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☆『自然再生』(鷲谷いづみ・著、中公新書)☆
開発の名のもとに自然が失われていく昨今、一方で自然を再生しようとする取り組みも始まっている。本書は植物生態学の研究者である鷲谷いづみさんが、さまざまな事例をもとにして自然再生の考え方や方法を説いた入門書である。メインとなるキーワードは「生物多様性」だ。
「生物多様性」とは多くの生物種が存在することを指すが、種のレベルだけでなく、生物の個性を表す遺伝子レベルの多様性や、種を包括する生態系レベルの多様性も含まれる。人間はとかく自己中心的な視野に陥りがちで、自分たちと直接利害関係のない生物にはあまり目を向けないように思う。しかし、生物多様性の保全とは「自然の恵み」を確保することであり、生態系すなわち自然の健全さを示すバロメータでもある。
鷲谷さんによれば、人類の対環境戦略は「共生型戦略」と「征服型戦略」の二つに分けられる。いうまでもなく開発の世紀には征服型戦略が共生型戦略を凌駕したが、地球環境問題―とりわけ資源の枯渇や環境の汚染など―の認識とともに征服型戦略の破綻も明らかになりつつある。そしていまや共生型戦略(消極的共生型戦略)を超えて「積極的共生型戦略」が提示されている。積極的共生型戦略とは、共生型戦略の「人や生物に対する穏やかなまなざしを大切にしながら、科学的な裏づけをもって積極的に発展させたもの」である。
「豊葦原瑞穂の国」とは日本の国の古い呼称である。どこかなつかしくて、豊かなイメージを抱かせる名称に思う。わが国の、四季を通じて豊かな水に恵まれた景観(ウェットランド)を思い出させると鷲谷さんはいう。水田を中心とした農業生態系は生物多様性保全機能も高いとされる。水田はメダカ(淡水魚)、カエル(両生類)、トンボ(昆虫)、ミズアオイ(水草)などの宝庫でもあった。
ところが農業の近代化(農薬の使用や圃場の整備)とともに多くの動植物が姿を消し、メダカなどはいまや絶滅危惧種となっている。市場原理にもとづく効率化は伝統的な管理を廃れさせ、生態系の健全さを奪ったが、問題はそれだけにとどまらない。鷲谷さんによれば、近代化は農業の持続可能性とも深く関わっており、日本の食料自給率にも影響を与えているという。
鷲谷さんは「水田をウェットランドとして位置づけ、環境保全の中核に据える」必要性を説く。そのためには、水田を中心とした生態系の機能や、生物多様性の研究をさらに発展させなければならない。さらに、生物多様性・食物の安全性・持続可能な農業に対する関心を喚起して、市民・消費者・生産者の三者が連携・協働して積極的共生型戦略の三角形を組み立てる。これが積極的共生型戦略にとっての当面の課題であるという。
本書では外国の事例もいくつか取り上げられているが、イギリスの田園の自然再生についてはとくに一章を割いている。積極的共生型戦略の実例と明確にはことわってはいないが、鷲谷さんはイギリスの自然再生に一つの理想を見ているように思う。ここで取り上げられているのは、日本人にも人気のある湖水地方の景観やピーターラビットの農場である。
イングランドの農地を囲む生け垣は、生物多様性保全の上で重要な意味を持つものだという。しかし、イギリスでも農業の近代化によって多くの生け垣が取り払われた。ところが、その誤りに気づき、農業環境政策の転換によって8千マイル(1万3千km)もの生け垣が再生された。
日本でも政権交代が実現したが、新政権がどのような環境政策・農業政策を行っていくのか、まだまだ未知数である。公共事業に見られるように、いままでは一度走り始めた施策は止まることがなかった。誤りを認め、具体的な自然再生が行われたイギリスは、鷲谷さんならずとも羨ましく思えてくる。
しかし、羨ましがってばかりはいられない。さまざまな「自然の恵み」をわが手に取り戻すために、一人ひとりが自分の立場で―官であろうが民であろうが、消費者であろうが生産者であろうが―できることを始めていかなければならない。豊葦原瑞穂の国の危機を救うのは、豊葦原瑞穂の国に住むわれわれしかいない。
日本の実例として、霞ヶ浦の「アサザプロジェクト」が本書の最後に挙げられている。このプロジェクトは鷲谷さん自身も深くかかったものであり、その経緯や成果は別に成書として出版されている。自分の研究課題と浅からぬ内容でもあるので、いずれ精読することになるだろう。
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追記:写真を追加(2014年5月11日)
開発の名のもとに自然が失われていく昨今、一方で自然を再生しようとする取り組みも始まっている。本書は植物生態学の研究者である鷲谷いづみさんが、さまざまな事例をもとにして自然再生の考え方や方法を説いた入門書である。メインとなるキーワードは「生物多様性」だ。
「生物多様性」とは多くの生物種が存在することを指すが、種のレベルだけでなく、生物の個性を表す遺伝子レベルの多様性や、種を包括する生態系レベルの多様性も含まれる。人間はとかく自己中心的な視野に陥りがちで、自分たちと直接利害関係のない生物にはあまり目を向けないように思う。しかし、生物多様性の保全とは「自然の恵み」を確保することであり、生態系すなわち自然の健全さを示すバロメータでもある。
鷲谷さんによれば、人類の対環境戦略は「共生型戦略」と「征服型戦略」の二つに分けられる。いうまでもなく開発の世紀には征服型戦略が共生型戦略を凌駕したが、地球環境問題―とりわけ資源の枯渇や環境の汚染など―の認識とともに征服型戦略の破綻も明らかになりつつある。そしていまや共生型戦略(消極的共生型戦略)を超えて「積極的共生型戦略」が提示されている。積極的共生型戦略とは、共生型戦略の「人や生物に対する穏やかなまなざしを大切にしながら、科学的な裏づけをもって積極的に発展させたもの」である。
「豊葦原瑞穂の国」とは日本の国の古い呼称である。どこかなつかしくて、豊かなイメージを抱かせる名称に思う。わが国の、四季を通じて豊かな水に恵まれた景観(ウェットランド)を思い出させると鷲谷さんはいう。水田を中心とした農業生態系は生物多様性保全機能も高いとされる。水田はメダカ(淡水魚)、カエル(両生類)、トンボ(昆虫)、ミズアオイ(水草)などの宝庫でもあった。
ところが農業の近代化(農薬の使用や圃場の整備)とともに多くの動植物が姿を消し、メダカなどはいまや絶滅危惧種となっている。市場原理にもとづく効率化は伝統的な管理を廃れさせ、生態系の健全さを奪ったが、問題はそれだけにとどまらない。鷲谷さんによれば、近代化は農業の持続可能性とも深く関わっており、日本の食料自給率にも影響を与えているという。
鷲谷さんは「水田をウェットランドとして位置づけ、環境保全の中核に据える」必要性を説く。そのためには、水田を中心とした生態系の機能や、生物多様性の研究をさらに発展させなければならない。さらに、生物多様性・食物の安全性・持続可能な農業に対する関心を喚起して、市民・消費者・生産者の三者が連携・協働して積極的共生型戦略の三角形を組み立てる。これが積極的共生型戦略にとっての当面の課題であるという。
本書では外国の事例もいくつか取り上げられているが、イギリスの田園の自然再生についてはとくに一章を割いている。積極的共生型戦略の実例と明確にはことわってはいないが、鷲谷さんはイギリスの自然再生に一つの理想を見ているように思う。ここで取り上げられているのは、日本人にも人気のある湖水地方の景観やピーターラビットの農場である。
イングランドの農地を囲む生け垣は、生物多様性保全の上で重要な意味を持つものだという。しかし、イギリスでも農業の近代化によって多くの生け垣が取り払われた。ところが、その誤りに気づき、農業環境政策の転換によって8千マイル(1万3千km)もの生け垣が再生された。
日本でも政権交代が実現したが、新政権がどのような環境政策・農業政策を行っていくのか、まだまだ未知数である。公共事業に見られるように、いままでは一度走り始めた施策は止まることがなかった。誤りを認め、具体的な自然再生が行われたイギリスは、鷲谷さんならずとも羨ましく思えてくる。
しかし、羨ましがってばかりはいられない。さまざまな「自然の恵み」をわが手に取り戻すために、一人ひとりが自分の立場で―官であろうが民であろうが、消費者であろうが生産者であろうが―できることを始めていかなければならない。豊葦原瑞穂の国の危機を救うのは、豊葦原瑞穂の国に住むわれわれしかいない。
日本の実例として、霞ヶ浦の「アサザプロジェクト」が本書の最後に挙げられている。このプロジェクトは鷲谷さん自身も深くかかったものであり、その経緯や成果は別に成書として出版されている。自分の研究課題と浅からぬ内容でもあるので、いずれ精読することになるだろう。
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追記:写真を追加(2014年5月11日)