ファットマン Ⅴ 2006年06月16日 | Weblog 昭和20年(1945)8月9日午前11時2分。アメリカ軍は6日の広島に続いて長崎に第二の原爆を投下した。 平成17年8月9日現在 原爆死没者名簿登載者数 137,339人 毎年8月9日に搭載者数を更新。
ファットマン Ⅳ 2006年06月15日 | Weblog 原爆落下地点からから南に900mほどの場所に一本足鳥居というのがある。 原爆の爆風で吹き飛ばされたものの奇跡的なバランスで半分だけ残ったというものだ。 これは山王神社の4つあった鳥居のうちの2番目。 3番目と4番目は完全に崩壊し、1番大きかった1番鳥居は残ったものの交通事故で壊れてしまったらしい。
ファットマン Ⅲ 2006年06月14日 | Weblog 一昨日の「平和祈念の像」のある「平和公園」は、爆心地に一番近かった長崎刑務所浦上刑務支所跡地である。 敷地面積が約2万平方メートル(6060坪)、庁舎面積が1万3000平方メートル(3940坪)あったが、木造庁舎は爆風と火災で炊事場の煙突一本を残して13棟全施設が全壊全焼し、刑務所にいた受刑者48人、刑事被告人33人、職員18人、家族35人の計134人が即死したとのこと。 写真はその刑務所の壁の一部。
ファットマン Ⅱ 2006年06月13日 | Weblog 全身に灼熱を浴び、水を求めながら死んでいった長崎の被爆者の霊を慰めようと、「平和の泉」の建設が、核禁会議の呼びかけで計画された。学者・財界・マスコミ界・労働界・政界そして宗教界から多くの協力を得て、建設が進められた。この「平和の泉」に備えられた「碑文」には、長崎の9歳の一少女の手記が刻まれている。 碑文 のどが乾いてたまりませんでした 水には油のようなものが一面に浮いていました どうしても水がほしくてとうとう飲みました -あの日のある少女の手記から オヤジ 言葉がない。
ファットマン 2006年06月12日 | Weblog 週末に、仕事で長崎に行ってきた。 長崎ちゃんぽん食べてきた。 ちゃんぽん食べた私が、そう、ファットマン! ではなくて、1945.8.9に長崎に落とされた原爆のニックネーム。 写真は、平和祈念像。 長崎には、戦争の爪というのが生易しいほど生々しい跡が一杯。 少しづつ写真を載せていこうかな。 公園中央に立つブロンズ像は高さ9.7m重さ30t イメージしていたものより相当カイデー! 右手は原爆の恐ろしさ、その事実を指し、左手は恒久平和を、軽く瞑った目は死者の冥福を祈っている。膝を立てた足は行動を、曲げている足は平和について静かに考える、静と動をそれぞれあらわしている。