2018/3/3(土) 午後 3:51
国際法は平時国際法と軍事国際法の二大分野がある。
戦後日本における「戦時国際法」の理性的な研究は東京大学ではなく、京都大学の国際法学者田岡良一教授の系譜によってなされてきたそうだ。(京都学派の系譜には世界に通用する戦時国際法の専門家が育っているらしい)
東大学派はただのタレントも多いようで、「東大」派閥のM女史などは韓国に「私たちの友朋であるところの」、という言い方、拉致問題を引っ張り出してきて、今のこの時期に(それをやれば、日米安保の根幹を揺るがせかねないのに)「拉致問題の解決と引き換えに北と国交正常化するのはどうでしょうかね」と主張する辺り、正体が知れようというもの。「スリーパーセル」=「便衣兵」発言はいわばテロ予告の脅しでしょうね。
(発言:8分頃)
https://www.youtube.com/watch?v=T2rx0XLaSKE
日本には戦前戦後から在日左派勢力が浸透しており、カルト的組織による洗脳や、日教組などの工作活動によって、根底の部分で多くの善良な日本人に「平和」とは何かを見誤らせてきた。戦後、日本国憲法がただの一度も現実的な様々な検証によって修正されてこなかったのは、世界でもまれな例でありむしろ、修正を妨げさせる「外的あるいは内部に浸透した力」が意図的に働いてきた結果と考えるべきだ。
「日本の多くの左派勢力が、国際情勢や現実、国際法を正しく理解しているならば、「戦争は非合法である」というのが暴論であることを否定できない。戦争の見方が甘いと、我が国の存立も危うくなる。
戦後に蔓延していた「平和幻想」のような空気の中にあって、近隣諸国の覇権主義や恫喝に苦しむきっかけとなり、現在の慰安婦問題など、戦争とその処理に照らした正義を主張すべき場面も多くなったきている。」
以上は元外交官、国家基本問題研究所客員研究員である色摩力夫氏の「日本の死活問題」という本の序章の要約です。
「戦争」の定義として、「戦争とは相異なる手段をもってする政治の延長である」と彼は定義しています。
戦争は一見して外交の失敗であるようにみえるが、実は外交と戦争は本質的には同じものであって、対外政策の手段として「政治」に従属し、同じ政治的目的に貢献するひとつの手段であるというのが国際法の考え方だそうだ。
国際法は平時国際法と軍事国際法の二大分野がある。
戦後日本における「戦時国際法」の理性的な研究は東京大学ではなく、京都大学の国際法学者田岡良一教授の系譜によってなされてきたそうだ。(京都学派の系譜には世界に通用する戦時国際法の専門家が育っているらしい)
東大学派はただのタレントも多いようで、「東大」派閥のM女史などは韓国に「私たちの友朋であるところの」、という言い方、拉致問題を引っ張り出してきて、今のこの時期に(それをやれば、日米安保の根幹を揺るがせかねないのに)「拉致問題の解決と引き換えに北と国交正常化するのはどうでしょうかね」と主張する辺り、正体が知れようというもの。「スリーパーセル」=「便衣兵」発言はいわばテロ予告の脅しでしょうね。
(発言:8分頃)
https://www.youtube.com/watch?v=T2rx0XLaSKE
日本には戦前戦後から在日左派勢力が浸透しており、カルト的組織による洗脳や、日教組などの工作活動によって、根底の部分で多くの善良な日本人に「平和」とは何かを見誤らせてきた。戦後、日本国憲法がただの一度も現実的な様々な検証によって修正されてこなかったのは、世界でもまれな例でありむしろ、修正を妨げさせる「外的あるいは内部に浸透した力」が意図的に働いてきた結果と考えるべきだ。
「日本の多くの左派勢力が、国際情勢や現実、国際法を正しく理解しているならば、「戦争は非合法である」というのが暴論であることを否定できない。戦争の見方が甘いと、我が国の存立も危うくなる。
戦後に蔓延していた「平和幻想」のような空気の中にあって、近隣諸国の覇権主義や恫喝に苦しむきっかけとなり、現在の慰安婦問題など、戦争とその処理に照らした正義を主張すべき場面も多くなったきている。」
以上は元外交官、国家基本問題研究所客員研究員である色摩力夫氏の「日本の死活問題」という本の序章の要約です。
「戦争」の定義として、「戦争とは相異なる手段をもってする政治の延長である」と彼は定義しています。
戦争は一見して外交の失敗であるようにみえるが、実は外交と戦争は本質的には同じものであって、対外政策の手段として「政治」に従属し、同じ政治的目的に貢献するひとつの手段であるというのが国際法の考え方だそうだ。