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ロードムーヴィー2本立て

2008年07月15日 12時40分55秒 | 映画

 ロードムーヴィーを2本見た。
 旅を経て人や人間関係が変化する。フランク・キャプラの「或る夜の出来事」以来のお約束であり、そこにロードムーヴィーの醍醐味がある。人格の変貌とは、一度古い人格が死んで新たな人格が誕生することから、旅は死から再生へ至るイニシエーション儀式と言うこともできる。
 事実、巡礼はそのためにこそ行われるのであるわけで、したがって、1本目の「サンジャックへの道」はその意味で、まさにロードムーヴィーの王道を貫いている映画と言っていいだろう。3人兄弟の母親が死ぬ際、遺産が欲しくばサンジャック(フランス語ではそう。日本ではスペイン語のサンチャゴ・デ・コンポステラの方がポピュラーかな)への巡礼を兄弟揃って行え、さもなくば福祉団体にすべて寄付してやる、と遺言を残したため、旅立つ3人。実業家だがストレスで薬に頼り、しかも自殺願望の強い妻に悩む長男、頑固で寛容さに欠ける教師の妹、アル中で人に頼り切り無職の末っ子の仲の悪い3人が巡礼ツアーに参加するのだが。
 サンチャゴは中世から有名な巡礼場所。そのため聖女フォアを奉るコンクなど教会関係の見所も多い。しかし、この監督はそれらを描こうとはしない。だいたい9名からなるこのツアー参加者だって教会からすれば、おいおい、と思うようなのばかり。病気の女性はともかく、あとは、この3兄弟に、山歩きと勘違いした女子高生2人、イスラム教徒のアラブ人2人(おいおい)。サンジャックの証であるホタテ貝をつけている人間もいない。
 そう、この監督はキリスト教や教会を描こうとはせず、旅の途上の風景とその中にある人間を描いているのだ。つまり、人間関係が変わったり、人格が変わったりするのは、信仰心や宗教のおかげではなく、彼らの徒歩による1500kmにおよぶ旅によってなのだ。
 美しく峻厳な自然の中、文盲のアラブ人、アル中の弟、いろんな人が係わり、変わっていく。奇蹟は起きないが、旅は人を変えるのであった。王道っす。



 もう1本のロードムーヴィーはそんなに長い旅をするわけではない「転々」。こちらも徒歩による旅、ただし都内。
 ぼくの好きなオダギリジョー(この人とメルヴィル・プポーが男優では二大お気に入りなのだ、あ、でも「ぼくを葬る」限定)は大学の法学部8年生。80万円の借金があり、取り立て屋の三浦友和からきびしく催促されている。そんなある日、三浦友和が100万やるから俺の東京散歩に付き合え、と。
 二人を取り巻くいろんな小ネタが面白い(とくに岸辺一徳のいじり方のおかしさ)。小ネタを振りまきながら二人の散歩が続いていく。ネタバレになるから、何のための散歩なのかは言わないけれど、小泉今日子の家に転がり込むことで散歩はクライマックスを迎える。
 それにしても小泉今日子がオダギリジョーのお母さんとしておかしくないことにかなりの衝撃を受けた。そこで鉢合わせしたふふみ役の吉高由里子が収穫。すばらしい。赤の他人が4人(小泉今日子と吉高由里子は叔母姪役だが)集まって、どこにもない雰囲気の家族が出来上がる。花屋敷のシーンにジーンと。
 今の東京、バブルの爪痕の残る東京なのに、不思議となにか懐かしい風景と相まって、なくなってしまったものの温もりを感じさせる映画だった。
コメント
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