前回まで4回に渡り、真我カウンセリングの基本『聴く』事の威力を見せてくれた素晴らしい実例をお伝えしました。
そして、真我カウンセリングには『聴く』のさらにその先があります。
このブログを書くきっかけになった、あるカウンセラーの言葉
『無条件の肯定的関心』
『愛ある態度』
『やり方ではない在り方』
クライアントは『癒やされていく』
真我カウンセリングと共通する所を感じ、とても素晴らしいと思いました。
しかし、このカウンセラーの話を聞く限りでは(本当は共通するかもしれないけど)、真我カウンセリングとは1つ違うと思うところがある。
少しの違いのようで、大きな違いだ。
それは『苦しい人を癒やす』という部分。何回か彼の動画を拝見した私のイメージは、彼のカウンセリングは悩み苦しんでいる人を、愛で包むというやり方。
一方で真我カウンセリングは、
相手は神である
相手は悩んでいない
相手は愛と感謝と喜びの心で溢れている相手は完全完璧である。
という『前提』で相手と対峙するのです。
悩んでいる心の奥に、悩んでいない完全完璧な心がある。という前提に立つ。その立ち位置からのカウンセリングなのです。
そして、その完全完璧な心のことを『真我』と言うのです。
相手を癒やすカウンセリングではない。相手の真我に的を当てたカウンセリングなのです。しかしその結果、相手は自分自身で自分の心を癒やしていくのです。
相手を癒やすという発想は相手が不完全であるという発想です。
しかし真我カウンセリングは、相手が悩み苦しみを表現していても、その奥には完全完璧の真我の心が在るという前提に立つ。
相手の方がカウンセラーからも不完全だと見えたとしても、相手は完全だという大前提に立つのです。
そして徹頭徹尾その前提を崩さないのです。
そして、真我カウンセリングでは相手の話を聴くことは大前提ですが、『聴く』ことが目的ではない。
目的は、カウンセラーが、相手の『真我の鏡』になり、相手が真我の心に目覚めることです。
相手の言葉、そしてその奥の相手の心。そしてさらにその奥にある相手の神の心・仏の心・宇宙の心・愛と感謝と喜びに溢れた心=即ち=真我を、カウンセラーが鏡となって相手の方に返していくのです。
相手の心の闇を、カウンセラーが光の鏡となって愛の光で返していくのです。
愛の鏡返しをするのです。
クライアントは、カウンセラーが映し出した鏡から自分自身の姿を見て、自分の言葉と心・・そして自分の真我を観て、自ら問題の答えを見つけていく。
聴くことによって相手の言葉を吸収するに留まらず、カウンセラーが、相手の心と言葉と真我の鏡となって返していくのです。
だから、カウンセラーには知識も知恵も経験も技術も必要ないのです。
人間であれば誰でもできるのです。
しかし・・これがなかなか上手くいかないのです。
なぜ上手くいかないのか。そしてどうすればいいのか。
それを次回に書きます。
ありがとうございました。