2018/4/22(日) 午後 10:38
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/44/9812a2d73c13836c329b6dd19e8ba59b.jpg)
上の写真は「蛇行剣」と呼ばれる、古墳時代中期から後期(5~6世紀)の古墳の副葬品として出土している鉄剣の「出土分布」を表した図です。南九州の古墳群から数多く(全体のおよそ半数)出土しており、九州地方と近畿地方の古墳群との違いの1つに、「蛇行剣」の多い少ないが挙げられ、九州のものは特有の墓制度である「地下式横穴墓」から、畿内のものは、大型の前方後円墳や、大型の円墳から出土しているそうです。
「蛇行剣」はその名前の通り、波状に屈曲した剣身をもった鉄剣ですが、剣身の屈曲回数は4~6回が多く、古いものほど明確な蛇行が認められているという傾向があるようです。古墳の副葬品としてのみ確認されており、実戦用の剣ではなく、「儀仗具」ではないかなどの説もあり、北限は新潟県、東限は栃木県、南・西限は鹿児島県、そして、韓国に一例のみ出土しているそうです。2017年現在で、総数70余例と少なく、謎の鉄剣として現在研究が進められているそうです。
海外では、韓国の一例を除いては「蛇行剣」の出土例の報告がなく、出土した場所にその地域の支配者がいたことを意味していることからも、この一例は、まさしく任那日本府 (朝鮮半島の日本領)という日本から渡っていった支配者が支配していたことの証左でもあります。なぜなら、古墳とは「支配者」の墓であるからです。
かつて古代日本は朝鮮半島を領有し、その地域は任那(みまな)と呼ばれ、1980年代までは日本の歴史の教科書にも載っていました。日本が朝鮮半島を領有していた事実は、「日本書紀」や、「三国志」などにも記録されているそうです。
ところが、古代朝鮮半島に日本領などなかったとする「朝鮮捏造史の押し付け教育」が始まって以来、日本の小中学校、高校でも教えられなくなっていました。朝鮮では、まとまった日本領などではなく、矮小化した「加羅」または「伽耶」という地域があった、とだけ教えているそうです。日本の歴史教育が1980年代から30年余り、かなりおかしくなって久しいことが憂慮されていましたが、2015年から、元に戻りました。そのとき例によってお隣の国は日本が「歴史歪曲している」と騒いでいたようですが。(下に参照記事を貼っておきました)
任那や百済の人々と日本の人々は言語で、今ほどの隔たりがなかく、古代の九州、対馬、朝鮮半島のー部が一つの地域単位だったという説があるようです。
但し、任那は562年に滅亡。百済も660年頃滅亡し、その地の人々は王族なども日本に渡ってきているそうで、現在の朝鮮半島の人々のルーツの多くは北方のツングース系であることが遺伝学的なデータという「科学的な根拠」が示されていることで、判ってきたところです。つまり、飛鳥時代など7世紀頃まで日本と関わりのあった古代朝鮮半島からの渡来人と現在の南北朝鮮の人々は殆ど別民族であるということのようなのですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/0d/08f1d96fed82240cf2301abde17ac66e.jpg)
任那日本府
「事実は二の次韓国の歴史への願望と思い込み」https://www.sankei.com/column/news/150411/clm1504110003-n1.html
コメント
面白いところに目を付けましたね。
確かにくねくねの「蛇行剣」は、形状からして実用的武器ではないですね。また、通常の剣より炭素分が少なく柔らかい鉄で作ってあり、実戦用ではないことを裏付けます。
任那については、中国の正史である『宋書』や『隋書』に明記され、金石文である高句麗の広開土王碑文にも「任那加羅」が刻まれていますので、実在は間違いありません。
しかも日本の正史『日本書紀』に書いてあるのですから、「なかった」と日本の教科書が歴史事実をねじ曲げてはいけません。kamakuraboyさんのおっしゃるとおり朝鮮半島の蛇行剣はこの任那日本府におけるものでしょう。
蛇行剣は、破鏡や石棺の直弧文と同じく邪気を祓い死者を葬送するために使われたのではないかと思います。古墳には円墳・四隅突出墳・前方後円墳・八角墳など様々な形があるように、地域や埋葬方式によって葬送のアイテムが違うのだと思います。
2018/10/22(月) 午後 11:24 泉城
> 石田泉城さん
コメントをありがとうございます。「蛇行剣は、破鏡や石棺の直弧文と同じく邪気を祓い死者を葬送するために使われたのではないか」というご指摘は古墳などにお詳しい泉城さんならではです。「古墳の副葬品としてのみ確認されている」ということですし、恐らく埋葬者にとってそういった性格のもののようですね。
現在の高校の教科書(山川の詳説世界史など)から「任那日本府」の記述がなくなり「加羅(加耶)」とだけあります。韓国の人々にとっては朝鮮半島の南の一部が嘗ては倭国の一部だったとは認めたくないようですね。日本の中に彼らの意を汲んで教科書の記述を変えてきた勢力があるのだと思います。 削除
2018/10/23(火) 午前 2:12 kamakuraboy
> 石田泉城さん
先日(10月15日)「宮内庁と堺市は、来年の世界文化遺産登録を目指している「百舌鳥・古市(もず・ふるいち)古墳群」の一つ、仁徳天皇陵=大山(だいせん)古墳=の適切な保全のため、墳丘を二重に取り囲む堤のうち、内側の第1堤の一部を10月下旬から発掘調査すると発表」
「宮内庁は、陵墓への部外者による立ち入りや調査を『皇室の祖先の墓であり、静安と尊厳が必要』として厳しく制限してきた経緯があり、前例のない画期的な試みとなる」というニュースがありましたね。
今年の10月下旬からの発掘調査ということなのでしょうか。何か新しいことが判るのでしょうか。
2018/10/23(火) 午前 2:16 kamakuraboy
やはり世界文化遺産登録のためのアピールや盛り上げのために発掘調査を行うのでしょう。
それでもこれまで大山古墳の発掘は厳禁でしたから画期的ですね。
堤や周溝からは土器や埴輪の出土はよくあることなので、きっとなにかしらの遺物はあると思います。
2018/10/23(火) 午後 11:19 泉城 返信する
> 石田泉城さん
「世界文化遺産登録のためのアピールや盛り上げのために発掘調査」であっても、確かに許可が下りたということが画期的ですね。せっかくですから世界にアピールできるきちんとした学術調査をして頂きたいですね。そして何かしらの新しい発見があるとよいですね。
2018/10/23(火) 午後 11:37 kamakuraboy
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/44/9812a2d73c13836c329b6dd19e8ba59b.jpg)
上の写真は「蛇行剣」と呼ばれる、古墳時代中期から後期(5~6世紀)の古墳の副葬品として出土している鉄剣の「出土分布」を表した図です。南九州の古墳群から数多く(全体のおよそ半数)出土しており、九州地方と近畿地方の古墳群との違いの1つに、「蛇行剣」の多い少ないが挙げられ、九州のものは特有の墓制度である「地下式横穴墓」から、畿内のものは、大型の前方後円墳や、大型の円墳から出土しているそうです。
「蛇行剣」はその名前の通り、波状に屈曲した剣身をもった鉄剣ですが、剣身の屈曲回数は4~6回が多く、古いものほど明確な蛇行が認められているという傾向があるようです。古墳の副葬品としてのみ確認されており、実戦用の剣ではなく、「儀仗具」ではないかなどの説もあり、北限は新潟県、東限は栃木県、南・西限は鹿児島県、そして、韓国に一例のみ出土しているそうです。2017年現在で、総数70余例と少なく、謎の鉄剣として現在研究が進められているそうです。
海外では、韓国の一例を除いては「蛇行剣」の出土例の報告がなく、出土した場所にその地域の支配者がいたことを意味していることからも、この一例は、まさしく任那日本府 (朝鮮半島の日本領)という日本から渡っていった支配者が支配していたことの証左でもあります。なぜなら、古墳とは「支配者」の墓であるからです。
かつて古代日本は朝鮮半島を領有し、その地域は任那(みまな)と呼ばれ、1980年代までは日本の歴史の教科書にも載っていました。日本が朝鮮半島を領有していた事実は、「日本書紀」や、「三国志」などにも記録されているそうです。
ところが、古代朝鮮半島に日本領などなかったとする「朝鮮捏造史の押し付け教育」が始まって以来、日本の小中学校、高校でも教えられなくなっていました。朝鮮では、まとまった日本領などではなく、矮小化した「加羅」または「伽耶」という地域があった、とだけ教えているそうです。日本の歴史教育が1980年代から30年余り、かなりおかしくなって久しいことが憂慮されていましたが、2015年から、元に戻りました。そのとき例によってお隣の国は日本が「歴史歪曲している」と騒いでいたようですが。(下に参照記事を貼っておきました)
任那や百済の人々と日本の人々は言語で、今ほどの隔たりがなかく、古代の九州、対馬、朝鮮半島のー部が一つの地域単位だったという説があるようです。
但し、任那は562年に滅亡。百済も660年頃滅亡し、その地の人々は王族なども日本に渡ってきているそうで、現在の朝鮮半島の人々のルーツの多くは北方のツングース系であることが遺伝学的なデータという「科学的な根拠」が示されていることで、判ってきたところです。つまり、飛鳥時代など7世紀頃まで日本と関わりのあった古代朝鮮半島からの渡来人と現在の南北朝鮮の人々は殆ど別民族であるということのようなのですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/0d/08f1d96fed82240cf2301abde17ac66e.jpg)
任那日本府
「事実は二の次韓国の歴史への願望と思い込み」https://www.sankei.com/column/news/150411/clm1504110003-n1.html
コメント
面白いところに目を付けましたね。
確かにくねくねの「蛇行剣」は、形状からして実用的武器ではないですね。また、通常の剣より炭素分が少なく柔らかい鉄で作ってあり、実戦用ではないことを裏付けます。
任那については、中国の正史である『宋書』や『隋書』に明記され、金石文である高句麗の広開土王碑文にも「任那加羅」が刻まれていますので、実在は間違いありません。
しかも日本の正史『日本書紀』に書いてあるのですから、「なかった」と日本の教科書が歴史事実をねじ曲げてはいけません。kamakuraboyさんのおっしゃるとおり朝鮮半島の蛇行剣はこの任那日本府におけるものでしょう。
蛇行剣は、破鏡や石棺の直弧文と同じく邪気を祓い死者を葬送するために使われたのではないかと思います。古墳には円墳・四隅突出墳・前方後円墳・八角墳など様々な形があるように、地域や埋葬方式によって葬送のアイテムが違うのだと思います。
2018/10/22(月) 午後 11:24 泉城
> 石田泉城さん
コメントをありがとうございます。「蛇行剣は、破鏡や石棺の直弧文と同じく邪気を祓い死者を葬送するために使われたのではないか」というご指摘は古墳などにお詳しい泉城さんならではです。「古墳の副葬品としてのみ確認されている」ということですし、恐らく埋葬者にとってそういった性格のもののようですね。
現在の高校の教科書(山川の詳説世界史など)から「任那日本府」の記述がなくなり「加羅(加耶)」とだけあります。韓国の人々にとっては朝鮮半島の南の一部が嘗ては倭国の一部だったとは認めたくないようですね。日本の中に彼らの意を汲んで教科書の記述を変えてきた勢力があるのだと思います。 削除
2018/10/23(火) 午前 2:12 kamakuraboy
> 石田泉城さん
先日(10月15日)「宮内庁と堺市は、来年の世界文化遺産登録を目指している「百舌鳥・古市(もず・ふるいち)古墳群」の一つ、仁徳天皇陵=大山(だいせん)古墳=の適切な保全のため、墳丘を二重に取り囲む堤のうち、内側の第1堤の一部を10月下旬から発掘調査すると発表」
「宮内庁は、陵墓への部外者による立ち入りや調査を『皇室の祖先の墓であり、静安と尊厳が必要』として厳しく制限してきた経緯があり、前例のない画期的な試みとなる」というニュースがありましたね。
今年の10月下旬からの発掘調査ということなのでしょうか。何か新しいことが判るのでしょうか。
2018/10/23(火) 午前 2:16 kamakuraboy
やはり世界文化遺産登録のためのアピールや盛り上げのために発掘調査を行うのでしょう。
それでもこれまで大山古墳の発掘は厳禁でしたから画期的ですね。
堤や周溝からは土器や埴輪の出土はよくあることなので、きっとなにかしらの遺物はあると思います。
2018/10/23(火) 午後 11:19 泉城 返信する
> 石田泉城さん
「世界文化遺産登録のためのアピールや盛り上げのために発掘調査」であっても、確かに許可が下りたということが画期的ですね。せっかくですから世界にアピールできるきちんとした学術調査をして頂きたいですね。そして何かしらの新しい発見があるとよいですね。
2018/10/23(火) 午後 11:37 kamakuraboy