1985年9月25日、奈良県斑鳩町の藤ノ木古墳の石室等が発堀された。藤ノ木古墳は直径約48m、高さ約9mの円墳で、古墳時代後期の6世紀後半に作られたものと考えられている。
1985年に第1次調査、1988年6月に国内の発掘調査史上初めてファイバースコープを使った石棺の内部調査が行われ、その年の10月8日に1400年ぶりに石棺の蓋が開かれた。
未盗掘で埋葬当時の姿がほぼそのまま残っており、当時の埋葬儀礼を解明する上で貴重な資料を提供した。
なぜ、2人の被葬者を一つの石棺に埋葬しなければならなかったのか、彼らはいったい何者なのか。謎が謎を呼ぶ。
当時、排仏派の物部守屋と敵対していた崇仏派の蘇我馬子に誅殺された
あなほべのみこ( - 587年7月17日)、やかべのみこ( - 587年7月18日)
とみるのが順当か。一説には、
はつせべのわかささぎのすめらみこと( - 592年12月12日)
ととなえる人もいるけど埋葬の手間とか考えると・・・
斑鳩の地が飛鳥の権力者にとって忌避すべき地なのか、後のうまやどのみこ以降の歴史を考えるとことさらにもの悲しくなる。
法隆寺に立ち寄った後、茶店で一服して柿を食べると、途端に法隆寺の鐘が鳴り、その響きに秋を感じた。柿は大和名産の御所柿。「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」子規
リタイヤしたら古墳めぐり!と入社時に挨拶して大顰蹙をかった f-o-q そろそろ準備する時が来たか。
9月25日の出来事「 宇佐八幡宮神託事件 」
769年:道鏡の皇位への野望を宇佐八幡の神託で退けた和気清麻呂が、称徳天皇の怒りを買い大隅国へ配流。
<宇佐八幡宮神託事件の成り行き>
・道鏡は称徳天皇の病気治療をきっかけに権力をもち始め、政治に介入するようになる。
・宇佐八幡宮にて「道鏡を天皇にすべし」との神託がでたとの(偽の)報告※がある。
・和気清麻呂が確かめたところ、実際は正反対の神託があり、これを報告。
・道鏡は称徳天皇の病気治療をきっかけに権力をもち始め、政治に介入するようになる。
・宇佐八幡宮にて「道鏡を天皇にすべし」との神託がでたとの(偽の)報告※がある。
・和気清麻呂が確かめたところ、実際は正反対の神託があり、これを報告。
・いくら意に反したものであろうとも、由緒正しき宇佐八幡宮の神様直々の神託には違いなく、さすがの称徳天皇もこれに逆らって事を進めることはできず、道鏡による前代未聞の野望は、はかなくも破れ去った。
・これにより天皇家の血筋が途絶えることなく現代にまで続いている。
※道鏡の弟・浄人(きよひと)と、九州で神事関係を担当していた役人・習宣阿曾麻呂(すげのあそまろ)
死を覚悟の和気清麻呂の勇気が、道鏡の野望を阻止したということでしょうか。
9月25日生まれ「 数多くの支援活動 」
1966年:スタニスラフ・ブーニン(ロシア:ピアニスト)
日本では最も有名な外国人ピアニストの一人。
ピアノコンクールとして非常に高い権威を誇るショパン国際ピアノコンクール(開催地:ワルシャワ)の第11回大会(1985年)にてわずか19歳の若さで圧倒的な優勝。
この様子をNHK(日本放送協会)が特集番組にて放送したことが発端となり、日本においても「ブーニン・フィーバー」などと呼ばれる現象が巻き起こり、クラシック音楽ファンの裾野を広げるきっかけとなった。
そんなブーニン
「ブーニン・フィーバー」を期にブーニン自身は日本を非常に好意的に思うようになり、頻繁に来日演奏会を催している。妻は日本人である。
その他多くのボランティア・チャリティーコンサートも日本で行ってきており、
その他多くのボランティア・チャリティーコンサートも日本で行ってきており、
・1993年7月12日の北海道南西沖地震の際には、ピアノを抱え奥尻島を訪問し、演奏会を行った。その時のピアノは奥尻町立宮津小学校に寄贈され、同島で丁重に保管されている。
・1995年3月21日には、阪神淡路大震災で被災した子供達のためのイベント「おーいあつまれこうべっ子フェスタ」(神戸市)で演奏を行った。
・2011年7月26日には、東日本大震災で被災した子供達を支援するガラ・コンサート(東京都)を開催し、2012年3月21日には仙台市太白区の仙台三桜高校で開かれた東日本大震災1周年追悼コンサートに出演。
・2012年7月1日には北朝鮮による拉致被害者家族会を支援するチャリティー公演(横浜市)も開催。
というように、被災した子供たちの元を訪れ、チャリティコンサートの開催やピアノを寄付するなど数多くの支援活動を行ってきた。ひとりからできることをする勇気。
9月25日の誕生花:「 烏麦:音楽が好き、魅力的な音楽 」
学名:Avena fatua
英名:Common wild oat
和名:烏麦
別名:エンバク
では f-o-q
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます