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わたしは挑戦を続けました

2022-01-23 14:14:40 | 日記
わたしは挑戦を続けました
 スティーブン・A・ペイン(アメリカ合衆国,ワシントン州)
 わたしが励まし,力づけた人が,今度はわたしを励まし,力づけてくれました。


写真/筆者の厚意により掲載
1972年,わたしはアメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴで合衆国海軍の新兵訓練に参加していました。わたしは「戻されて」いました。つまり個人的にも公式にも訓練に落第したということです。実のところ,わたしは2回落第していました。そこで,新しい隊とともに,最初からやり直さなければいけませんでした。

わたしは注意欠如・多動症(ADHD)と,ある種の高機能自閉症がありました。文章を読むのが苦手で,それが成績に悪影響を与えていました。さらに状況を困難にしたのは,わたしが新兵訓練に参加している間に父が亡くなったことでした。

唯一,わたしの気分を良くしてくれたのは,教会への出席でした。ある日曜日,わたしは証を述べている最中に,聖霊のささやきを感じました。それからわたしが述べた言葉は,わたしのものではありませんでした。静かな細い声がわたしにささやいて,わたしの言うべきことを指示したのです。

「皆さんの目の前にいる新兵は,2回落第しています」とわたしは言いました。「だれも失敗はしたくありませんし,2回連続の失敗を望む人などいません。しかし,落第もそんなに悪いことではありません。海軍は,わたしたちに懲罰を与えようとしているわけではありません。落第は,新兵が学んでいないことや,忘れてしまったことを学ぶための助けになります。変化や向上がないまま卒業することはできません。人生における最もすばらしい業績や成功へ向かって進んでいく前に,だれもが落第しなければならないと,わたしは証します。」

その1か月後まで,わたしは自分が言ったことをあまり深く考えませんでした。次の断食証会で,ある金髪の新兵が説教壇に立ちました。

 「先月,わたしは好成績を上げられませんでした。落第が待っていました」と,彼は言いました。「隊長からは,落第するのが君にとっていちばん良いことだと言われました。新しい隊に入ったわたしは,自分自身のことを失格者だと思いました。今にも諦めようとしていました。でもそのとき,2回落第した人と,その人の言ったことを思い出しました。そこで,わたしは挑戦を続けました。」

続いて,その新兵は聖霊がわたしの思いに与えられたのと同じ言葉を繰り返しました。わたしが励まし,力づけた人が,今度はわたしを励まし,力づけてくれました。

1972年10月,わたしは合衆国海軍兵学校をめでたく卒業しました。聖霊や仲間の新兵からの教化と励ましに,感謝の気持ちでいっぱいでした。

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このお話は末日聖徒イエス・キリスト教会2022年2月号リアホナからご紹介しました。

お読みいただいてありがとうございます。

良い安息日をお祈りします。


教育によって自分の可能性を発揮する

2022-01-23 08:40:22 | 日記
ヤングアダルト
教育によって自分の可能性を発揮する
YAウィークリースタッフ
学ぶ機会を求めることが自らの可能性を発揮するうえでどのような助けになるか,パプアニューギニアの一人のヤングアダルトが分かち合います。


イラスト/ジュリア・イエロー
あなたは自分がどのような人になりたいか,自覚していますか。そのような人になるうえで何が助けになるか,知っていますか。七十人のジョセフ・W・シターティ長老は次のように教えています。「自分がどのような人物になれるかについて明確なビジョンを育むことができたなら,主は皆さんのために道を開いてくださいます。

パプアニューギニアのフラ出身のクリスティーナ・オーゲリアは,教育によって自らの目標を達成する助けを得ています。クリスティーナは小さいころからずっと読書が大好きで,大学に行くという目標を持っていました。クリスティーナを教会に導いたのは,その読書愛でした。

「小学5年生のとき,学校には本がありませんでした」とクリスティーナは言います。「わたしの先生は教会員でした。先生はほかに本を持っていなかったので,わたしたちにモルモン書をくれました。」

時がたち,クリスティーナはフィリピンで伝道し,それからブリガム・ヤング大学ハワイ校で学び始めました。今は政治学と経営学の両分野を同時に専攻し,中国語を副専攻としながら,法科大学院を目指して努力しています。

クリスティーナは新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより帰郷を余儀なくされ,自身のストーリーの出発点に帰りました。故郷の村に滞在中のある日,クリスティーナは自分の小学校の図書館にシロアリが発生していることを知りました。クリスティーナは地元の団体と教会の協力を得ながら,新しい図書館の建設を監督しました。同時に,その図書館を今後長年にわたって運営し続けるためのシステムも整えました。

地域を助けられてうれしく思う一方で,自分がここまで来るには相当の信仰と努力が必要だったとクリスティーナは説明します。「何も持っていないけれども学びたいときにどんな気持ちがするか,わたしは知っています」とクリスティーナは言います。そして,自身のあらゆる経験を通して,クリスティーナは教育の価値と目的について多くを学んできました。
成績以上のもの
教会の指導者はしばしば,どのようなものであろうと可能なかぎり教育を求めることが重要であると教えています。「主と教会は教育を受けることを常に奨励してきました。それはわたしたちが能力を向上させ,主と天の御父の子供たちによりよく仕えるようになるためです」と,大管長会第二顧問のヘンリー・B・アイリング管長は教えています。

しかし,クリスティーナも話しているように,教育とはただ教室に座っていることだけを言うのではありません。「教授の一人がわたしたちにこう言ったんです。学問で大事なのは,ただ好成績を上げ,卒業証書をもらい,最終的に職を得ることではない。大事なのは概念を理解することだ,と。」そして,教育によって人生にほんとうに違いをもたらすには,学んだことを自分の一部としなくてはなりません。「学ぶことが大好きでなければいけません」とクリスティーナは付け加えます。

教育を受ける方法は,たくさんあります。「学ぶ場所は,学校だけではありません」とクリスティーナは言います。「教会でも学べます。家庭でも学べます。わたしたちはどこでも学べます。」知識を広げる機会を生かすとき,わたしたちはより高い教養を身につけ,学びの過程がますます生活の中心となっていきます。
教育は奉仕をする助けになる
わたしたち一人一人が「神にお会いする用意をする」(アルマ34:32)うえで知識は重要な助けになると,クリスティーナは証しています。「わたしたちは学ぶことによって成長し,自らの可能性を発揮できるようになります」とクリスティーナは言います。謙遜に知識を求めるとき,わたしたちはより天の御父とイエス・キリストのようになり,再び御二方とともに住むための用意をすることができます。

個人の可能性を解き放つことで,教育はほかの人々に奉仕する能力も高めます。ラッセル・M・ネルソン大管長は次のように言っています。「教育とは,ほかの人を助けたいと願う人を,助けることができる人に変えるものです。

これは,クリスティーナが教育から見いだした最大の祝福の一つです。「教育はわたしに,自分はほかの人にスキルを教えられるという自信を与えてくれます」とクリスティーナは言います。「教会で教えることにも,多くの責任が伴います。ですから,自信を持って若い女性や青少年を教えられるのはすばらしいことです。」
神がわたしたちを助けてくださる
教育を得るためには,根気と強さが必要です。しかし,それは可能です。最初,クリスティーナは目標をどのように達成すればよいか分かりませんでした。「どこで資金を得られるか分かりませんでした」と言います。しかしクリスティーナは次のことを知ります。わたしたちが神を信頼し,神の助けを求めるとき,神は御自分がお求めになっていることを達成できるよう,わたしたちを助けてくださるのです。

「自分の夢や計画のどれについても,わたしは必ず天の御父に二つのことを教えてくださるよう求めました。わたしに何が行えるのかと,どうすればそれを行えるのかです。そして,御父は決してわたしを放っておくことはなさいませんでした。わたしにとってより良いものがあることを御存じで,わたしを導いてくださいました。その間ずっと,わたしは天の御父がともにいてくださることを知っていました。また,今もともにいてくださいます。」

そして,わたしたちが天の御父の助けを求めるとき,御父はさらに教育と知識を得る機会を授けてくださいます。

教育を受けることは努力に値するということを,クリスティーナは知っています。「自分にはできないと考えている人には,神がわたしたちに与えてくださっている莫大な可能性を思い出してほしいと思います。神がその可能性を与えてくださっていると信じることで,わたしたちはそれを解き放つことができます。

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このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会2022年2月号リアホナからご紹介しました。

赤字青字は追加しています。

本日もお読みいただいてありがとうございます。

良い安息日をお祈りします。