自分の身体を過信していた。
今回のぼくの最大の落ち度は、自分の身体は自分が出会う最初の他者である、という視点を欠落していたことだ。そう。ぼくの身体はぼくにとっての他者なのだ。ぼくの思うがまま、うまくいくわけがないのだ(それと同時に自分の身体は自分が出会う最初の自然でもある。そして最初に出会う死者は、もしかしたら月かもしれないって、エリアーデっぽすぎ?)。
今回、白石峠を登っていて気づいたのは、自転車をこぐのは脚じゃないってことだ。
脚だろ、当たり前に? という人、わかる。ぼくもそう思っていた。だって、自転車、ペダルこぐのは脚だもんな。そして競輪選手なんて、樹齢何千年の杉の木みたいな脚してるもんな。
でもね、違うんだ。競輪って、短距離を力強くペダル踏んで走っていく、無酸素運動なんだ。あれは、1分もつかどうか、ある意味ギリギリ命削って勝負をしてる。陸上の短距離も一緒。筋肉で突っ走ってく。
それに対してロードレースや陸上のマラソンは有酸素運動。酸素を取り入れて、その燃焼力で走る。その場合、一番大事なのは、脚よりも、その酸素を燃やして、エネルギーとして循環させる、心臓と肺、この二つの器官。橋本聖子とQちゃんの脚を比べてみればよくわかる。
この二つの器官をいかに鍛えていなかったか、如実に露呈しました。もう、心臓ばくばく。汗だくだく。ほっぺがものすごいほてりよう。頭から何度も水を浴びるんだけれど、一向に冷えない。熱い(誤字じゃないよ、暑いんじゃなくて、熱いんだ)。ボトルの水を頭に浴びせると、ジュッって音がする感じ。
普段、距離走っているんだけれど、何一つ鍛えていなかったんだなと痛感する。
足をつく。さすがに押して登ろうとは思わないけれど、足をついた段階で、この峠に負けた。
完敗だ。悔しい。
足をとめて休んでいたら、ハングライダーが飛んでいた。高さが高さだけに、恐いよなあと高所恐怖症のぼくは思ったんだけれど、考えてみたら、自分が登ってきたところより下を飛んでる。飛んでる人を見上げることはあっても、下方に見ることは珍しいよなあ、とちょこっと感心。きみは自分の足でここまで登ってきたんですよ、素晴らしいじゃないですか、と褒めて育てる先生気分で、自分を励ます。
何台ものバイクや車に抜かれながらも、ようやく峠に到着。
この峠は出足がきつく、あとになると多少楽になる。R.シュトラウスが、最初の音で聴衆をとりこにしちゃえ、って言ってるのを思い出す。最初がきついと、延々これが続くのか、と峠に対して恐れをなしてしまうんだな。でも、最後の2kmくらいはたいしたことなかった(負け惜しみ)。
登ってるときはさ、もう二度と来ない、こんなことやってなんになるんだよ、馬鹿じゃないか、いや、馬鹿だ、こんなこと二度とやるもんかと思っていたんだけど、たぶんまたやるんだろうな。
標高760mくらい。白石峠にまたチャレンジしたがってる自分がとても不思議。
今回のぼくの最大の落ち度は、自分の身体は自分が出会う最初の他者である、という視点を欠落していたことだ。そう。ぼくの身体はぼくにとっての他者なのだ。ぼくの思うがまま、うまくいくわけがないのだ(それと同時に自分の身体は自分が出会う最初の自然でもある。そして最初に出会う死者は、もしかしたら月かもしれないって、エリアーデっぽすぎ?)。
今回、白石峠を登っていて気づいたのは、自転車をこぐのは脚じゃないってことだ。
脚だろ、当たり前に? という人、わかる。ぼくもそう思っていた。だって、自転車、ペダルこぐのは脚だもんな。そして競輪選手なんて、樹齢何千年の杉の木みたいな脚してるもんな。
でもね、違うんだ。競輪って、短距離を力強くペダル踏んで走っていく、無酸素運動なんだ。あれは、1分もつかどうか、ある意味ギリギリ命削って勝負をしてる。陸上の短距離も一緒。筋肉で突っ走ってく。
それに対してロードレースや陸上のマラソンは有酸素運動。酸素を取り入れて、その燃焼力で走る。その場合、一番大事なのは、脚よりも、その酸素を燃やして、エネルギーとして循環させる、心臓と肺、この二つの器官。橋本聖子とQちゃんの脚を比べてみればよくわかる。
この二つの器官をいかに鍛えていなかったか、如実に露呈しました。もう、心臓ばくばく。汗だくだく。ほっぺがものすごいほてりよう。頭から何度も水を浴びるんだけれど、一向に冷えない。熱い(誤字じゃないよ、暑いんじゃなくて、熱いんだ)。ボトルの水を頭に浴びせると、ジュッって音がする感じ。
普段、距離走っているんだけれど、何一つ鍛えていなかったんだなと痛感する。
足をつく。さすがに押して登ろうとは思わないけれど、足をついた段階で、この峠に負けた。
完敗だ。悔しい。
足をとめて休んでいたら、ハングライダーが飛んでいた。高さが高さだけに、恐いよなあと高所恐怖症のぼくは思ったんだけれど、考えてみたら、自分が登ってきたところより下を飛んでる。飛んでる人を見上げることはあっても、下方に見ることは珍しいよなあ、とちょこっと感心。きみは自分の足でここまで登ってきたんですよ、素晴らしいじゃないですか、と褒めて育てる先生気分で、自分を励ます。
何台ものバイクや車に抜かれながらも、ようやく峠に到着。
この峠は出足がきつく、あとになると多少楽になる。R.シュトラウスが、最初の音で聴衆をとりこにしちゃえ、って言ってるのを思い出す。最初がきついと、延々これが続くのか、と峠に対して恐れをなしてしまうんだな。でも、最後の2kmくらいはたいしたことなかった(負け惜しみ)。
登ってるときはさ、もう二度と来ない、こんなことやってなんになるんだよ、馬鹿じゃないか、いや、馬鹿だ、こんなこと二度とやるもんかと思っていたんだけど、たぶんまたやるんだろうな。
標高760mくらい。白石峠にまたチャレンジしたがってる自分がとても不思議。