eternalturquoiseblue

日本人として日々の暮らしの中で思うこと、知りたかったこと

「通州事件」と中国政府がユネスコ登録資料を開示しない「南京大虐殺」の実像①

2019-03-10 16:59:36 | China
「ユネスコ」(United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization U.N.E.S.C.O.)は「国連教育科学文化機関」というのが日本語訳の正式名称なのだが、この「教育文化機関」が「世界の記憶(記憶遺産)」を取り扱っているものの、関係国間で認識が異なる事案が徹底した事実調査や現地視察もなく採用されることがあり、「ユネスコが一方的な歴史解釈にお墨付きを与える」ことの弊害が日本にとり深刻な事態。

2015年に中国申請の「南京大虐殺文書」が登録されて以来、ユネスコが政争の場と化していたため、「記憶遺産」の包括的見直しに向け「行動計画」を策定することとなり、昨年4月にユネスコ執行委員会に「行動計画」が提出され「世界の記憶」の正常化に向けて動き出していると報じられた。


新たな行動計画は、世界の記憶の登録審査プロセスをより透明化し、加盟国間の対立を防ぐ仕組みへの道筋を示すもので、「世界の記憶」として登録された資料のアクセス促進も課題になる、とある。


そもそも「南京大虐殺文書」は資料の信憑性や事実認識で疑義が示されていてにも関わらず非公開審査で登録が決まってしまい、日本政府が登録資料の開示と検証を求めたのに対し、中国側は応じていない。


ユネスコの「行動計画」はこうした対立を招く現行制度の改善を視野に入れ、執行委員会(58カ国で構成)はユネスコの運営指針を決める機関で2017年10月「世界の記憶」で「政治的緊張の回避」をユネスコ事務局に要求し改革を求めている。


2018年4月の執行委員会ではユネスコ韓国政府代表部の李炳鉉(イ・ビョンヒョン)大使が議長(おそらく議長就任の目的は「慰安婦」の記憶登録)で、日本は6つの副議長国の一つ。但し方針が固まるまで、ユネスコは新規申請を受け付けないと報じられている。


「世界の記憶」では2018年10月、係争案件の審査では関係者の対話の場を設ける新制度を2019年に導入することが決まったが、専門家が事実上、登録を決める仕組みは変わらず、「世界遺産をモデルに加盟国が関与する制度にすべき」という声は強い。


2018年11月中国寄りと指摘されたボコバ前事務局長(ブルガリア出身)の後任として、オードレ・アズレ氏(仏出身、仏の元文部大臣)がユネスコの事務局長に就任。アズレ氏は「ユネスコの信頼回復」を掲げて改革意欲を示している。


しかし、ユネスコの政治利用について2018年、米国とイスラエルが「反イスラエル偏向」を理由にユネスコ脱退を表明しており、国際的にも改革圧力が強まっているそうだ。日本政府もユネスコにおける今後の改革がなされなければ、脱退も視野に入れ、拠出金は暫く払うべきではないと思う。


引用:
https://www.sankei.com/world/news/180103/wor1801030003-n2.html


ここでついでに言っておくと、2018年は(反日的左翼の「日本人」も含めた)日中韓の民間団体などが申請した「慰安婦関係資料」をめぐり、日本が「政治利用になる」と懸念を表明し、審査延期が決まっているが、あくまでのユネスコが「世界の記憶」登録の新規申請を受けていないから「延期」なのであり、今後は韓国の主張する「強制性」はそもそも根拠が慰安婦証言のみで客観性がなくはっきりいえば、「虚構である」ということをGHQなど他国の多角的な史料を動員しての日本側の冷静で緻密な反論が必要といえる。

参考:(英の慰安婦資料が判明「強制連行」の記述なし)
http://www.sankei.com/premium/news/170806/prm1708060026-n3.html


さて、本題に戻るが「世界の記憶」登録がなされた後で、日本政府が中国政府に対し、登録資料の開示と検証を求めたものの中国側は応じていないという「南京大虐殺」なるものの実像とはどのようなものなのだろう。


■「南京大虐殺」の元となっている「南京事件」(wikiより)

1937年(昭和12年)12月の南京戦において日本軍が中華民国の首都南京市を占領した際、約6週間もしくは最大で2か月以内にわたって、当時の日本軍が中国軍の捕虜、敗残兵、便衣兵、そして南京城内や周辺地域の一般市民などに対して殺傷や暴行を行ったとされる事件。

南京事件は、事件直後から欧米の報道機関によって報道されており、日本政府や日本軍に関連した記録の中にも事件直後に行為を認知したとの事実が存在しており、一方、「その発信源はほぼ全て現地に残留した米国人宣教師たちである」ことが明らかになっているとの主張もある。

終戦後に行われた南京軍事法廷や極東国際軍事裁判で裁かれたが、その後も南京事件論争で述べるように、「事件の規模」「虐殺の存否」「戦時国際法違反かどうか」「犠牲者数」などさまざまな論争が存在。

サンフランシスコ平和条約で日本政府も受諾している極東国際軍事裁判所の判決では、殺害された人数を「20万人以上」としている。因みに広島の当時人口が34万人で2~4か月以内に亡くなった死者が16万6千人、長崎の当時の人口が約24万人原爆による死者7万3884人とされており、両都市での原爆による非戦闘員の一般市民の犠牲者約24万人に匹敵する人数に恐らくは連合国側の都合で「南京大虐殺」の「犠牲者数」を帳尻り合わせた感があるのだ。


とにかく驚くことに「殺害された人数」は10数万人、数万人、諸説様々なのであるが、そもそも、日本軍の空襲によって、多くの南京市民が市街から遠方に避難し始め、100万人を越えるとされた南京城市の人口は大きく減少し、一方で11月に日本陸軍の中支那方面軍が南京周辺の広大な農村地域の近郊六県を含む南京行政区に進入したため、農村地域等から多くの被災者が南京城市に流れ込む現象も起きたという説もあり、当時の南京にいた市民の正確な人口すらわかっておらず、「殺害された人数」の根拠となる亡くなったとされる被害者の(広島長崎のような)正確な氏名などの資料などが存在しないものを、ユネスコが「記憶遺産」登録するのは暴挙としかいいようがない。


■事件の一次資料の発信源は「米国人宣教師たち」のみ

日本政府は、被害者の具体的な人数について政府としてどれが正しい数かを認定することは困難ではあるものの、日本軍の南京入城(1937年)後に非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないという歴史認識を示している。事件の真相はいまだ不明。

欧米の一次史料を基にそもそもの「南京事件の発信源である米国人宣教師たちの中立性」に疑義を唱え、真相は米国人宣教師たちの創り出した虚構を中国政府が利用したものとする主張もある。



■「南京事件」と「通州事件」

「南京事件」の約4か月前の1937年7月29日に中国陥落区通州で実際に起こった、日本人約200人に対する猟奇的虐殺事件である「通州事件」(つうしゅうじけん)こそが「南京事件」のイメージモデルであると思われるのだが、日本のマスコミは敢えて報道自粛しほぼとりあげていない。一方で、南京での事件の規模がどんどん誇張され、ユネスコの記憶遺産登録までなされた「南京大虐殺」については高校の日本史の教科書(山川出版社「新日本史」、実数出版「高校日本史」その他)ほぼ全てに記述がある一方で、その前に日本人への虐殺事件があったことは一言一句語られてこなかったのは何故か。


実像より恐らくはるかに誇張されている「南京大虐殺」という呼称は知っていても、先に起こった「通州事件」のことを知らない日本人も多く、今日インターネットで普通に広く情報を調べることが可能になったために、この事件の内容を知ったという人も多いと思う。

「通州事件」とは、1937年(昭和12年)7月29日に中国の通州(現:北京市通州区)において冀東防共自治政府保安隊(中国人部隊)が、日本軍の通州守備隊・通州特務機関及び日本人居留民を襲撃・殺害した事件。通州守備隊は包囲下に置かれ、通州特務機関は壊滅し、200人以上におよぶ猟奇的な殺害、処刑が中国人部隊により行われた。「通州虐殺事件」とも呼ばれる。

通州は北平(現:北京市)の東約30kmにあった通県(現:北京市通州区北部)の中心都市で、日本が政治的目的のため北支五省で行った華北分離工作の結果、殷汝耕が南京政府から離脱して設立した冀東防共自治政府が置かれていた。通州事件の3週間前の7月7日には盧溝橋事件が勃発し、宋哲元の第29軍と日本軍支那駐屯軍が衝突していた。


当日の日本軍守備隊への攻撃
1937年7月29日午前2時(午前3時)、冀東防共自治政府保安隊ら中国軍が通州日本軍へ攻撃を開始。殷汝耕を捕獲し、日本軍守備隊、特務機関を襲撃、日本軍は壊滅し、また日本人居留民を襲撃し、在留日本人385名のうち223名が虐殺された。(午前4時からとの説もある)

通州の日本軍守備隊は、主力が南苑攻撃に向かっていたため留守部隊であり、藤尾小隊40名、山田自動車中隊50名、憲兵、兵站兵器部を合わせて110名程度であった。

張慶余、張硯田の両保安隊は午前二時に攻撃を開始、長官公署を襲って殷汝耕を拉致した。保安隊の装備が遥かに優れていたため、日本軍守備隊は死傷者が続出し、通州特務機関は全滅。守備隊長藤尾心一中尉と通州特務機関長細木繁中佐も戦死。

事件後、7月30日午後4時20分に萱島部隊が通州に到着し、治安回復と掃蕩を行った。

日本人居留民への暴虐行為の写真(閲覧注意!)

「犠牲者の虐殺体。被害者の氏名が判明しており、プライバシー保護のために目にマスク処理をしている」
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/f0/Massacred_corpse_of_a_Japanese_victim_of_the_Tungchow_Massacre.jpg/400px-Massacred_corpse_of_a_Japanese_victim_of_the_Tungchow_Massacre.jpg

「日本人居留民の遺体」
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a6/Massacred_corpses_of_Japanese_victims_of_the_Tungchow_Massacre_1.jpg

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/07/Massacred_corpses_of_Japanese_victims_of_the_Tungchow_Massacre_2.jpg


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。