
東京写真美術館
「発掘された不滅の記録1954-1975 VIET NAM そこは、戦場だった」
イスラム教徒の攻撃はテロであり、アメリカ政府のやることは「自由を守る」ことである。戦後アメリカ政府は世界中で「自由を守った」。
「9月11日だった。意を決した数人のパイロットによって異常な針路をとった飛行機が、彼らの憎むべき政治体制のシンボルを壊滅すべく、大都市の中心部に向けて突進した。瞬時の爆発、四方に飛び散る破片、地獄の轟音のなかで崩壊する建物、愕然として瓦礫のなかを逃げまどう人々。そして、この惨劇を生中継するメディア………」(イニャシオ・ラモネ「敵の出現」ル・モンド・ディプロマティーク)
2001年の話ではない。1973年チリの首都サンティアゴの話だ。この攻撃を主導したのはアメリカ政府であり、彼らが目指したのは合法的に選ばれたアジェンデ大統領の政府を転覆させることであった。
アメリカ政府は「自由を守るために」、ピノチェトという独裁者を君臨させ、チリの自由を奪った(マルケスの「戒厳令下チリ潜入記」が楽しい)。アメリカの後押しでピノチェトが政権を掌握してしばらくの間に3000名が「行方不明」になったことについて、それをアメリカ政府のテロだと言ってはいけないだろうか?
同じくアメリカがヴィエトナムでやったことも、戦争の口実さえないテロであった。
「テロとの戦い」をアメリカ人が口にするには、まず、自らのテロ活動の精算から始めなければならないのではないか。
もちろん、現代世界が単純な善悪二元論で切り分けることができるわけではない。
悪の米帝と英雄的なヴィエトナム人民などというのは夢想に近いだろうし、その夢想を信じた日本の左翼が存在したこともあった。世の中はそんなに単純ではない。
しかし、ただ一つ言えることは、裸で泣きながら爆撃から逃げる子どもの姿は、世界中誰一人として疑い得ない悲劇であるということだ。
そしてこの爆撃は、アメリカ人がなんのいきがかりもないヴィエトナムの地で行ったことである。アメリカが太平洋戦争で日本に使用した爆弾の量はハワイから東南アジア、日本本土、アリューシャンにいたる広い戦線全部で16万トンだったが、小国ヴィエトナムに落とした量は200万トンと異常な量である(さらに隣国カンボジア、ラオスには120万トン)。その上1万人の致死量が1グラムという猛毒のダイオキシンを170kg(何人分よ?)投下。その結果ヴィエトナム人の戦死者は300万人に近い。
「自由を守る」「テロとの戦い」、お題目はたいそうだが、そのお題目のおかげで裸で泣いている子どもたちがいっぱいいるのだ。ぼくらは想像力を持たねばならない。なすすべもなく泣いている子どもたちに思いを馳せねばならない。わかりやすいお題目に踊らされてはいけない。言葉ではなく、生身の人間の姿を、その生身の人間がぐしゃぐしゃに壊れていく様を思い浮かべなければならない。