2018/10/28(日) 午後 6:50
昔、奥入瀬渓谷の紅葉を見に行き、帰りの飛行機がたまたま三沢空港からの出発便で、空き時間に三沢空港の近くの「寺山修司記念館」を見学した記憶があります。
寺山修司(1935年~1983年)は青森県出身の歌人、劇作家。映画脚本など。早大文学部国文学科中退。代表作「われに五月を」「田園に死す」。演劇実験室「天井桟敷」主催。
ところで、「あしたのジョー」(1968~73年「週刊少年マガジン」で連載され70年~71年、80年~81年にTVアニメとして放映された)といえば寺山修司。主人公の矢吹丈のライバルの力石徹が丈と戦った試合後にクロスカウンターパンチが致命傷となって死亡したときに実際の葬儀まで行ったというほどの入り込みようで、ご本人が作詞したOPは孤児院を脱走してグレて少年院で過ごした少年時代の丈の悲しみを歌った名曲。昭和の香のするスポ根アニメの金字塔です。原作は「巨人の星」と同じ梶原一騎、漫画はちばてつや。平成生まれの方々はTVで視たこともないと思いますが。今年は漫画連載開始から50周年とかで、記念サイトが出来ています。
「あしたのジョー」記念サイト
https://joe-50th.com/
あしたのジョー(1970年昭和45年)OP歌詞:寺山修司
https://youtu.be/lHgKu5o0xEg
寺山修司が作詞をてがけた代表曲「時には母のない子のように」(1969年昭和44年)。物悲しい歌詞が印象的な曲です。歌っていたのはカルメンマキという歌手で、WIKIで調べてみると彼女はアイルランド人とユダヤ人の血を引くアメリカ人の父と日本人の母との間に生まれ、神奈川県鎌倉育ち。高校中退後寺山修司が主宰していた「天井桟敷」の舞台「青ひげ」をたまたま鑑賞し感銘を受け、即入団を決意したそう。初舞台は「書を捨てよ町へ出よう」で、CBSソニー関係者の目にとまりにスカウトされ17歳で歌手としてこの曲でデビュー。
「時には母のない子のように」(1969年昭和44年) 歌詞:寺山修司
https://youtu.be/Iyf3Qy9Ro5I
コメント
寺山修司は実に特異な詩人でした。乙女チックなタイトルで数々の詩を書いて居ますね。歌謡曲の歌詞では、僕が18歳だった1969年に、カルメン・マキが低い擦れた声で歌っていた「時には母の無い子のように」とか70年代のフォークソングとして歌われた「戦争はしらない」とか、著作では「誰か故郷を思わざる」「家出のすすめ」とか、実にユニークな詩人でした。彼の最初の出発は短歌でしたし高校生の頃のことです。「誰か故郷を思わざる」は、読みやすいアンソロジー風のテーマを、幾つも書き継いだものですが、中には衝撃的な事も書いてありましたね。虚構だとは思いますが。彼は既に、高校の頃より腎臓が悪くネフローゼ気味であったらしいです。今ならば腎移植も可能なのでしょうが。「故郷の訛り無くせし友といて、モカコーヒーはかくも苦し」 削除
2018/10/28(日) 午後 8:57 [ 井頭山人(魯鈍斎) ]
懐かしいです。
異色の歌手ですね。
カルメンマキはジャニス・ジョプリンに影響を受けて歌手になったそうです。
ジャニスジョップリンは若くして亡くなってしまったロック&ブルースの歌手でアルバム「パール」が秀逸で泣けます。
そしてジャニス・ジョップリンとくれば、やはりキャロル・キングのアルバム「つづれ織り」がこれまた秀逸です。どの曲もいいですが、その代表曲を聴いてみてください。
You've Got A Friend / Carole King
https://www.youtube.com/watch?v=I9vaEBS3l1w
2018/10/28(日) 午後 9:08 泉城
> 井頭山人(魯鈍斎)さん
こんばんは。コメントをありがとうございます。私が寺山修司に興味をもったのは学生時代に「田園に死す」をビデオでみたことがきっかけでした。お話しの詳細は覚えていないのですが、少し過激な表現が衝撃的でした。
そして、カルメンマキの「時には母のない子のように」は実写スポーツドラマ「サインはV」の中でジュン・サンダースというキャラクターのBGMで使われていたのを何度も何度もドラマの中で耳にしたことからです。ジュン・サンダースの役を若き日の范文雀さん(2002年に54歳で没)を演じていました。子供心に何か生い立ちによる運命的な孤独というものの深さを感じたりしました。
寺山修司さんは83年に43歳の若さで死没しておられますね。肝硬変→腹膜炎→敗血症だったそうです。仰るように俳句や短歌から出発した人物で「昭和の啄木」という異名があったそうですね。
2018/10/28(日) 午後 9:42 kamakuraboy
> 石田泉城さん
こんばんは。コメントをありがとうございます。流石に音楽の造詣が深い泉城さんですね。17歳のデビュー当時のカルメンマキの大人びた表情を古い映像で視ていて、昭和の歌手の方々は総じて若くして大人びた方が多かったと思いました。山口百恵さんも14歳でデビューしてわずか21歳で引退しているわけですし。
今ご紹介して下さったYou've Got A Friend / Carole King、を聴いてみました。有名な曲のようですね。私も過去に聴いたことがあります。この歌の歌詞のように「Close your eyes and think of me and soon I will be there」と言ってくれる素晴らしい異性の友人がいたら素敵ですね。
2018/10/28(日) 午後 10:04 kamakuraboy
「時には母のない子のように」を拝聴して大昔に戻り♪ミミレミで始まる音譜を思い出しました。
寺山修司さんの作詞とは初めて知りました。
2018/10/29(月) 午前 1:41 jinsen99
> jinsen99さん
おはようございます。寺山修司さんの代表作です。彼は10歳で父親を亡くし、その後母の親類の家に預けられ、13歳の時に母が仕事のために故郷の青森から福岡に移っており、そういう生い立ちから両親と縁の薄い「精神的な孤児」のような方だったようです。
2018/10/29(月) 午前 6:19 kamakuraboy
こんばんは。
あしたのジョーのOPの歌詞は寺山修司だったんですね~知りませんでした。梶原一騎の作詞だとばかり思ってました。梶原一騎、真樹 日佐夫兄弟はとんでもない極道者ですが、名作をたくさん残してますね~楽しませてもらいましたナイス♪
2018/10/29(月) 午後 5:53 [ たくま ]
> たくまさん
コメントをありがとうございます。「あしたのジョーOPの作詞は寺山修司」ということは意外とあまり世間で認知されていないようですね。彼は詩人でもあり、「サンドーバッグに浮かんで消える」で始まる冒頭の歌詞などかなり情感のこもった名詩だと思います。
2018/10/29(月) 午後 6:57 kamakuraboy
kamakuraboyさん、こんばんはー
ナイスどうもありがとうございました
沖縄から戻られたのですか?
リラックスできましたか
最近、ブログアップもあまりないし、俺のブログにも来て下さらないので
忙しいのかなあと思っていました
出来ましたらまた俺のブログ記事にコメントしてください
ではまた
2019/1/8(火) 午後 11:35 [ 桑の実 ]
> 桑の実さん
こんばんは。コメントをありがとうございます。年末年始、家を留守にしてあまり掃除をせずに新年を迎え、年賀状も1月3日から「筆まめ」で書き始め、子供の冬休みの宿題もいまだに終わっていないという有り様でございまして、今日は私の仕事始めもでもあり、数日間ブログ記事を書く時間がちょっとなかったというところです。
桑の実さんの記事に、思いついた感想コメントを書かせて頂きにまた参ります。
2019/1/8(火) 午後 11:54 kamakuraboy
昔、奥入瀬渓谷の紅葉を見に行き、帰りの飛行機がたまたま三沢空港からの出発便で、空き時間に三沢空港の近くの「寺山修司記念館」を見学した記憶があります。
寺山修司(1935年~1983年)は青森県出身の歌人、劇作家。映画脚本など。早大文学部国文学科中退。代表作「われに五月を」「田園に死す」。演劇実験室「天井桟敷」主催。
ところで、「あしたのジョー」(1968~73年「週刊少年マガジン」で連載され70年~71年、80年~81年にTVアニメとして放映された)といえば寺山修司。主人公の矢吹丈のライバルの力石徹が丈と戦った試合後にクロスカウンターパンチが致命傷となって死亡したときに実際の葬儀まで行ったというほどの入り込みようで、ご本人が作詞したOPは孤児院を脱走してグレて少年院で過ごした少年時代の丈の悲しみを歌った名曲。昭和の香のするスポ根アニメの金字塔です。原作は「巨人の星」と同じ梶原一騎、漫画はちばてつや。平成生まれの方々はTVで視たこともないと思いますが。今年は漫画連載開始から50周年とかで、記念サイトが出来ています。
「あしたのジョー」記念サイト
https://joe-50th.com/
あしたのジョー(1970年昭和45年)OP歌詞:寺山修司
https://youtu.be/lHgKu5o0xEg
寺山修司が作詞をてがけた代表曲「時には母のない子のように」(1969年昭和44年)。物悲しい歌詞が印象的な曲です。歌っていたのはカルメンマキという歌手で、WIKIで調べてみると彼女はアイルランド人とユダヤ人の血を引くアメリカ人の父と日本人の母との間に生まれ、神奈川県鎌倉育ち。高校中退後寺山修司が主宰していた「天井桟敷」の舞台「青ひげ」をたまたま鑑賞し感銘を受け、即入団を決意したそう。初舞台は「書を捨てよ町へ出よう」で、CBSソニー関係者の目にとまりにスカウトされ17歳で歌手としてこの曲でデビュー。
「時には母のない子のように」(1969年昭和44年) 歌詞:寺山修司
https://youtu.be/Iyf3Qy9Ro5I
コメント
寺山修司は実に特異な詩人でした。乙女チックなタイトルで数々の詩を書いて居ますね。歌謡曲の歌詞では、僕が18歳だった1969年に、カルメン・マキが低い擦れた声で歌っていた「時には母の無い子のように」とか70年代のフォークソングとして歌われた「戦争はしらない」とか、著作では「誰か故郷を思わざる」「家出のすすめ」とか、実にユニークな詩人でした。彼の最初の出発は短歌でしたし高校生の頃のことです。「誰か故郷を思わざる」は、読みやすいアンソロジー風のテーマを、幾つも書き継いだものですが、中には衝撃的な事も書いてありましたね。虚構だとは思いますが。彼は既に、高校の頃より腎臓が悪くネフローゼ気味であったらしいです。今ならば腎移植も可能なのでしょうが。「故郷の訛り無くせし友といて、モカコーヒーはかくも苦し」 削除
2018/10/28(日) 午後 8:57 [ 井頭山人(魯鈍斎) ]
懐かしいです。
異色の歌手ですね。
カルメンマキはジャニス・ジョプリンに影響を受けて歌手になったそうです。
ジャニスジョップリンは若くして亡くなってしまったロック&ブルースの歌手でアルバム「パール」が秀逸で泣けます。
そしてジャニス・ジョップリンとくれば、やはりキャロル・キングのアルバム「つづれ織り」がこれまた秀逸です。どの曲もいいですが、その代表曲を聴いてみてください。
You've Got A Friend / Carole King
https://www.youtube.com/watch?v=I9vaEBS3l1w
2018/10/28(日) 午後 9:08 泉城
> 井頭山人(魯鈍斎)さん
こんばんは。コメントをありがとうございます。私が寺山修司に興味をもったのは学生時代に「田園に死す」をビデオでみたことがきっかけでした。お話しの詳細は覚えていないのですが、少し過激な表現が衝撃的でした。
そして、カルメンマキの「時には母のない子のように」は実写スポーツドラマ「サインはV」の中でジュン・サンダースというキャラクターのBGMで使われていたのを何度も何度もドラマの中で耳にしたことからです。ジュン・サンダースの役を若き日の范文雀さん(2002年に54歳で没)を演じていました。子供心に何か生い立ちによる運命的な孤独というものの深さを感じたりしました。
寺山修司さんは83年に43歳の若さで死没しておられますね。肝硬変→腹膜炎→敗血症だったそうです。仰るように俳句や短歌から出発した人物で「昭和の啄木」という異名があったそうですね。
2018/10/28(日) 午後 9:42 kamakuraboy
> 石田泉城さん
こんばんは。コメントをありがとうございます。流石に音楽の造詣が深い泉城さんですね。17歳のデビュー当時のカルメンマキの大人びた表情を古い映像で視ていて、昭和の歌手の方々は総じて若くして大人びた方が多かったと思いました。山口百恵さんも14歳でデビューしてわずか21歳で引退しているわけですし。
今ご紹介して下さったYou've Got A Friend / Carole King、を聴いてみました。有名な曲のようですね。私も過去に聴いたことがあります。この歌の歌詞のように「Close your eyes and think of me and soon I will be there」と言ってくれる素晴らしい異性の友人がいたら素敵ですね。
2018/10/28(日) 午後 10:04 kamakuraboy
「時には母のない子のように」を拝聴して大昔に戻り♪ミミレミで始まる音譜を思い出しました。
寺山修司さんの作詞とは初めて知りました。
2018/10/29(月) 午前 1:41 jinsen99
> jinsen99さん
おはようございます。寺山修司さんの代表作です。彼は10歳で父親を亡くし、その後母の親類の家に預けられ、13歳の時に母が仕事のために故郷の青森から福岡に移っており、そういう生い立ちから両親と縁の薄い「精神的な孤児」のような方だったようです。
2018/10/29(月) 午前 6:19 kamakuraboy
こんばんは。
あしたのジョーのOPの歌詞は寺山修司だったんですね~知りませんでした。梶原一騎の作詞だとばかり思ってました。梶原一騎、真樹 日佐夫兄弟はとんでもない極道者ですが、名作をたくさん残してますね~楽しませてもらいましたナイス♪
2018/10/29(月) 午後 5:53 [ たくま ]
> たくまさん
コメントをありがとうございます。「あしたのジョーOPの作詞は寺山修司」ということは意外とあまり世間で認知されていないようですね。彼は詩人でもあり、「サンドーバッグに浮かんで消える」で始まる冒頭の歌詞などかなり情感のこもった名詩だと思います。
2018/10/29(月) 午後 6:57 kamakuraboy
kamakuraboyさん、こんばんはー
ナイスどうもありがとうございました
沖縄から戻られたのですか?
リラックスできましたか
最近、ブログアップもあまりないし、俺のブログにも来て下さらないので
忙しいのかなあと思っていました
出来ましたらまた俺のブログ記事にコメントしてください
ではまた
2019/1/8(火) 午後 11:35 [ 桑の実 ]
> 桑の実さん
こんばんは。コメントをありがとうございます。年末年始、家を留守にしてあまり掃除をせずに新年を迎え、年賀状も1月3日から「筆まめ」で書き始め、子供の冬休みの宿題もいまだに終わっていないという有り様でございまして、今日は私の仕事始めもでもあり、数日間ブログ記事を書く時間がちょっとなかったというところです。
桑の実さんの記事に、思いついた感想コメントを書かせて頂きにまた参ります。
2019/1/8(火) 午後 11:54 kamakuraboy