1985年8月12日乗員乗客520人が犠牲になった日航機123便の墜落事故から既に36年となります。
■未だに全てが開示されていない「ボイスレコーダー」の生データー
今年の3月末、遺族らが事故原因の真相を求めて「墜落機のボイスレコーダー(音声記録装置)とフライトレコーダー(飛行記録装置)の生データの開示」を求める民事訴訟を東京地裁に提訴。
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事故原因は修理ミスに起因する圧力隔壁の亀裂から発生した垂直尾翼の破損に起因する墜落事故なのではなく、「外部要因によって墜落させられた事件であり、それを隠すために組織的な隠ぺい工作が行われ、意図的に現場の特定や救出等も遅延された可能性がある」という疑惑の声が強い。
■墜落の直後の米軍の奇妙な動き
墜落現場の特定も、御巣鷹山の近くに住む地元の人々の目撃や、管制レーダーによる追跡で、実際には早い段階で特定できていたと指摘されている。しかも、事故直後に米軍のヘリが現場の上空を視察していたらしい。
米軍輸送機C130がJAL123便の異常を察知し、交信を傍受していたため、米軍横田基地から直ちに捜索開始命令が発せられ、20分後にそのC130が墜落現場を特定。
座間基地から救難へりUH-1も到着し、直ちにロープを下ろし救助を始めようとしたところで、横田から帰還命令が発せられ、口外することを止められたそうなのだ。
■握りつぶされた目撃証言
一方、目撃者らは墜落現場をいち早く伝えるため、あらゆる努力をしたものの、その声が全て無視され、事故現場の特定は(公式には)13日の午前5時と発表されており、実際に救助が行われたのは更に7時間以上も後である。
なんと墜落から15時間以上経過した翌日の12時過ぎに漸く、救助の自衛隊ヘリが現場に到着して4名の生存者の搬送を行っている。
■真夏で炎天下の中、信じられないほど遅かった救助
墜落現場が不明のまま夜が明け、翌日の13日、(生存者の)落合さんは地元の消防団員によって10時54分に発見されたが、それから灼熱の夏山の山頂で放置状態となった。生存者発見の通知をうけた日赤の医師2名と看護婦2名は、警視庁のヘリコプターで12時13分に現場上空に到着し、救命用綱で降下した。医師と看護婦による応急処置をしたのだが、その後まったく救護のヘリが来なかった。
山頂で生存者を見守る地元の消防団からも、「せっかく救助したのだから早く搬送してくれ、自衛隊のヘリに連絡してくれ」という声が次々上がる。医師も声を荒げながら「物資や自衛隊員の降下よりも、救助された生存者を搬送することを優先させてくれ」とその場にいた自衛隊員に詰め寄り、直接交渉をした。
やっと救護用ヘリが到着し、13時5分にようやく生存者のヘリへの収容が始まり、子どもから先にヘリコプターで機体に吊り上げられた。落合さんは最後に担架ごとクルクルと回転しながら13時28分に無事収容された。
生存者4名を収容した自衛隊ヘリのパイロットは15分で到着するはずの上野村の本部の場所がわからないという。そこで医師が必死に地図や地上の風景を見ながら場所を指示し、13時50分にようやく到着した。結局、「生存者発見から猛暑の炎天下で3時間以上もかかってしまった」と述べていたのは、4名を救出した前橋赤十字病院外科部長の饗場庄一医師である。
さらに上野村役場から救急車で2時間近くも揺れるのは大変危険だと判断をした饗場医師は、子ども2名を再度別のヘリに乗せた。最終的に生存者4名が藤岡の多野病院に着いたのは14時20分と記録されている。前日の18時56分28秒に墜落してから、すでに20時間が経過していた。なお、生存者は川上慶子さん(12歳)、吉崎美紀子さん(8歳)、吉崎博子さん(35歳)、落合由美さん(26歳)の4名である。
■「日航機墜落事故の生データの開示求め遺族2人が提訴 音声や飛行記録「情報を全て明らかに」 東京地裁 (上毛新聞2021年3月27日付)
乗客乗員520人が犠牲になった1985年の日航ジャンボ機墜落事故を巡り、遺族の2人が26日、日本航空(東京都)に対し、墜落機のボイスレコーダー(音声記録装置)とフライトレコーダー(飛行記録装置)の生データの開示を求める民事訴訟を東京地裁に起こした。原告側は記者会見し、「データは歴史的公文書で、事故の記憶を忘れないために活用されるべきだ」と訴えた。原告は、事故で夫を亡くした吉備素子さん(78)=大阪府=と、副操縦士だった弟を亡くした市原和子さん(84)=熊本市。訴状によると、2人は事故の解明を求め、それぞれ18年と20年の計2回、日航側へレコーダーのデータ開示を求めたが、「公的な調査目的以外の使用は禁じられている」などとして、いずれも拒否された。2人を含む遺族や関係者は昨年、事故の全容解明を求め、任意団体「日航123便墜落の真相を明らかにする会」を立ち上げ、吉備さんが会長を務めている。(後略)
■事故調が出した結論と矛盾する事実を専門家らが指摘。
航空機の構造(尾翼を守るフェールセーフなど)、差圧が下がったあとに垂直尾翼の内圧が上がることなどはあり得ず、圧力隔壁破壊のあとに垂直尾翼が飛散することは起こり得ないのだそうです。
また、生存者の証言などからも、客室内やコックピット内に急減圧が起こった様子がなく、つまり事故調が結論した事故原因そのものについて様々な矛盾があるようです。
また、開示されているボイスレコーダーからはコックピットと管制塔との交信会話など多くの音声が意図的に削除されているようです。
そもそも日航や日本政府は何故生データを開示出来ないのか?
参考になる動画
事故調が結論として発表している事故原因は矛盾だらけです
公開されている「ボイスレコーダー」はコックピットと管制塔とのやりとり、など多くの会話が削除されたものでした。
■「TRON」プロジェクト潰しが背景にあった?
1983年頃から坂村健教授(当時は東京大学助手)が提唱し日本独自のOS開発プロジェクト「TRON」プロジェクトに携わっていた松下電機(現パナソニック)の技術者17名の方々も123便に乗っており、この墜落事故で全員死亡したため「TRON」の開発が一時期止まってしまった。
こうしたこともあり日航機墜落事故には様々な疑惑が今でも囁かれています。
「TRON」とは「The Real-Time Operating System Nucleus」の略で、TRONプロジェクトは1983年頃から当時東京大学助手だった坂村健教授が提唱して開始途中の日本独自のOS開発プロジェクトだったそうで、 学校教育用標準OSとして開発されていたそうです。
この事故のすぐ後の85年9月22日に「第二の敗戦」といわれる「プラザ合意」が先進5か国 (G5) 蔵相・中央銀行総裁会議で合意され、90年代のバブル経済とその崩壊が起こり、2000年代にはGDPの成長率0の「失われた20年」に入っていきました。
もしも85年8月12日に123便が墜落せず、死亡した技術者らによって「TRON」プロジェクトが早い時期に完成していたならば、恐らく日本の標準OSは「TRON」だったはずで、そのOSが世界標準をとっていたかもしれません。
WindowsのOSが土台となっているGAFAMによる世界の情報支配の構造は現状とは全く変わったものだったのかもしれません。
因みにWindows登場以前のマイクロソフトのOSとして有名なものにMS-DOSがあり、MS-DOSは現在のWindowsやMacのようにGUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェース)ではなくCUI、キャラクターベース、すなわち文字列を操作するタイプのOSだったそうです。マイクロソフトは「TRON」に比べてかなり遅れていたようです。
現在のようなWindowsのOSの製品としての完成発売はその10年後の1995年でした。
■その後も生き続けた日本の「TRON」は世界最強のOSになっていた
現在、実は「TRON」の技術はJAXAの「はやぶさ」でも使用されていたように、GPSを搭載したカーナビ、車内温度を一定に保つカーエアコン、エンジン回転数や排ガス温度などを測定して最適量のガソリン供給するインジェクション、障害物を探知して作動する自動ブレーキなど、非常に多くのセンサーや作動部品を統御する頭脳として数多くの車載コンピューターの制御にTRONが使われているそうです。
引用元:
こんばんは
未だにボイスレコーダーとフライトレコーダーの全てが開示されていないとは驚きです。
遺族には知る権利があるでしょうし、これだけの事件ですから公表されてしかるべきですね。
何かを隠したい思惑があるように疑われても仕方がありません。
半導体事業について、欧米中は、巨額の補助金支援で事業を促進しているにもかかわらず、日本は、民間企業任せでパナソニックの半導体部門は格安で外国資本に奪われてしまうなど逆行しています。
日本の先進技術が台頭すると必ず事件が起こるような気がします。
TRONの技術者の損失は大きく、MS-DOSに対抗した日本版OSは立ち後れてしまいましたね。
地元の目撃者が複数いたため、事故現場の特定は早い段階で特定出来ていたはずなのに、生存者は奇跡的に助かった4名のみで、多くの助けられたはずの命が見殺しになったことはまちがいありません。
それほど大きな意図的な力が働いたということのようです。
国産のOS「TRON」の開発が止められたことの経済的損失は計り知れませんが、それ以上に、現在のイージスシステムにも使われているOSが米国製であることから、どんな意図が働いたのかは十分推測できます。
事件の内容は違いますが、結果は安倍元総理の場合と同じで、邪魔な人間を排除して前進できなくすること。
そのためには虫けらのように平気で人を殺す。
007やMIPなどの映画で見られることは、一般時にはわかりませんが日常茶飯事で、当たり前に行われることなのでしょう。戦争は占領という形で続いているのですね。
帝国主義の時代とは形は違いますが、日本はDSの「経済植民地」といわれていますよね。
安倍元総理はプーチンと意気投合し、日露の平和条約締結を目指していましたし、安保では”クワッド”を提唱しながらも、中國の一路一帯政策にも協力姿勢を表明する、という矛盾した立場をとっていましたから、結局はDSから排除されてしまったようです。
それ以外の要因もあったのかもしれませんし、実際に2022年7月8日には少なくとも本人が亡くなったわけではなく、恐らく2年前に死亡していたといわれています。末期癌だったそうですが、毒殺されたのだとか。そっくりな影武者とCGで一般国民の目は欺かれ続けていました。
先日のペロシ下院議長の映像なども台湾のニュース映像はCGで合成したもののようですし、来日したのは本人ではないように。