「白秋」に想ふ―辞世へ向けて

人生の第三ステージ「白秋」のなかで、最終ステージ「玄冬」へ向けての想いを、本やメディアに託して綴る。人生、これ逍遥なり。

文明の皮肉―『プラスチック汚染とは何か』

2020年06月14日 | Ecology
☆『プラスチック汚染とは何か』(枝廣淳子・著、岩波ブックレット)☆

  「岩波ブックレット」は100ページにも満たない小冊子のような体裁だが、読者が得たいと思っている情報が過不足なく整理されていて、見た目以上に内容の濃いものが多い。本書もまさにそのような一冊だった。
  第1章は物質としてのプラスチックの解説から始まるが、化学的な(高分子化学のテキストのような)説明よりも種類と用途、生産・消費・廃棄に焦点が当てられている。いま最も注目を集めていると思われるマイクロプラスチックについてもかなり詳しく書かれている。もともと5㎜以下のものを「一次マイクロプラスチック」と言い、5㎜以上のものが破砕や劣化によって5㎜以下になったものを「二次マイクロプラスチック」と呼ばれることを本書で初めて知った。洗顔料・化粧品・歯磨き粉・紙おむつなどに入っている「スクラブ」や「マイクロビーズ」にもマイクロプラスチックが使われている場合があるという。これにも驚かされた。
  続く第2章では深刻さが増している海洋プラスチック汚染について、現状だけでなく健康や経済に対する影響も含めて解説されている。太平洋上でプラスチックごみが集まっている海域を「太平洋ごみベルト」と呼ばれることが多いが、著者によれば「帯」というより「渦」に近いイメージだという。ある研究報告によると、その海域は日本が四つ入るほどの面積であり、そのうち四分の三以上は5㎝以上の大きなごみで、少なくとも46%は漁網だったという。プラスチックごみは海面を浮遊しているだけでなく、あらゆる深さにも存在し、最終的には海底にも蓄積していく。
  さらに第3章ではプラスチック汚染を減らすための世界の取り組みについて、多くの具体例が紹介され、第4章ではプラスチックごみ問題を考える視点と枠組みについて提示されている。環境問題すべてについて言える事だと思うが、最初に認識すべき枠組みは、それが「供給源」か「吸収源」かの問題である。数十年前に広まった「レジ袋をやめよう」という運動は石油などの「化石燃焼が枯渇する」からという理由で始まったものであり、「供給源としての問題」であった。しかし、昨今の「レジ袋をやめよう」は、レジ袋の廃棄が環境汚染につながることを問題視するものであって「吸収源としての問題」となっている。
  近年、これまでのプラスチックの代替材料として生分解性プラスチックや、再生可能な生物資源で作られたバイオプラスチックも話題に上ることが多い。しかし、例えばバイオプラスチックも自然環境で分解し地球に吸収されなければ解決策とならないし、バイオプラスチックの大量生産は森林の枯渇や衰退を引き起こし、しいては地球温暖化や生物多様性の問題ともつながっていく。さらにその先には経済や社会の問題が関連してくることは言うまでもない。このように地球レベルでの「予期せぬ問題」を引き起こす可能性までを視野に入れて解決策を模索しなければならないところに環境問題の難しさがある。
  最終章では日本における取り組むべき課題と問題点についてまとめられている。政府として、自治体として、企業として、市民として取り組むべき課題について、ビジョンだけでなく具体例も示されている。一つとくに印象に残ったのは、ある薬局で「レジ袋が必要ない方はお申し出ください」と書かれていたポスターを「レジ袋が必要な方はお申し出ください」に変えたところ、82%ものレジ袋削減に成功したという。これは行動経済学や行動科学で注目されている「人々が強制によってではなく自発的に望ましい行動を選択するよう促す仕掛けや手法」(「ナッジ」と呼ばれている)を用いた好例である。
  プラスチックは使いやすく軽量で耐久性があり、かつ安価に生産できるという革命的とも言える素材だった。身近な生活のみならず、実は環境問題にも役立てられていたという。象牙やウミガメの甲羅で作られた装飾品の代替材料として、野生動物の保護にも役立てられた。製油所からの廃棄物をプラスチックペレットとして利用することで経済的な価値に転換したり、軽量で耐久性があることから社会・経済活動に伴う温室効果ガスを低減したりすることにも役立ってきた。しかし、プラスチックは自然界には存在しない人間が創り出した人工物であり、その有用性は「完全に分解されない」という特性ゆえに、環境に負荷を与え続ける存在となってしまった。文明の皮肉としか言いようがないように思う。
  読み終えて感じたのは、プラスチック汚染の問題について、あまりにも知らないことが多いということである。さすがに本書の表紙にあるように「レジ袋をやめれば大丈夫」とは思っていなかったが、科学技術的な分野からではないとはいえ、環境問題を学び関心を持ってきたはずなのに、恥じ入るばかりである。知識のアップデートの必要性をあらためて感じた。

  



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