南方熊楠 -森羅万象の探求者-
国立科学博物館 ~11/26
南方熊楠のノートは手で書かれたものであると同時に、体全体がのめりこむようにして作られたものだ。そこには知ることと生きることが同義である人間の尋常ならざる姿を見て取ることができる。
知ることと生きることが同義であるならば、努力することと生きることも同義である。努力して知ることが彼にとって生きることと等しい。
それが世上の評価を得ることがなくても、彼にとってそんなことはどうでもいいこと。
そのはずだった。
なんという悲しい結末だろう。溺愛していた息子が発病。今で言う統合失調症、昔の言葉で言えば精神分裂病だ。彼が愛していた息子が彼が生涯をかけた粘菌の標本・ノートをめちゃくちゃにしてしまう。努力することと生きることが同義だった彼の人生の中に、初めて努力してもどうにもならないことが生じる。それもかなり悲劇的な形で。
南方熊楠のノートにびっちりと書かれた小さな文字。
その生涯の果てを知るぼくには、その小さな字一つ一つにとてつもない重さを感じられてならなかった。
国立科学博物館 ~11/26
南方熊楠のノートは手で書かれたものであると同時に、体全体がのめりこむようにして作られたものだ。そこには知ることと生きることが同義である人間の尋常ならざる姿を見て取ることができる。
知ることと生きることが同義であるならば、努力することと生きることも同義である。努力して知ることが彼にとって生きることと等しい。
それが世上の評価を得ることがなくても、彼にとってそんなことはどうでもいいこと。
そのはずだった。
なんという悲しい結末だろう。溺愛していた息子が発病。今で言う統合失調症、昔の言葉で言えば精神分裂病だ。彼が愛していた息子が彼が生涯をかけた粘菌の標本・ノートをめちゃくちゃにしてしまう。努力することと生きることが同義だった彼の人生の中に、初めて努力してもどうにもならないことが生じる。それもかなり悲劇的な形で。
南方熊楠のノートにびっちりと書かれた小さな文字。
その生涯の果てを知るぼくには、その小さな字一つ一つにとてつもない重さを感じられてならなかった。