つらさを経験した後により良い者となる
デビッド・シュラム
ユタ州立大学,人間発達・家族研究学准教授
わたしたちが人生と呼ぶ,この痛みを伴う試しの過程の一部には,わたしたちがほんとうに力強く進むかどうかを見るという目的があります。
イラスト/デビッド・グリーン
アダムとエバの堕落によって試しの状態が始まり,神の子供たちは「何であろうと,主なる彼らの神が命じられるすべてのことを彼らがなすかどうかを見〔る〕」(アブラハム3:25)ために試される機会を与えられることになりました。この試しの中で,わたしたちは幸福や喜びを経験しますが,誘惑,病気,障害,落胆といった試練や苦難も経験します。
不幸に直面して動揺する人がいる一方で,つらさを経験した後により良い者となる人もいるのはなぜでしょうか。預言者の言葉,そしてレジリエンスについての科学は,この問いに答えるための助けになります。
レジリエンスは,不幸や逆境,変化から回復する,あるいはそれらに適応する能力と定義されることがあります。アダムの堕落によってもたらされた変化は,より高い地点に向かって前進するための,レジリエンスの機会につながりました。天の御父の計画におけるこの部分により,わたしたちが死すべき状態を経験するための扉が開かれました。わたしたちはその状態にあって,喜びと不幸の両方,そして成長を経験します(2ニーファイ2:23参照)。
ここでは,現世の旅が苦難で満ちているときの助けとなる,レジリエンスの4つの原則を紹介します。
内面を探る
暗く困難な日々を経験しているときは,天の御父が授けてくださっている賜物を見つけるために,内面を探るとよいでしょう。
自分にこう問いかけてください。「この試しの時に用いることのできるどのような賜物や強さ,才能を,神はわたしに授けてくださっているだろうか。」祝福師の祝福を研究し,自分の人生での経験の中で,神が与えてくださっている賜物を明らかにする手がかりとなるものに注意しましょう(教義と聖約46:11参照)。
現代におけるプレッシャーや困難は途方もなく,息が詰まるように感じられるかもしれません。信仰をもってバランスを取らないかぎり,わたしたちの視野はストレスや心配によって狭まり,自分自身に集中してしまう恐れがあります。そのように自己中心的で,恐れに満ち,絶望的な考え方をしていると,わたしたちはなおさら圧倒され,不安を感じ,落ち込んだ状態のままになってしまいます。
また,わたしたちは自分の状況を,悩み事とは無縁に見える人たちの状況と比較したくなることがあります。しかし,この種の比較はわたしたちから喜びを奪います。感謝の気持ちが喜びを増すのとは対照的です。
わたしたちは天の御父が与えてくださっている賜物を認識することで,視野を広げることができます。ラッセル・M・ネルソン大管長が勧告しているように,「問題を列挙するよりも,祝福を数える方がはるかに良い」のです。前向きで感謝に満ちた思いを抱くことで活力や創造性が高まり,より見晴らしの良い場所から物事を見られるようになります。ほんとうに大切なことや自分のコントロールが及ぶ範囲のことに,もっと集中できるようになるでしょう。
ストレスの多い時期には,次のように自問するとよいでしょう。
・ 食事,運動,睡眠を通して自分の体と精神をもっと大切にする方法はないだろうか(教義と聖約88:124参照)。
・わたしは天の御父とイエス・キリストがこれまでどのように祝福を与えてくださってきたかを認識し,強さと導きを求めて御二方に頼っているだろうか。
・ 天の御父とイエス・キリストに従うなら,わたしの困難がどのようなものであろうと,御二方がわたしを祝福し,教えてくださると,わたしは信頼しているだろうか。
わたしたちは生活の中の良い側面を認識し,思い起こす必要があります。感謝の気持ちがわたしたちの心と思いに対して持つ力は,無数の研究によって示されています。感謝の気持ちは気分を高め,楽観的にしたり,不安や苦痛を和らげたりします。感謝の気持ちは,今この瞬間を肯定することを可能にし,有害な感情を抑制し,社会的なつながりを強化します。
混乱の時代にあって,神への信仰と信頼を深めることに集中し続けるとき,わたしたちは人生に対して大局的な視野を持ち,試練や災難や苦難の中にあって支えられていると感じることができます(アルマ36:3参照)。
外に目を向ける
レジリエンスの第2の原則は,外に目を向けることです。これは周りの人々と,神が与えてくださっているリソースとの両方に目を向けることを意味します。
人生における困難にうまく対処してきた人たちの多くは,周囲にある機会やリソースから強さを見いだすことが一つの鍵になったと言っています。その具体例としては,趣味を楽しむこと,日記を書くこと,運動をすること,聖典やそのほかの心を高める書物を読むこと,家族や友人,カウンセラーと話すこと,さらにはペットと時間を過ごすことが挙げられるでしょう。これらのすべてに,不安やストレスを減らす効果が認められています。
ニーファイもヤレドの兄弟も,「主が備えてくださった」(1ニーファイ17:5)リソースに頼りました。神は御自分の民が旅の中で困難を経験したときに利用できるよう,果実や種,木,野蜜から,鉱石,16個の石に至るまで,様々なリソースを民のために備えられました。神はあなたの旅の荷が軽くなるように,どのようなリソースを備えてくださっているでしょうか。
外に目を向けることには,自分が困難を経験しているときでもほかの人の苦しみに気づいて,それに対応することも含まれます。大管長会第二顧問のヘンリー・B・アイリング管長は次のように招いています。「人の艱難に気づき,助けようとしなければなりません。自分自身も厳しい試しのさなかにあるときには,特に難しいことです。しかし,たとえ少しでもだれかの重荷を軽くするときに,わたしたちの背は強められ,暗闇の中に光を感じ取れるようになるのです。」
十二使徒定員会のデビッド・A・ベドナー長老は,自分自身の試練のさなかに外に目を向けることでキリストのような特質を培うことの大切さを,次のように強調しています。「人格は,自分が苦しんでいるときにほかの人の苦しみを見極める力,自分が飢えているときにほかの人の飢えに気づく能力,自分が霊的な苦悩のさなかにいるときにほかの人の霊的な苦しみに対して手を差し伸べ,思いやりを示す力において明らかになります。ですから,人格は,わたしたち一人一人の中にある生まれながらの人の本能的な反応が内向きで自己中心的であるときに,外側に目を向け,手を差し伸べるという形で示されるのです。」
上を向く
わたしたちはレジリエンスを高めていく道において,内面を探り,外に目を向けるだけでなく,上を向いて平安と神の導きを請い求めることも決して忘れてはなりません。天の御父は,わたしたちが試練の間に主に対して心をかたくなにしなければ,わたしたちは心が入れ替わり,癒されると約束しておられます(教義と聖約112:13参照)。
深い絶望の中,リバティーの監獄で不衛生な食べ物で命をつなぎ,冷たい床に横たわっていた預言者ジョセフ・スミスは,上を向くことを選び,天の助けを請い求めました。
ジョセフは主から次のような保証を受けました。「息子よ,あなたの心に平安があるように。あなたの逆境とあなたの苦難は,つかの間にすぎない。」(教義と聖約121:7)次に主は,「あなたがそれをよく堪え忍ぶならば,神はあなたを高い所に上げるであろう。あなたはすべての敵に打ち勝つであろう」(教義と聖約121:8)とジョセフに約束されました。
上を向くことには,人生の嵐の中で平安を探し求めるときに,忍耐と広い視野を持って主の時期を信頼することが含まれます。困難の中で神がどのようにあなたを祝福してくださっているか,分かるでしょうか。
力強く進む
モルモン書の中で,ニーファイはわたしたちに次のことを思い起こさせています。「〔わたしたちは〕キリストを確固として信じ,完全な希望の輝きを持ち,神とすべての人を愛して力強く進まなければならない。」(2ニーファイ31:20)
重荷を感じているときでも,落胆の日々を送っているときでも,完全な希望の輝きを持っていないときでも,すべての人への愛を欠いているときでも,わたしたちはそれでもなお力強く進むという選択をすることができます。それこそわたしたちが読むのが大好きなストーリー,すなわち,レジリエンスの原則を学び,それらの原則に従って生きてきた忠実な聖徒たちのストーリーではないでしょうか。わたしたちがどのようにキリストを確固として信じながら力強く進めるかを,そのような信仰と勇気の実例は示しています。
確かに,望みどおりに祈りがこたえられないと感じる時も訪れるでしょう。より良い日々を嘆願し,切望するにもかかわらず,それでもなお離婚,死,病気,失望に見舞われることもあるでしょう。この痛みを伴う試しの過程の一部には,「主なる〔わたしたち〕の神が命じられるすべてのことを〔わたしたち〕がなすかどうかを見〔る〕」(アブラハム3:25)という目的があります。世界が暗闇にあるとき,わたしたちはなおも光を求めるでしょうか。
十二使徒定員会のジェフリー・R・ホランド長老は,試練と困難について話す中で,次のように問いかけています。「苦難を被っているとき,その苦難から解放されるまで,どれくらい待てばいいのでしょうか。待っても待っても,助けがなかなか来ず,個人的な試練に耐えなければならない場合はどうでしょうか。耐えられないほどの重荷と思われるのに,助けが遅れるのはなぜでしょうか。」それに続けて,ホランド長老はわたしたちを次のように力づけています。「信仰とは,神がわたしたちのために御腕を現されるのを見るまで苦しみがあるとしても,良い時も悪い時も神を信頼することであるということです。」
愛にあふれた全知の御方である御父は,御自分のすべての子供たちのために幸福の計画を用意してくださっただけでなく,わたしたちの成長と喜びのために,わたしたちの必要や潜在能力に合った地上の経験も準備してくださいました。内面を探り,外に目を向け,上を向き,力強く進むとき,わたしたちはつらさを経験した後により良い者となることができます。わたしはそのことを証します。
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このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会2022年2月号リアホナからご紹介しました。
青字赤字は追加しています。
本日もお読みいただいてありがとうございます。
良い1日をお祈りします。