教義と聖約86:1-3
Doctrine and Covenants 86:1-3
1 まことに、主は、小麦と毒麦のたとえについて、わたしの僕であるあなたがたにこのように言う。
1 Verily, thus saith the Lord unto you my servants, concerning the parable of the wheat and of the tares:
2 見よ、まことに、わたしは言う。畑は世界であり、使徒たちは種をまく者であった。
2 Behold, verily I say, the field was the world, and the apostles were the sowers of the seed;
3 彼らが眠った後、教会のひどい迫害者、背教者、淫婦、すなわちバビロンが現われる。このバビロンはすべての国民に自分の杯から飲ませる。そして彼らの心の中に、敵、すなわちサタンが座して支配する。見よ、彼が毒麦をまく。それゆえ、毒麦は小麦の生長を妨げて、教会を荒野に追いやる。
3 And after they have fallen asleep the great persecutor of the church, the apostate, the whore, even Babylon, that maketh all nations to drink of her cup, in whose hearts the enemy, even Satan, sitteth to reign—behold he soweth the tares; wherefore, the tares choke the wheat and drive the church into the wilderness.
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(ここからは、The ScripturePlus app からの、注釈です。)
イエスがなぜたとえ話で話されるのか、尋ねられた時、彼は弟子たちにこう言われました。
When Jesus was asked why He spoke in parables, He told His apostles,
"あなたがたには、天国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていない。
“Because it is given unto you to know the mysteries of the kingdom of heaven, but to them it is not given.
おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。
For whosoever hath, to him shall be given, and he shall have more abundance: but whosoever hath not, from him shall be taken away even that he hath.
だから、彼らには譬で語るのである。それは彼らが、見ても見ず、聞いても聞かず、また悟らないからである"(マタイ13:11-13)
Therefore speak I to them in parables: because they seeing see not; and hearing they hear not, neither do they understand” (Matthew 13:11–13).
譬は、霊を持つ人々への福音の奥義を開く道であり、神の王国の奥義を守る道です。しかし、それらを受ける用意のできていない人々へは閉ざされるのです。
Parables are a way of opening gospel mysteries to those with the Spirit and keeping the mysteries of the kingdom of God closed to those who are not ready to receive them.
この啓示で、救い主は、毒麦と麦の譬を説かれました。
In this revelation, the Savior interprets the parable of the wheat and the tares.
主が説明されたように、畑はこの世で,
そして種をまく人は、使徒たちを表しています。
As the Lord explains, the field refers to the world, and the sowers represent the Apostles.
初めの譬で、救い主は、ご自身を種まく人と言われました。
In the original parable, the Savior identifies Himself as the sower.
しかし彼の教えの最後に、弟子たちにイエスと同じように種まく人としてつかえるように勧め、"それゆえ行って、全ての国民に教えなさい"(マタイ28:19)と命じました。
But by the end of His ministry, He gives the charge to His Apostles to “go ye therefore, and teach all nations” (Matthew 28:19), enlisting them to serve as sowers as well.
しかし、弟子たちが"眠った"つまり死んだ後に、"背教者、淫婦、すなわちバビロン"は、毒麦を蒔きました。
However, after the apostles had “fallen asleep,” or died, “the apostate, the whore, even Babylon” sowed tares.
毒麦はその初期には麦のように見えますが、しかし成長すると周りの麦を最後は窒息させてしまう種類の雑草です。
A tare is a kind of weed that looks like wheat in its early stages but ultimately chokes the wheat it grows around.
数週間後に与えられた啓示で、キリストは、毒麦を次のように明らかにしています。
In a revelation given just a few weeks later, Christ identifies the tares as
"あの大きな教会、すなわち、自分の不貞に対する激しい怒りのぶどう酒をすべての国民に飲ませ、神の聖徒たちを迫害し、彼らの血を流した忌わしい行いの母。すなわち、多くの水の上に、また海の島々の上に座している者もの"(教義と聖約88:94)
“that great church, the mother of abominations, that made all nations drink of the wine of the wrath of her fornication, that persecuteth the saints of God, that shed their blood—she who sitteth upon many waters, and upon the isles of the sea” (D&C 88:94).
譬話の解き明かしを超えて、救い主は、もっと大切なことを、初期のキリスト教会は背教することを証されています。
Beyond interpreting the parable, the Savior, more importantly, witnesses that the early Christian church apostatized.
イエス キリストの本当の教会は、荒野に追い払われて、末の日に召されたジョセフ スミスや他の人々の働きを通して、福音の回復が必要とされたのです。
The true church of Jesus Christ was driven into the wilderness, causing the need for the Restoration of the gospel through the work of Joseph Smith and others called in the latter days.
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※本日もお読みいただいてありがとうざいます。
青字は教会の正式な翻訳です。
黒字は個人的な翻訳です。
譬話は、立体視ステレオグラムと似ています。
普通に見ていると画像が見えます。
ここまでは、当たり前です。
しかし、画像に目を近づけ、画像の中心に両目で焦点を合わせて、少しずつ画像を離していくと、新たな像が見えてきます。
同じように、イエスキリストの譬話は、霊で理解すると別の理解が開けてきます。
試されて見て下さい。
祈って聖典を読まれることをお勧めします。
良い安息日をお祈りします。