敦煌からカシュガルに至る西域南道は、タクラマカン砂漠と崑崙山脈にはさまれた流砂の道で、新彊ウイグル自治区に当たる場所です。
砂漠の中にある「ミーラン遺跡」には背中に翼が描かれた仏陀(天使?)とその弟子を描いた壁画などが残っているそうです。
ミーラン遺跡
古代における「ミーラン」:
タクラマカン砂漠の南のオアシス都市で、シルクロード上のロブノールとアルチン山脈の交わるところに位置した。
2000年前、山上の水源により良好な灌漑を行うことができオアシスとして、西域南道の交易の中心として栄えた。仏教が発展し寺院が林立した、とあります。
「ニヤ遺跡」
オアシスの町チェルチェンのウイグル族の生活を紹介。 平山郁夫の「シルクロード」絵画などの飄々とした、時を忘れてしまうほど雄大で荒涼とした砂漠の風景は中國固有のものではありません。
こうした地域は中國が自国の領土に組み入れ支配地としている新疆ウイグル自治区や内モンゴル自治区など他の民族が暮らす地域のものです。
清の時代には「藩部だった」と主張しているが、民族も宗教も、言語も、何もかもが異なるのに?
本来の中國はこのクリーム色だけのはず。
万里の長城より北は自国ではなかったはず。
諸外国の認識も同じです。
■「シルクロード」という言葉
「シルクロード」という名称は、19世紀にドイツの地理学者リヒトホーフェンが、その著書『China(支那)』(1巻、1877年)においてザイデンシュトラーセン(ドイツ語:Seidenstraßen 「絹の道」)として使用したのが最初だった。
リヒトホーフェンは古来中国で「西域」と呼ばれていた東トルキスタンを東西に横断する交易路、いわゆる「オアシスの道(オアシスロード)」を経由するルートを指してシルクロードと呼んだ。
リヒトホーフェンの弟子で、1900年に楼蘭の遺跡を発見したスウェーデンの地理学者ヘディンが、自らの中央アジア旅行記の書名の一つとして用い、これが1938年に『The Silk Road』の題名で英訳されて広く知られるようになった。
とあります。
楼蘭の遺跡
楼蘭(ろうらん、樓蘭、英語:Loulan、推定されている現地名はクロライナ Kroraina)は、中央アジア、タリム盆地のタクラマカン砂漠北東部(現在の中国・新疆ウイグル自治区チャルクリク)に、かつて存在した都市、及びその都市を中心とした国家である
古来中國で「西域」と呼ばれる場所は東トルキスタン(地図の赤線で囲まれた地域)を指しています。
現在のカザフスタンやトルクメニスタンの辺りです。
旧ソ連のトルクメニスタンという国は国土の85%が「カラクム砂漠」。
NHKの「シルクロード~絲綢之路」のあの雄大な風景は新疆ウイグル自治区の「タクラマカン砂漠」や内モンゴル自治区からモンゴルにかけて広がる「ゴビ砂漠」などで撮影されたようです。
いずれも中國が支配している他の民族の本来の国土地域である「ウイグル自治区」「内モンゴル自治区」がシルクロードの風景です。
我々のイメージするNHKの「シルクロード」絲綢之路や平山郁夫の「シルクロード」の、飄々とした時を忘れてしまうほど雄大で荒涼とした砂漠の風景は中國のものではなく、中國が自国の支配地としている他民族が暮らす地域のもので、そうしたイメージを中國に重ねてしまうといった「錯視効果」があの番組にはありました。
東西を横断するシルクロードの東の起点は長安(現在の陝西省の省都西安市 にあたる)で、西の終点はシリアのアンティオキア(セレウコス朝シリアの都市として建設された)。
■シルクロードを通って日本に伝えられたの宝物
奈良の正倉院には古代インドを起源とする五弦琵琶や中央アジアの工芸品などの宝物が収めれれている。これらはシルクロードを通って日本に伝来したもの。
平螺鈿背円鏡(へいらでんはいのえんきょう):
「鏡の背中部分に夜光貝や琥珀の薄板を貼り付けて、宝相華(仏の世界に咲くと考えられている空想上の花)を表している。文様の間には、トルコ石やラピスラズリなどの小石が散りばめられ、国際色豊かな作品になっている」
螺鈿紫檀五絃琵琶(らでんしたんのごげんびわ ):
「全面に螺鈿やタイマイ(カメのべっ甲)を用いた華やかな文様が施され、琵琶の撥(ばち)があたる部分には、ラクダに乗って琵琶を弾く人物や、熱帯樹が表される。 古代インドを起源としたもの。中央アジアの壁画や古代の石彫には、かつて五絃琵琶が存在していた様子が描かれている」とあります。
引用元:
■アヘン戦争、日清戦争、そして列強の草刈り場になった清朝末期
1839年~42年のアヘン戦争で英国に敗れ、南京条約で公行廃止(公行:コホン 清代の広州で貿易が許された特許商人)、香港島割譲、5港開港。
1994年~95年の日清戦争で日本に敗れ、下関条約で、朝鮮の独立の承認、遼東半島、台湾、澎湖諸島の割譲、2億両(テール)の賠償金の支払い、日本の通商上の特権を認める、長沙、重慶、蘇州、杭州の開市。遼東半島は後の三国干渉によって、清に還付される。
欧米列強の草刈り場状態になった中國を表現しているのが下の風刺画です。教科書ではよくお目にかかる絵です。
英、独、ロ、仏、日によって分割されそうになっている清朝
こうした屈辱の歴史を表す風刺画は中國の歴史教科書には載っていないのでししょう。近年、習近平は自国の歴史教科書から「文化大革命」という文字を削除させたといわれています。「六四天安門」(=天安門事件)などの文字も削除されているようです。
不都合な歴史はなかったことにし、事実とは異なる歴史を自国の建国ストーリーとしてでっちあげているのが中國という国。そして国民から自分達への憎悪や不満が向けられないようにするための抗日でもあります。
抗日は中國共産党にとってなくてはならない党是であり「正統性」の根幹のようです。
■日中戦争
日露戦争で勝利した日本は満州鉄道の南側、中国東北部の支配権を得ます。
1932年に満州鉄道の南側の中國島北部に清朝の皇帝溥儀を傀儡として日本の関東軍を中心に満州国が建国され、抗日戦争である中國国内の日中戦争では戦わずに逃げ回っていたのが中國共産党。
国共戦争のさなかであったため、共産党軍を率いていた毛沢東は日本軍を歓迎し、蒋介石率いる国民党軍と戦っている日本軍に対し「皇軍に感謝する」といいながら国民党軍の情報を日本軍に売り巨額の情報提供ををまきあげていた人物なのだそうだ。
■国民を6000万人殺した中國共産党の「神様」毛沢東
「マルクス主義を真似たというよりも明の太宗のやり方をそっくり真似て農民を味方につけ国民の大虐殺を行った」という指摘もあるように「大躍進政策」なるものによって国民の餓死者を4000万人出し、66年から75年にかけて行った「文化大革命(文革)」では毛沢東に批判的な人々を次々と粛清し、犠牲者の数は1000万人とも2000万人とも諸説あり、正確な数字は不明。
文革の時代に中国南部・広西チワン族自治区では38人が食人の犠牲なるといった事案もあったそうだ。
この様に陰惨で野蛮な殺戮の時代を繰り広げてきたのが所謂中國で、「シルクロード~絲綢之路」は中國によって現在ジェノサイドが行われている新疆ウイグル自治区やチベット自治区、内モンゴル自治区を「雄大な中國の一部」であるかのような印象で日本人を親中にして、なおかつこれらの異民族が暮らす地域が恰も中國国内の地域であるかのような刷り込みを行ったともいえます。
■「三国志」
日本人が大好きな「三国志」の英雄伝の多くも虚構で、国家事業として編修した歴史書 「正史」を基にしたものではなく、14世紀の明の時代に羅貫中がまとめた小説「三国志演義 」が基になっておりつまり大半がフィクションらしいのです。
中國のイメージ戦略に加担したともいえるのが作家の司馬遼太郎。1971年から96年まで「週刊朝日」の連載として、「街道をゆく」の海外編では中國が大きな分量で紹介されています。
この人が日本人に植え付けた影響で様々な功罪が最近指摘されるようになってきました。
彼の書いた歴史小説の多くがかなり表面的な想像力の産物で「龍馬がゆく」「坂の上の雲」「青天を衝く」などは彼の小説をもとに大河ドラマ化された作品が数多くあります。
司馬遼太郎という中國の「司馬遷」からとったペンネームからもわかるように、大の中國好きで、国家の負の部分、世界のドロドロした実像をとことん掘り下げずに、あっさりとさわやかな描写で万事が潔く美化しているところなどが日本人好みにマッチしてしまったようです。
引用元:
■毛沢東の神格化
毛沢東を「科学的な社会主義理論をはじめてつくりだした」などと無批判に神格化し崇め奉っているのが中國共産党で、虚構の建国史で国民を反日教育している韓国や北朝鮮とよく似ています。小中國が北朝鮮、大朝鮮が中國といった感じ。
実は「日本軍の協力者」であった毛沢東本人は流石に抗日戦勝記念を祝ったことはない、と指摘されています。
引用元:
習近平の前半生は波乱万丈で、若いうちに何度も投獄されていた?
■文革時代の教育の中断で、まともな教育を受けていないとも。
習近平は1953年生まれの戦後世代である。75年時は文化大革命の期間中で、全国普通高等学校招生入学考試が中断しており、中学1年以降に正式な教育を受けていない。しかし、「工農兵学員」という模範的な労働者・農民・兵士(個人の政治身分)の推薦入学制度を経て、国家重点大学の清華大学化学工程部に無試験で入学し、有機合成化学を学んだ 。1998年から2002年にかけて、清華大学の人文社会科学院大学院課程に在籍し、法学博士の学位を得た。しかし、海外の複数メディアから、論文の代筆の疑惑が報じられている
などとある。
74年21歳のときに中國共産党に入党。父親が文革のとき粛清されかかった、大物で本人も反動学生扱いで何度も投獄されるという経験を味わっているそうだ。
権力の座から失脚した場合にどうなるのか、若いころの体験を通して非常に深く身に染みて理解しているがゆえに、自国の憲法を自分のために改正して、「終身主席」となって権力にしがつくつもりのよう。
第二次大戦終戦から70年めの2015年に国内向け、国際社会向けに、「超大国中國」をアピールするために大がかりな軍事パレードを主催してみせた。
西側諸国からは中國の人民解放軍は兵員230万人の世界最大の軍隊で中國の軍事拡大こそが世界の脅威になりつつあるという冷ややかな視線を向けられていたようです。
そして「ウイグル人へのジェノサイド」隠蔽体質によって「COVD-19の発生直後に隠蔽を画策した結果、世界に感染拡大が起こり、パンデミックを発生させた責任」は到底償えようはずもない。
実際に、この地図がシナの実態を表していると思います。現実には中原の一部を占めるに過ぎません。ところがシナの王権は時代によってその勢力が盛んな時は膨張し、衰えた時は収縮するという経過を何度も示して来ました。元の時代にはヨーロッパ中欧部まで征服し、日本まで侵略の意図を現して攻めて来た訳です。唐の時代は盛んでしたので外側に広がり、それが混乱で倒れるとまた収縮に転じるという。いわば風船の様な物で確定した国境という物が有りません。それにシナには永く続く国家が存在しなかったし、王朝が滅亡したらそれに付随する政府機関はすべて滅び、前王朝の条約や約束も御破算となりリセットされて仕舞う性質の物でした。このような歴史経過をして来ている訳ですので、若しも中共が滅んだ場合果たして約束事が履行されるかは疑問です。長くシナには国家は存在しなかった。民衆も共産党は信頼して居ない筈です。
日本とは全く異質の人々で、よい方々も勿論おられますが、そういう人々はとっくに国を離れているようです。日本にあまり大勢でやって来られても困りますし、米中でまた話をしているそうですので、そろそろ動きがあるかもしれませんね。