eternalturquoiseblue

日本人として日々の暮らしの中で思うこと、知りたかったこと

日本の大地震記録と「日本列島の誕生」の解説映像

2019-05-11 11:36:16 | 科学
昨日10日8時59分頃、九州の宮崎県宮崎市と都城市などで震度5弱の地震がありました。気象庁によると震源地は宮崎県沖の日向灘、震源の深さは 約20~25km、地震の規模はマグ二チュード6.3と推定。近畿、中四国、九州の広範囲で震度1~4の揺れを観測。本日11日8時59分頃にも同じ震源で最大震度4の地震がありましたが、今回も津波の心配はないそうです。
 
気象庁は記者会見し、震源は南海トラフ地震の想定震源域内だが、直ちに巨大地震につながるものではないとの見解を示したようです。

引用:https://www.chunichi.co.jp/s/article/2019051001000944.html 


以下は以前、ヤフーブログに投稿した記事より(2018/9/3(月) 午後 0:26)

東日本大震災以来、「先人の教え」を防災に活かす動きが各地で広がり始めているといわれています。有史以来、日本は巨大地震や大津波を何度も経験してきました。

災害を記した古文書は、日本書記、日本三大実録、方丈記など数多くあるようです。例えば日本書記には、允恭5年(416年)の日本最古の地震記録が記されている他、天武7年(679年)の筑紫地震、天武13年(684年)の白鳳地震の記述があるそうです。

この「白鳳地震(天武地震とも)」は大化の改新(645年)、白村江の戦い(663年)に続く壬申の乱(672年)という皇位継承を巡る古代最大の内乱後に起きたため、その混乱ぶりはどれほど大きかったか想像されますが、マグニチュードM8.4~M8.3 などと推定されているようです。(東日本大震災の規模:モーメントマグニチュードMw9.0 )

根拠としては畿内から土佐と広い範囲に被害が及んだ「南海トラフ」沿いの巨大地震と推定されるものの、断片的な各地の被害の記録しか有していない「歴史地震」であるため数値は不確定だとか。しかし、紀伊半島沿岸で発見された津波堆積物から本地震の規模が超巨大であった可能性も推定されているそうです。


そもそも、何故日本には地震が多発するのかといえば、それはよく知られているように、地震の発生原因は地球表面を覆っている「プレート」が移動することで、日本列島が「プレート」境界上にあるからというものなのです。


日本付近の震源として千島海溝~日本海溝付近で非常にたくさんの地震が起きており、また、南海トラフ沿い(四国・九州~沖縄へ)も多い。日本付近で解放される地震のエネルギーは、世界中で起きている地震のエネルギーの約10%にもなるそうです。


引用:https://www.s-yamaga.jp/nanimono/chikyu/jishin-03.htm
   
    
日本列島がプレート境界上にあるのは「日本列島の誕生」そのものから来ているようです。以下、「日本列島の誕生」という動画を参考に貼っておきます。


「日本列島の誕生」の解説映像①~③
①:日本列島の誕生 1/3
②:日本列島の誕生 2/3
③:日本列島の誕生 3/3

(第1話の内容)
地球の表面は10数枚のプレート(マグマが冷えて厚さ数十キロの巨大な岩盤となったもの)からなり、様々な方向に動いている。海底だけでなく、大陸も動いているのだ。マグマは鉄分を含むので冷えて岩石になるときに地球の磁場の影響で磁気を帯びる。この磁気はその後消えることなく、岩石の生まれたときの「方向」を保ち続ける。


地球の磁場は長い間には度々南北が逆転してきた。岩石の記憶する磁気の方向を調べれば生まれた年代が判る。海底の地磁気を調べてみると、海嶺を軸に左右対称に地磁気の逆転が記録されていた。この縞模様から海底の出来た年代と移動速度が判ったのである。


太平洋プレートでいえば、東太平洋海嶺で生まれてから日本付近まで移動するのに約1憶6千万年かかっていた。プレートはやがて列島の手前で沈み込み海溝をつくる。これは日本列島の誕生とどう関係しているのだろうか。


西日本の太平洋岸では縞模様の地層がよくみられる。砂岩と泥岩の積み重なった地層が荒々しくそそりたち、ときには褶曲している。沖縄から関東まで延々1500キロに及ぶこの地層は「四万十帯」と呼ばれている。変形が激しく年代を決める手がかりに乏しく謎の地層とされてきた。この「四万十帯」が実は日本列島の謎を解くカギを秘めていたのである。


「四万十帯」の多くは海の底に砂と泥が交互に堆積した砂泥互層である。この砂の層を顕微鏡でみると全て陸地をつくる花崗岩の破片である。風化が少ないことから一挙に堆積したことが判る。一方泥の層を顕微鏡でみると断面は細かい砂と泥が縞模様を作り静かにゆっくりと堆積したことが判る。堆積の速度が周期的に変化する場所とはどのような場所だろうか。


1982年、国際共同研究として四国の沖水深4800メートルの海底が掘削された。南海トラフ呼ばれる浅い海溝の構造を調べて「四万十帯」の謎に迫ろうとするものである。


海底の堆積層が長さ650メートルの柱として掘り出された。その上層550メートルは30センチ程の砂の層5センチ程の泥の層が交互に重なっている。この砂の層を顕微鏡でみると火山を起源とする砂粒が沢山含まれていた。



四国にはここ170万年の間に活動した火山はない。この火山性の砂がどこから来たものであろうか。南海トラフの砂と比較するために九州から伊豆半島に至る川や浜辺の砂が調べられた。その結果、南海トラフの砂は四国の河の砂よりも富士川によく似ており、化学組成を分析すると伊豆箱根に特徴的な火山岩も含まれていた。約600キロも離れている砂が何故南海トラフに堆積したのであろうか。


(第2話の内容)
富士川の源流は激しく隆起し続ける南アルプスである。山は侵蝕され土砂は富士川などを経て駿河湾に堆積する。この堆積物は巨大地震を引き金にして雪崩のように海底を移動する。いわゆる「乱泥流」である。移動速度は毎時30キロ。駿河湾付近では周期的に大地震が起こり、大量の堆積物が乱泥流となって600キロを一挙に運ばれ、南海トラフに約30センチの砂の層をつくる。


500年毎に乱泥流が繰り返され、その後はゆっくりと泥が降り積もる。こうして55万年かかって南海トラフの堆積層がつくられてきた。同じように四万十帯の砂泥互層も、大昔の海溝に積もった乱泥流堆積層から出来たと考えられる。四万十帯は「下の地層ほど新しい」ということが判り謎とされてきた。


1970年代、堆積岩に含まれる微小な化石を取り出す方法が開発された。採集したサンプルにフッ化水素(3%のHF)を加えて岩石の表面を溶かす。時間が適当だと岩石だけが溶けてプランクトンの化石が残る。これを顕微鏡下で拾い上げて菌を蒸着して電子顕微鏡で観察する。膨大なサンプルを研究した結果、放散虫というプランクトンの年代的な変化が明らかになった。こうして放散虫化石の種類によって地層の年代を決定できるようになった。


フィリピン海プレートは年間3~4センチの速度で南海トラフに沈みこんでいる。1980年反射式人工地震波によって南海トラフの地下構造が調べられた。乱泥流堆積層はモデル実験でみたように断層で断ち切られ褶曲していた。圧縮され断層で切られた地層は陸地の下側へ次々に押し付けれれていく。こうして付加した地層はやがて隆起して陸地に現れる。「下の地層ほど新しい」という四万十帯の謎はこうして解けた。


ところで、岩石に記憶された地磁気は年代を示すだけではない。水平面との傾き、いわゆる伏角を測ると、その岩石の誕生した場所の大まかな緯度が判る。四万十帯の伏角を測るとまた、不思議な事実が明らかになった。四万十帯には様々な年代の岩石が入り混じる特殊な地層があったのである。生まれた年代も環境も様々な岩石が同じ場所に混在する地層を「メランジュ」という。生まれの違う岩石が一体どのようにして混ぜ合わされたのであろうか。


(第3話の内容)
1億3000万年前、赤道付近の海嶺で枕状溶岩が生まれ、「ナンノプランクトン」からなる石灰岩が堆積し、中緯度海域にくると放散虫の殻がチャートをつくり、風で運ばれた赤い粘土が頁岩(けつがん)をつくる。陸地に近付くと泥や火山灰が積もり乱泥流堆積物も乗る。これらの堆積層はプレートからはぎ取られて「付加体」となり、やがて隆起して地上に現れる。1億3000万年の時間と3000キロ距離で培われた岩石がプレートの運動で混ぜ合わされて今ここにある 「日本列島そのものが『付加体』かもしれない」という結論。日本列島は壮大な「付加体」の寄せ集めなのだ。


更に日本列島で最も古い岩石を含む「黒瀬川構造体」を見てみると、高知県横倉山に約4億年前の浅い海に堆積した凝灰岩の地層があり、ここの三葉虫の化石は4億年前のオーストラリアの三葉虫の化石によく似ており、また鱗木の化石はここと、オーストラリアと南中国にのみ見られるものであった。理化石や古地磁気の研究によってアジア各地の岩石の生まれた場所と移動の歴史が次第に明らかになった。


4億2千万年前、アジアの大部分は赤道付近にあって、その後プレートの運動によってアジアを作る大陸のかけらが北上していった。2億年前、北半球ではいくつもの「大陸のかけら」が衝突してアジア大陸がつくられた。そのへりに大陸のかけらが衝突、付加して、黒瀬川帯などがつくられ海溝では秩父帯などの付加体が形成された。1億3000万年前、(イザナギ)プレートの北上によって大陸のへりに横ずれ運動が起こり、長さ1千キロに及ぶ付加体が大断層に沿って移動し中央構造線が出来上がった。7千万年前、(イザナギ)プレートの沈み込みによって四万十帯の付加が始まった。こうして赤道付近に生まれた海洋プレートがアジア大陸のへりに様々な地層を運び、海溝で混ぜ合わされて、日本列島の土台がつくられたいった。


1900万年前、大陸のへりの地溝帯に海が浸入して海底の拡大が始まり、僅か200万~300万年で日本海が出来上がった。800万年前水没していた東北日本は太平洋プレートの沈み込みで隆起した。(その境界線が糸魚川・静岡構造線)その後、伊豆・小笠原孤の高まりが衝突・付加して丹沢山地などをつくった。50万年前、伊豆半島の衝突が始まり、その力で本州に褶曲山脈(関東山脈、赤石山脈など)つくられた。


伊豆半島は巨大な海底台地の一部に過ぎない。伊豆・小笠原弧の高まりは次々に本州に衝突してくる。海洋プレートの沈み込みでもたらされる水分の作用でマントルが溶け火山列をつくる。そこで火山列は海溝に平行して存在することになる。地震の震源が海溝に平行して分布するのもプレートの沈み込みによって歪が溜まるためである。今も日本列島の沖、百数十キロメートルの海溝には海洋プレートが沈み込み付加体を作り続けている。











最新の画像もっと見る

4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (weeping-reddish-ogre)
2019-06-15 21:53:01
広い地球と長い時間の中で繰り広げられてきた歴史を説明していただきました。
地球のことも時間のことも、不勉強なわたしにとっては初めて知ったことばかりでした。

遠い昔、太陽の回りに無数にあっただろう(動きの小さな)たくさんの星は太陽の大きな引力に引き寄せられて飲み込まれていったはずです。
また、回転のスピードが大きかった星は遠心力で太陽系外へと飛んでいったことでしょう。
地球は、偶然にも引き寄せられる引力と公転や自転による遠心力が釣り合ったことで、現在の位置を保つことができました。

そして、この自転によって西から東に動く力と、広い海の底を上から下に押し付ける海水の力(重さ)によってできる「ゆがみ」がkamakuraboyさんのご説明の本質的な原因なんですね。
ということは、地球が太陽の周りを回り、海の水がある限り、地震はなくならないっていうことなんですね。

くどい説明になってしまいまして済みません!
返信する
こんんばんは (kamakuraboy)
2019-06-16 02:54:00
コメントをありがとうございます。これはyou tubeで見つけて、面白い解釈だと思ったので、解説映像の音声を文字化したものです。気が遠くなるような時間をかけて誕生したのが日本列島ですね。地震は海底の地殻変動が原因なので、地球が「生きている」限り、なくならないし、日本列島は沢山のプレートの境目にあるので、地震が頻発するのでしょうね。
返信する
Unknown (weeping-reddish-ogre)
2019-06-16 18:28:05
このようなことを書いたのでは不愉快に思われるかも知れませんが、もしかしてkamakuraboyはわたしが入れたコメントの内容が十分には理解できていらっしゃらないのではないのでしょうか…?

P.S このコメントは内緒のままにしておいてください。
返信する
ごめんなさい (kamakuraboy)
2019-06-16 19:42:50
真夜中にコメントを見つけてお返しをしたので、泣いた赤鬼さんのコメントの内容は租借せずにコメントを書いてしまいました。ごめんなさい。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。