
回顧と展望(2)1953年からはじめたい
私の回顧或いは夢想はやはり1953年からはじめたい。 私が生まれた1953年とはどんな時代だったのだろう。日本の社会はどんなふうだったのか。 歴史年表などから目に止まるのは、テ...

回顧と展望(3)中学生、高校生となって
回顧と夢想を1953年からなどと書いたが、理解したいのは私がいつから政治や社会のことをあれこれ考えるようになったのか。左側になったのか。 小学生最後の1965年初めてビートルズを...

回顧と展望(4)宇井純の公害原論や民青のともだち
ある日、高校2年のとき同じクラスになった川崎くんから呉湾の汚染の調査に誘われた。宇井純の公害原論を読んだのはその後だったのだろうか。よく覚えてないがそれを機に水俣病のことを知った。...

回顧と展望(5)民放連最優秀ドキュメントを見て思ったこと
日本民間放送連盟賞テレビ教養番組部門の最優秀賞を受賞したドキュメンタリーを見た。 「三つめの...

回顧と展望(7)吉本隆明をめぐる断章ー2
吉本隆明全集6巻「憂国の文学者たちに」は二十歳前後に読んだはずだが。 吉本はこう書いている。 ...

回顧と展望(6)吉本隆明をめぐる断章ー1
きょう私の回顧・夢想は吉本隆明に向かった。 呉の高校を卒業した私は、西荻窪の下宿で吉本隆明、小田実らを読んでいたから。 ...

回顧と展望(8)60年安保のことは知らなかった
20歳になるころ私は日米安保条約の何たるかは知らなかったが、安保があるからアメリカのベトナム戦争に日本は加担するのだと考え、反安保の心情を強めていったのだと思う。 そして戦後史を...

回顧と展望(9)所得倍増計画と日本列島改造論
沢木耕太郎は「危機の宰相」で池田隼人が所得倍増を掲げて総理となった時代、1960年から東京オリンピックの1964年までを描いた。 それは私が7歳から11歳、小学1年から5年までに...

回顧と展望(10)1972年の出来事の映像は記憶の中にない
1972年のことを書いてみたい。 その年3月私は家を出て東京西荻窪のアパートで生活を始めた。4畳半小キッチン共同トイレ。午前中は髙田の馬場の予備校に行って午後は荻窪の図書館で本を...

回顧と展望(11) 日米安保条約とはなんだったのか。
ウクライナは、もしNATOに加入できていればこの侵略は回避できていたのでしょうか?NATOが...