媚な場所です。毎月25日は縁日として多くの参拝者が訪れるそうで、今日はその25日の日です。若いお嬢さんたちなど数組の参拝者がいました。

 

お土産を買いに鹿屋のスーパーへ、わたしは孫たちに、サツマイモ・トウモロコシ・パパイア・パッションフルーツ(昔の我が家にはこの大木がありました。懐かしい別名トケイソウです。)を買い求めます。お昼は昨日に続きラーメンをいただきます。奥様おすすめの「らーめん屋こうちゃん」です。お昼前というのに常連客と思われる方ですでにいっぱいです。

 

非常にシンプルで、これぞ「鹿児島ラーメン」と言えるような懐かしい味です。ネットの評判も、もちろんいいようです。

 

浩二も食べるのに夢中です。

なぜなのか鹿児島のラーメンには沢庵が必須です。また、これがラーメンの前菜には最適なのです。

 

桜島を背に福岡へ向かいます。鹿児島には3泊4日の行程でしたが、中身が濃くタイトなスケジュールで、一週間以上も滞在していたような心持です。

 

福岡へは夕方5時過ぎにつき、玄界灘の魚を味わってもらおうと志摩芥屋の港の横にある「朝日寿司」に案内しました。本当はわたしの釣った魚でおもてなししたいのですが・・・・

 

大将が心を込め、奥様が季節の花をちりばめた、おもてなしの季節のお寿司です。

 

地元漁師の英ちゃんに「朝日寿司」に行く話をしていたため、ありがたいことに英ちゃんからのイサキの生き作りが添えられていました。神経締めと血抜きなど丁寧に処理して、まだ尻尾を震わせている美しく盛り付けされたイサキに浩二も感動です。英ちゃん本当にありがとう・・・・

 

次の26日の朝仕事もあるとのことで大阪へ浩二は帰っていきました。大したおもてなしはできませんでしたが・・・・今度は奥様と一緒においでください。

また、鹿児島の友人たちにはこころからおもてなしを受け、帰りの車には飲めもしないのに、銘酒「一どん」・「伊佐美」、米、新茶、スイカ、浩二のお姉さま手作りのラッキョや沢庵とアブラミソなどたくさんのお土産がトランクに入りました。

昨日6月29日は昼から雨が上がったので。アジサイの植え替えや玄関前の欅のカミキリムシの退治をやっていると、ヒトツバの植栽からスズメバチが飛び出してきました。我が家の周りには蛇から鳥などたくさんの生き物が生活していますが、この獰猛なスズメバチは孫たちにとって非常に危険です。おかげでまだ小さな巣の状態で見つけたので、簡単に殺虫剤で駆除できました。

 

なげ かごんまじゃったどん わっぜかみやげは あいがとさげもした

長い鹿児島でしたが、たくさんのお土産大変ありがとうございました。


★帰郷 続編 高校のプチ同窓会

2018年06月28日 | 旅行

昨夜は定例の「きらら風呂の会」懇親会でした。

 

その中で、来月27日の定例会の日には井原山の「キツネノカミソリ」を見に、登山することが決まり大いに盛り上がりました。写真は3年前の登山と「キツネノカミソリ」(ヒガンバナ科の多年生で球根植物)です。

 

さて、帰郷の続編に戻りますが、6月23日の土曜日は憲良のマイボートでイサキや根魚を釣り、宏の実家で田舎在住の高校の仲間で飲み会を企画していました。しかし、海が荒れ釣りが中止のため、朝から夜の飲み会の準備に枕崎や加世田の街を走り回ります。

 

宏志とアンちゃんはいまウナギ取りに一生懸命です。大阪からの浩二が天然のウナギを食べたいとのことで、昔取った杵柄(むかしとったきねづか)で私が捌き、炭火で焼こうと思っていましたが、買い物に手間取り時間がないために、アンちゃんが白焼きした鰻を提供してくれました。写真はアンちゃんたちが獲った天然鰻です。

 

今夜の参加者は10名ほどの予定でしたが、別な飲み会からの参加者も合流して20名近い仲間が集まりました。

 

昨夜に引き続き昔話に花が咲きます。

 

本日の酒の肴は浩二のお姉さんが、牛すじのどて煮とおにぎり、アンちゃんからウナギのかば焼き(白焼きを市販の鰻のたれで煮込んだもの)、わたしのイカの沖漬けと明太子、購入したつけあげとカラアゲ、憲良がさばいたカツオのタタキなど盛りだくさんです。

 

1人減り2人減り、午後11時過ぎそろそろお開きです。

 

わたしはアンちゃんの家でゆっくり眠りたいのですが、宏志の家で朝を迎える、正喜と憲良と浩二に悪いだろうと宏志が引き止めます。仕方なくここで夜を明かしますが、いびきと蚊に悩まされ熟睡できませんでした。

 

夜が明けて、わたしはアンちゃんの家で朝ご飯を済ませ帰ってくると宏志の家も朝ご飯が済んだところです。

 

本日のスケジュールについて散歩がてら話し合っていると、憲良は奥様から電話・・・・今日は大事な用事があったようで急いで帰ることとなります。

 

モンキアゲハ(白色紋はメスで下の黒一色はオス)が岩場から染み出した水を吸水しています。フレームに入れない蝶も数匹いて周りを飛び回りじつに優雅です。

 

今日6月24日は鹿屋の正喜の家にお世話になります。田舎では新たな思いでが増え、優雅なたたずまいの野間岳に挨拶して故郷を後にします。

 

今日6月24日もFIFAワールドカップの日本対セネガル戦で、疲れ切った体にさらに追い打ちをかけてしまいそうですが、正喜の家でTV観戦です。めったにないこと楽しまないと・・・・

また本日の6月28日は決勝トーナメントをかけポーランド戦です。ここいらでしまいにします。

 

しょちゅを いっべものまんでも わっぜたのしかったど


★帰郷 シルバー同窓会

2018年06月27日 | 旅行

50歳・60歳と区切りの年代で中学校の同窓会が催されてきましたが、今年も65歳の同窓会出席のため、車で鹿児島を目指します。独りでの運転のため高速のSAで休み休みの帰郷です。今日から3泊4日の強行スケジュールが始まります。

 

午前11時前に鹿児島中央駅到着です。ここで大阪からの浩二を待ちます。到着は12時前のため、お昼には少し早いのですが、地下の食堂街にやってきました。

 

ラーメン大好きのわたしは、40年前の鹿児島勤務時代は、お昼時天文館の「くろいわラーメン本店」に出かけていました。当時は「くろいわ」・「和田屋」・「こむらさき」がたしか人気店だったのですが、いまは創作ラーメン店を含め大きく変化しているようです。

本日も言わずもがな、長渕剛も大好きという「ザボンラーメン」にやってきました。値段は立地の為かラーメンにしては高い気がします。嗜好の違いは千差万別ですが、やはり記憶に残っている「くろいわ」が美味しいように感じます。隣の「こむらさき」の店舗はすでに満杯状態でした。

 

鹿児島中央駅で浩二を待ちます。

 

福岡を朝6時に出発して午後1時過ぎ故郷到着です。

 

来月には稲刈りの始まる田んぼですが、ほとんどの田んぼがよその地域の方が栽培している田んぼです。みんな年を取り田んぼを耕作する体力も忍耐も薄れ、集落の中をイノシシが闊歩する時代となりました。

 

父母先祖の墓参りと、ブログのタイトル「人生は邂逅なり」のその人で、5月に旅立った恩師の霊前へ参ります。

同窓会開始までには少し時間があるので、笠沙天然温泉・氣呑山河(チートンシャンバ)で汗を流してから会場へ向かいます。ここは加温、無加水の源泉掛け流しで、変に記憶に残る名前の由来は中国の古いことわざで、「山や河を呑み込むほどの気持ちがあればできない事は無い」という意味だそうです。

 

同窓生200名の50名近い参加者で熱気にあふれています。

 

見慣れた顔も多いのですが、50年ぶりの再会につい、あまり褒められたことではありませんが、その人のこれまでの人生をイメージしてしまいます。

 

体は齢(よわい)を重ねてきましたが、心はいつしかあの頃に帰ります。左下の旧姓木佐貫先生も大変お元気な様子です。

 

赤いポロシャツの幼馴染、宏志も楽しそうです。

 

いつもポジティブな守くんは女性との会話を楽しんでいます。

 

同窓会の出席者はポジティブ思考の参加者がほとんどと思います。

 

午後7時過ぎ一次会のお開きです。

 

2次会は唯一のスナック「風蘭」です。

 

2次会は17名の参加者ですが、女性が少ないのが少し寂しい気がします。

時間は午後11時前、これでお開きです。全く飲酒していない私は大雨の中、皆さんの送りでおお忙しです。明日は田舎で暮らしている高校の仲間の同窓会です。釣りしてからの予定でしたが、嵐のため中止で朝から同窓会準備のため忙しくなりそうです。

今夜は実家アンちゃんの仏壇の間で、父や母やご先祖様に抱かれ休みます。わたしはこの部屋での心地よい眠りが大好きですが、早寝早起きのアンちゃんに午前5時過ぎには起こされることとなります。

 

「しったい だれもした」


★世界遺産「神宿る島」宗像・宗像大社辺津宮を訪ねる

2018年05月24日 | 旅行

3年前に母の日にと子供たちにもらったアジサイ「ゼブラ」の乳白色の花が咲き出しました。茎が黒く花が白いドイツ生まれの園芸品種で、黒い茎と白い花がシマウマを連想させるから「ゼブラ」と名前が付いたようです。


一方我が家のツマグロヒョウモン蝶の幼虫も、たくさんの餌に囲まれて幸せそうです。


先日5月23日はOB会のレクレーションの宗像方面へのバスツワーに参加しました。いつものアワテンボウの思い込みで集合時間と場所が違っていましたが、集合時間前の電話で事なきを得ました。9時30分に博多駅前を出発です。


福津市の「宮地嶽神社」にやってきました。創建は、約1700年前でご祭神は「神功皇后(じんぐうこうごう)」で、全国に鎮座する宮地嶽神社の総本宮です。なお、八幡様の総本宮・宇佐神宮のご祭神「八幡大神(応神天皇)」の母君にあたられます。


この「宮地嶽神社」は神社より海岸を望むと、参道が一直線に続いて「光の道」として有名なところでもあります。ただ、夕陽が参道の延長線上に沈む「光の道」が見られるのは2月と10月のそれぞれ1週間ほどだそうです。


古事記、日本書紀等では「神功皇后」が渡韓の折、宮地嶽山頂より大海原を臨みて祭壇を設け祈願されて船出した場所だそうです。


ここは花菖蒲の神社でもあります。5月26日から「菖蒲まつり」が開催されますが、まだ少し早いようです。


江戸時代からの古風な趣のある町並みの「津屋崎千軒」にやってきました。昔は塩田と海上交易でかなり繁盛した町だそうです。ボランティアのガイドの方が案内してくれるそうです。ありがとうございます。


雨が降り出してきました。まだ、それほどの賑やかさも知名度もなく、これから豊後高田市「昭和の町」以上に賑わいのある施設になることを期待します。


塩木のある梁(はり)が見事な「豊村酒造」にやってきました。
この塩木の梁は、腐れや虫食い(シロアリ等)に対する対策として、砂浜に穴を掘らせてそこに材木を埋めて1年以上放置し、潮の干満で海水が飽和・浸水し掘り出して乾燥させた後に加工するのだそうです。


お酒好きな先輩たちは利き酒してお酒を購入しています。お酒の飲めないわたしは奈良漬けを買い求めます。


世界遺産関連遺産群の一つでもある、新原・奴山古墳群にやってきましたが、残念ですが車中からの見学となりました。ここは沖ノ島祭祀を行い、信仰の伝統を育んだ古代豪族宗像氏の墳墓群です。


お昼ご飯を途中のホテルで済ませ、雨も上がった「宗像大社辺津宮」にやってきました。


九州と朝鮮半島を結ぶ玄界灘の中心にある「沖津宮」、海岸近くの大島に「中津宮」、陸地のここ田島に「辺津宮」、この三社を総称して「宗像大社」です。
お祭りする三柱の神々は、「沖津宮」が田心姫神(タゴリヒメ)、「中津宮」が湍津姫神(タギツヒメ)、「辺津宮」が市杵島姫神(イチキシマヒメ)です。


まずはボランティアガイドの方の案内で、宗像大社神宝館へ向かいます。ここは沖ノ島祭祀の奉献品などが展示されています。有名な金製の指輪や多数の馬具類や鏡などレプリカでない本物が展示されています。


やっと「宗像大社辺津宮」の本殿にお参りです。
姉の天照大御神と弟の須佐之男命との誓約(うけい)の際に、天照大御神の息吹の霧から三柱の女神が生まれました。最初に生まれたのが田心姫神、次に生まれたのが市杵島姫命、次に生まれたのが多岐津姫命(湍津姫神)です。


御神木の楢の樹です。樹齢は約550年位だそうです。


辺津宮の起源となる古代祭祀の場、「下高宮祭祀遺跡」に向かいます。


三女神に「筑紫の国の宗像の三宮に降臨し、歴代の天皇のまつりごとを助け、祭祀を受けられよ」と天照大御神の神勅により、三女神は宗像の地に鎮座し、玄界灘の航海安全の神、また国家守護の神として篤く崇敬を集めるようになりました。ここは「市杵島姫神」が神勅により現れた降臨の地で信仰上極めて重要な場所です。


ここにはご分霊として、長女の「沖津宮」が田心姫神(タゴリヒメ)、次女の「中津宮」が湍津姫神(タギツヒメ)があり、詣でれば玄界灘洋上の宗像二宮を含め宗像三宮を排したことになります。


約二時間ほどで「宗像大社辺津宮」をお詣りしました。ボランティアのガイドの方には感謝です。


大社の樹木の枝の上に生育する「ヤドリキ」が気になりますが、後で調べたところ「宿り木は神聖な植物」とのこともあります。しかし寄生植物をそのままにして勢いを失っている木々が哀れです。


天気も悪く平日というのに、世界遺産登録となったためでしょうか。駐車場には大型バスも並んでいます。


スマホの歩数計は本日12,000歩となりました。一昨日の九重登山では約13,000歩ですから高低差がありますが、ほぼ同じような距離を歩いたことになります。疲れました・・・・


★壱岐(長崎県)へのちょっと急ぎ旅

2018年03月12日 | 旅行

娘の帰国に合わせ、女房の里でもある壱岐へ墓参りがてら孫をつれ遊びに行ってきました。
日帰りで、唐津(長崎県)を10時30分出港で帰りが壱岐を15時30分と急ぎ旅です。


孫は初めてのフェリーに大喜びです。本日はべたなぎの海で、船釣りには最高の日和で、このフェリーの航路近くにいると思われる釣り仲間の釣果が気になり、つい電話をしてみます。


2便ということもあってか日曜日というのに貸し切り状態です。


壱岐の印通寺に近づくとミサゴが空に舞っています。港には毎回のことながら女房の親戚が迎えてくれます。毎回のお世話に感謝です。


まずは郷ノ浦港の入口近くににある塞(さい)神社にお参りしました。


祀られているのは日本神話の「岩戸隠れ」伝説に登場する神様で、エロティックな動作で踊って八百万の神々を大笑いさせ、天岩戸に隠れていた天照大神を引き出し、再び世界に光が戻ったとされる、芸能の女神天宇受売命(あめのうずめのみこと)です。


郷ノ浦で一番の繁華街である「ふれ愛通り」のはずですが、日曜日というのに閑散とした通りとなっています。


お昼は塞神社横の、親戚マサヨくんおすすめの「海岸」という和食のお店です。


和食といってもステーキから刺身までバラエティなメニューで、観光でのご当地グルメというより、地元の方の食堂といった感じです。


わたしが注文した海岸定食1,680円です。刺身はヒラスにオアリイカと鮮度・味ともに間違いなし、天ぷらも・茶碗蒸し・味噌汁も絶品です。


お土産はすぐ近くの長田(オサダ)商店で、対馬藩主が参勤交代の折、道中で食べたのが始まりといわれている「かすまき」などを息子たちのために買い求めます。
ちよっと高いのですが壱岐のウニはきれいな海で豊富な海藻に育てられ絶品です。しかし、旬まであと1か月ということもあり汐ウニは我慢します。


1-2時間で一周できる小さな島ですが、壱岐は弥生時代に中国の史書「魏志倭人伝」に一支国として紹介され、古代から日本と大陸を結ぶ文化交流の要衝の地でした。
また、島なのに長崎県で諫早平野に次ぐ二番目に大きい穀倉地帯でもあります。
この麦を使い、中国から伝わった焼酎製法を活かし、壱岐独特の麦での焼酎を生み出しました。この麦焼酎発祥はWTO(世界貿易機関)の協定に基づく産地指定銘柄の1つだそうです。麦焼酎のお土産に「玄海酒造」に立ち寄りました。


ここの蔵は女房が生まれ育った実家のすぐ近所にあります。
飲めない酒なのに、長男と鹿児島の兄貴に4本買い求めます。


これまたすぐ近所の、大変お世話になっていて可愛がってくれる、女房の叔父さんのところへご挨拶に行きます。


話は尽きませんが、そろそろ帰りのフェリーの時間が近づいてきました。港には出港10分前に到着慌てて乗船します。
わざわざのお見送りありがとうございます。


釣りでは始終訪れている壱岐ですが、陸地へは年に1回程度の訪問です。


帰りの便も貸し切り状態です。


唐津城(からつじょう)が近づき、そろそろ95分の船旅も終わりとなります。


★友人の退職記念旅行

2018年01月20日 | 旅行


来月に退職する友人の「退職記念旅行」に行ってきました。場所は市内いたるところから湯煙漂う温泉の町別府です。事前の調べで砂風呂
に入りたいと訪ねてみましたが、残念ながら団体さんが今しがた入ったとのことで、近所に自宅のある友達からもう一軒紹介してもらい市
内の中心地へ向かいます。親切なナビが「近辺に到着いたしました。」と自信たっぷりにアナウンスしますが、一向にそれらしき建物が見
当たりません。一方通行で小さな路地を「さっき通ったところだよ」・・・・オームの如く繰り返すナビの案内を無視し続け、地元の方に
案内してもらってやっとたどり着きました。歴史ある重厚な建物が特徴の市営竹瓦温泉です。残念ながら砂湯ははいれませんでしたが、ふ
つうのお風呂はなんと・・・100円の入浴料です。また、駐車場は国道沿いに・・・・頼りないナビです。


お風呂の中は撮影禁止のため誰も入浴していないネットの画像で紹介します。勿論かけ流し温泉でシンプルなつくりの湯舟です。温度は熱
めの44度ぐらい・・・・後から入られた地元の方が源泉の水量調整と水道水で温度の調整方法を指南してくれます。風情満載のいい湯です。


午後8時過ぎ仕事の都合で、博多から「特急ソニック」で参加の鶴ちゃんも到着して、今日の泊りの宿で昔話に会話が弾みます。


本日20日朝風呂を満喫して午前9時旅館を出発して宇佐神宮へ向かいます。信頼を失ったナビのため、スマホで確認しながら向かいます。


571年、三才童児となり現れた応神天皇(第15代天皇)が「護国霊験の大菩薩」と託宣(お告げ)があったそうです。難しいことはよくわか
らないのですが・・・・どうも神様のことはわかりやすい言葉では言い表せないようです。イチイガシの大木が神々しい雰囲気を醸し出して
います。


参拝は一般と異なり、出雲大社と同じように、二拝四拍手一拝が作法だそうです。この「4拍手」は「人と神の魂」である「一霊四魂」を表
現していると云われています。「一霊四魂」とは、「和」=和魂・「荒」=荒魂・「奇」=奇魂・「幸」=幸魂、4つの「人や神の人格のこ
と」だそうですが、やはり難解です。


帰りの参道で今や出会う機会が少なくなり、神社仕様の公衆電話に仕事柄全員大興奮です。


次に向かったのは、江戸時代から海上運輸で栄えた豊後高田の昭和レトロ満載の「昭和の町」です。昨年息子たちと出かけた天領日田城下町
「豆田町のグルメ&ショップ巡り!」と同じようなコンセプトでの町づくりのようですが、日田よりもちよっぴり寂しい感じがします。


豊後高田は蕎麦の生産も盛んで、生産~加工~手打ちまでが同じ土地で行われるため、移動によるストレス(温度変化、湿度変化、時間経過)
が極めて低いそばを食べることができるそうです。お昼はここ「昭和の町」のはずれ「そば処 響」でいただきます。


豊後高田では、そばを安心して食べていただくために、認定店制度を設けてるそうですが、ここ「そば処 響」は豊後高田市内に12店の認定
店の一つです。往々にして十割蕎麦はつなぎが少ないために切れやすいのですが、「うどん一尺、そば八寸」といいますが、麺の長さ、蕎麦
の香り、麺のコシ、ここの蕎麦は十分満足できる蕎麦でした。


家族へのお土産は、地元鹿児島にもある、お菓子「カリント饅頭」を買い求め岐路につきました。主賓なのに運転手の舘やんご苦労様でした。
また、初対面なのにナビの自称「まりこ」さんへの失礼の数々すみませんでした。