戦前戦後、古くは江戸期頃から「日本人論」というテーマで内外の研究者達によって文化人類学や社会学的研究として多くの「日本人論」著作が生み出され、近年では遺伝子のレベルでのアプローチによって「日本人」とはどのような集団なのかを探ろうとする試みが活発になってきた。
特に「世界最古」の土器といわれるおよそ1万6500年前の「縄文土器」が日本からのみ数多く出土していることなどからも「日本人」の祖先である「縄文人」などに近年熱い注目が集まっている。
母系のみをたどるミトコンドリアDNA解析に対し、父系をたどるY染色体解析は長期間の追跡に適しており、1990年代後半からY染色体ハプログループの研究が急速に進展したといわれ、今回はこの話題をもう1度振り返ってみることに。
■Y染色体ハプログループの研究
ヒト Y染色体のハプログループ(型集団)のDNA型はAからTの20系統があり、その中でもD系統は極めて稀な系統で、日本人が最大集積地点とされ、ハプログループDが人口比に対して高頻度で見つかるのは日本、チベット、アンダマン諸島などの世界の中の限られた地域でしか見つかっていない。 (下の図の緑)
(上記の画像はインターネット上の画像をお借りしました)
日本やチベット、アンダマン諸島といった地域ではハプログループDが高頻度で受け継がれており、日本では約4割の男性がハプログループD(D1a2 38.8% D1a1 0.4%)という結果であった。
このハプログループDは、
日本列島 (南西諸島を含む)で平均約40%
チベットで平均約47%
アンダマン諸島(インドの東ベンガル湾んに浮かぶ島々)など
に観察されるほかは、アジア、アフリカの極めて限られた地域で散発的にしか見つかっていないらしい。
系統樹
2019年6月19日改訂のISOGGの系統樹(ver.14.106)による
- DE (YAP)
- D (CTS3946)
- D1 (M174/Page30, IMS-JST021355)
- D1a (CTS11577)
- D1a1 (F6251/Z27276)
- D1a1a (M15) チベット等
- D1a1b (P99) チベット、モンゴ]、中央アジア等
- D1a2 (M64.1/Page44.1, M55) 日本(大和民族、アイヌ、琉球民族)
- D1a3 (Y34637) アンダマン諸島(オンゲ族、ジャラワ族)
- D1a1 (F6251/Z27276)
- D1b (L1378) フィリピン(マクタン島、ルソン島)
- D1a (CTS11577)
- D2 (A5580.2) ナイジェリア、サウジアラビア、シリア
- D1 (M174/Page30, IMS-JST021355)
- D (CTS3946)
ハプログループDは、中国、朝鮮やその他東アジアにおいて多数派的なハプログループO系統や、その他E系統以外のユーラシア系統(C,I,J,N,Rなど)とは分岐から7万年以上の隔たりがあり、非常に孤立的な系統といわれる。
D系統は東アジアにおける最古層のタイプと想定されている。日本と遠く西に離れたチベット人という両者を隔てる広大な地域に、アジア系O系統がその後、広く流入し、島国日本や山岳チベットにのみD系統が色濃く残ったためこのような分布になったと考えられている。
なお、ハプログループDと同じくハプログループDEから分かれたハプログループEはアフリカ大陸で高頻度、中東や地中海地域で中~低頻度に見られる。ハプログループDEは共にYAPと呼ばれる変異の型に定義される。
■アリゾナ大学のマイケル・F・ハマー (Michael F. Hammer) の仮説
彼はY染色体のハプログループ研究の内、YAPハプロタイプ(D系統)に注目し、チベット人も南北琉球同様50%の頻度でこのYAPハプロタイプを持っていることを根拠に、「縄文人の祖先は約5万年前に中央アジアにいた集団が東進を続けた結果、約3万年前に北方ルートで北海道に到着した」とする説を提起した。
■最終氷河期の世界
7万年前に始まって1万年前に終了した氷期のことを最終氷期と呼ぶが、この時期は氷期の中でも地質学的、地理学的、気候学的にも最も詳しく研究されており、気温や、大気・海洋の状態、海水準低下により変化した海岸線など緻密な復元が進んでいる。
最終氷期の最盛期には、数十万立方キロメートルといわれる大量の氷がヨーロッパや北米に氷河・氷床として積み重なった。海水を構成していた水分が蒸発して降雪し陸上の氷となったため、地球上の海水量が減少、世界中で海面が約120メートルも低下した。その影響で海岸線は現在よりも沖に移動していた。
この海水準がもっとも低下した時代、東南アジアでは現在の浅い海が陸地になっており「スンダランド」を形成していた。アジアとアラスカの間にはベーリング陸橋が形成され、ここを通って北アメリカに人類が移住したと信じられている。
■最終氷河期の日本列島
日本列島およびその周辺では、海岸線の低下によって北海道と樺太、ユーラシア大陸は陸続きとなっており、現在の瀬戸内海や東京湾もほとんどが陸地となっていた。また、東シナ海の大部分も陸地となり、日本海と東シナ海をつなぐ対馬海峡もきわめて浅くなり、対馬暖流の流入が止まったと言われている。
この影響もあり、日本列島は現在より寒冷で、冬季の降雪量が少なかったと考えられている。当時の気温は年平均で現在よりも約8℃も低く、日本アルプスや日高山脈の高山には山岳氷河が、北海道では永久凍土やツンドラが発達し、針葉樹林は西日本まで南下していたと言われている。
氷期が終わり、海水面上昇によって,陸橋はつぎつぎと 失なわれ,日本列島は大陸から切り離されて大陸から孤立して現在に至った。
東ユーラシアの中で、地政学的に孤立した地域である島国日本と標高が高く別系統が侵入しにくかったチベットにおいて希少な古層のハプログループDが保存されたということが想像できる。
■ハプログループD
ハプログループD1a2は日本に多く見られる系統であるが、あとから日本列島にやってきた別系統との交雑によって出現率に地域差が生じ、アイヌで88%、沖縄で56%、本州42~ 56%などとなっている。
「ハプログループD1a2は東アジアでは日本独自のもの」という結果と非常に類似した内容の研究結果が、2016年に国立遺伝学研究所の斎藤成也教授のグループによる「縄文人と現代東ユーラシア人との遺伝的近縁関係(注)」を調べたものあるし、このことが意味しているのはどうやらハプログループD1aは縄文人に所縁の父系遺伝子なのではないかという仮説。
Y染色体ハプログループD1aは「縄文人の父系遺伝子と推定できるが、近年の遺伝子調査により、アイヌは縄文人の単純な子孫ではなく、オホーツク人等の北方民族とも混血しており、複雑な過程を経て誕生したことが明らかになっている。
(注)国立遺伝学研究所の斎藤成也教授のグループの縄文人研究
2016年に、福島県・三貫地貝塚から出土した100体を超える人骨から男女2体の頭骨(東大総合研究博物館所蔵)を選び出し、奥歯(大臼歯 きゅうし)1本ずつを取り出して提供された検体から、縄文人の核ゲノムDNAの塩基32億個の内、1億5000万個の解読に成功し、東京周辺の本土人(ヤマト人)や他の東ユーラシア人と比較解析した研究結果である。
斎藤成也教授は「東ユーラシア(東アジアと東南アジア)のさまざまな人類集団のDNAと比較して、中国・北京周辺の中国人や中国南部の先住民・ダイ族、ベトナム人などがお互い遺伝的に近い関係にあったのに対し、三貫地貝塚の縄文人はこれらの集団から大きくかけ離れて」おり、(これまでは縄文人は東南アジアの人たちに近いと思われていたが)、核DNAの解析結果が意味するのは、縄文人が東ユーラシアの人々との中で、遺伝的に大きく異なる集団だということが判明した」と述べており、これはハプログループD1のアジアにおける特異性ということと一致している。
国立遺伝学研究所斎藤成也教授の研究チームの発表した解析結果の画像
引用:
YAP遺伝子がみられるのはD系統とE系統だそうですが、東アジアでは中国人にも韓国人には殆どみられず、みられるのは日本人のみです。そして実は全世界のユダヤ人の20~30%はE系統でやはりYAP遺伝子をもっているそうです。
また、これらの分子遺伝学的なアプローチと、言語論によるアプローチを重ね合わせてみると面白く、例えば、
コマル(困る)―コマル(困る)
スワル(座る)―スワル(休む)
イム(忌む)―イム(ひどい)
ハラウ(払う)―ハーラー(遠くへ捨てる)
ヤスム(休む)ーヤスブ(座る)
カバウ(庇う)ーカバァ(隠す)
ホシク(欲しくなる)ーホシュク(欲する)
ツライ(辛い)ツァラー(恨み、災難)
ダメ(駄目)―タメ(駄目、汚れている)
イツ(何時)―イツ(何時)
アリガトウ(ありがとう)―アリ・ガド(私にとって幸運です)
上の左が日本語右はヘブライ語だそうです。
「アリガトウ」を「有難う」と書くのは万葉仮名などと同じように当て字で、本当は「アリガトウ」「=私にとって幸運です」で意味が重なっているようです。
戦前、大山祓神社の宮司だった三島敦雄氏がという方が書いた『天孫人種六千年史の研究』という書物は「日本人オリエント交流説」を提唱した内容で、昭和11年以降に100万部近い超ベストセラーになり、昭和10年代には、帝国陸軍大学と陸軍士官学校の課外読本に採用されて「ペルシャ作戦」「アラブ侵攻計画」といった机上のシミュレーションまでなされたとも言われているそうです。皇国史観などを問題にしたためか、戦後にGHQによって焚書されたそうですが、復刻版が出ているようですね。
拙ブログの「日本人シュメール起源説とは」のコメントの中でもそのあたりのことを少し書いております。
天皇家の親王様がオリエント学を専攻されて、研究なさっておられるくらいなので、天皇家の古文書の中に何か非常に関連を示す文献があるのかもしれません。
「日本人がどこから来たのか」は我々にとって非常に興味深いテーマですね。
八咫鏡の裏に「ヘイェ・アシェル・エヘイェ(我は在りて有る者)」というヘブライ語の文字があったという話も有名ですね。その文字のことで三笠宮崇仁親王が「・・・・自分で問題の鏡を見ることはできない。なぜならば今日でも、鏡と玉と剣の三種の神器は、皇居内の奥深い聖所から取り出すにはあまりに恐れおおいと考えられており、天皇すらも鏡を見たことがあるとは思われぬので、宮内庁の記述か、口述か、いずれかの報告を基礎にして、自分が調査書を作成することになろう・・・・」と語られておられたそうですが、お調べになったとも、出来なかったとも語られなかったそうです。
そのようなこともあり、戦後の昭和27年には元海軍大佐の犬塚惟重を会長として、「日猶懇話会」という団体が結成されていたそうです。イスラエル大使などは四国の剣山に登られたりなさっていますね。動画があります。
https://youtu.be/Jmg2FFAjyFA