人生は邂逅なり

新たな出会いを求めて

★「人生を変えてくれた人」

2018年08月26日 | 日記

災害があった方へは大変失礼ではありますが、ここ福岡を台風19号・20号は見事にさけていきました。長期予報では雨の予報があったにもかかわらず、風はもちろん雨も降らず、相変わらずカラカラ酷暑の毎日です。

6月から7月の慌ただしさとその後の夏バテから、7-8月は1回だけの釣りで、これだけ釣りに行かなかったのは、東京と大阪時代の6年を除き、子供時代から初めての出来事と思います。友達からは毎週釣りのお誘いのメールが届き、漁師英ちゃんからの漁の手伝いの電話もありますが、夏バテと酷暑のせいにしてお断りしています。このまま釣りもしない日が増えると、「老人性うつ」になってしまいます。意識してもとの生活スタイルに戻さないと・・・・

写真は現在の二丈の田んぼです。田舎ではとっくに稲刈りを終え、悟くんの田んぼには蕎麦を植えるそうです。

 

今年の24時間テレビのテーマは「人生を変えてくれた人」で、わたしのブログの亀井勝一郎先生のタイトル「人生は邂逅なり」につながるテーマなのか、粋がる拙い文章のブログへの訪問者が心做しか増えているように感じます。

どうもこの手のお涙頂戴のテレビは好きではなく、昨日からほとんど見ていませんが、わたしも「人生を変えてくれた人」を振り返ってみようと思います。このブログにお立ち寄りくださった皆さんには全く興味のないこととは思いますが、皆様自身の人生の振り返りのきっかけになればと思っています。テレビは先ほどの24時間テレビですが、いまから裏番組のアジア大会女子マラソンが楽しみです。

 

「寺園先生」はこのブログタイトルとなったひとで、残念ながら今年逝去してしまいました。高校卒業時の進路決定で大きく影響を与えてくれたのは先生です。この後も東京からの再就職時は企業選択や願書提出・試験などの度に、親身の相談はもちろんのこと、飛行場からの送迎までやってくれました。その後も存命中は幾度となく救われた恩人です。

写真は2005年私の家族とのスナップです。

 

かっこつけた言い方ですが、「生きる」と言うことを考えさせてくれたのは、19-20歳の東京時代ボロアパート隣の部屋の「Sさん」です。W大学の文学部で当時は学園闘争の真っただ中で、左派論者かどうかわかりませんが刑事の影がつきまとっていました。たくさんの蔵書の中からドイツのショーペンハウエルや亀井勝一郎さんなどの本を選んでくれました。勿論わたしには本質的な理解が得られるわけではありませんが、あの多感な時期幾度となく眠れぬ夜がありました。

写真はその時代のボロアパートでのスナップです。

 

この中国古諺(こげん)は釣りに関する最も有名な言葉ですが、

「一時間、幸せになりたかったら酒を飲みなさい。」

「三日間、幸せになりたかったら結婚しなさい。」

「八日間、幸せになりたかったら豚を殺して食べなさい。」

「永遠に、幸せになりたかったら釣りを覚えなさい。」"

小さいころから釣りは大好きだったのですが、この釣りの世界を拡げてくれたのは釣りの師匠「ナベさん」です。8月初めのブログでも紹介していますので詳しくはそちらをご覧ください。

https://blog.goo.ne.jp/enohachan/e/0cee4b38df0d532c7540242d3390e443

写真は2005年「浦島太郎釣りクラブ」20周年記念釣り大会の時のナベさんです。

 

あの美しいヤマメの渓流釣りの扉を開いてくれたのは、今でも可愛がってくれる「宮崎のアンちゃん」たちですが、渓流の高みに導いてくれたのは「九州ヤマメを守る会」の発起人「中村の爺様」です。宮崎勤務時代3月から9月までは荒天(こうてん)以外、毎週渓流に居たように思います。爺様には釣りの楽しみだけでなく、生物の輪廻転生は自然の法則だが、ヤマメに関しては人手というものを入れないとこれを維持できないと教えられました。たぶん日本で初めての渓流釣りガイドで今は亡き爺様ですが、高名(こうめい)な方ともお友達だった爺様です。さまざまな九州山地の渓流に連れて行ってくれ、ヤマメの放流や釣りを指南してくれました。

写真は18年前の「中村の爺様」と現「九州ヤマメを守る会」の相談役の石原さんです。

その下は「宮崎のアンちゃん」たちと右側釣り弟子「石やん」

 

その他釣りに関しての「人生を変えてくれた人」はたくさんいますが、これらをすべて記述すると小冊子位になりますので割愛しますが、いまでは感謝の気持ちでいっぱいです。

あいがともさげもした。」ありがとうございます。

写真は16年前の後輩ではありますが、バス釣り師匠「尼ちゃん」との五島磯でのスナップです。

 

さまざまな人生の基点には、「家族」はもちろん、これまで身近なところですれ違った「あまたの人々」がいて、今日のわたしが存在しています。視点を変えて、私自身がどれだけ他人の人生にかかわってきて、よき隣人だったのか考えた時、我儘な私にはまだまだ、出逢った人が幸せと感じる出会いとなっていないように思います・・・・

19歳の多感な時、失恋した彼女のショッキングな言葉も、私を強くしてくれました。お笑いください・・・・今回の末文は薩摩言葉はお休みです。

もっと 大人の 恋がしたい。


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