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アブラハムと賀川豊彦から学ぶ子供の可能性

2022-02-17 23:07:51 | 日記
アブラハム​しょ
ジョセフ・​スミス​が
​パピルス​から​ほんやく​した​もの​
1章
5 わたしのせんかれらのしゅなるかれらのかみあたえられたせいなるいましめからはなれて、きょう神々かみがみれいはいし、わたしのことくのをまったくこばんだ。
6 かえらはあくおこなうことをそのこころめ、エルケナのかみと、リブナのかみと、マーマクラのかみと、コラシのかみと、エジプトのおうパロのかみにすっかりたよっていたからである。
7 そこで、かれらはきょうせいにそのこころけて、これらくちけないぐうぞうかれらのどもたちをささげ、わたしのこえこうとせず、エルケナのさいによってわたしのいのちろうとした。エルケナのさいはまた、パロのさいであった。
8 さてとう、カルデヤのきずかれたさいだんじょうでこれらこく神々かみがみへのせいとしてだんじょどもをささげることが、エジプトのおうパロのさいならわしであった。
9 そして、さいはエジプトじんりゅうしたがって、パロのかみにささげものをし、またシャグレールのかみにもささげものをした。ところで、シャグレールのかみ太陽たいようであった。
10 パロのさいは、オリシェムのへいおくにあるポテパルのおかばれたおかのそばにあったさいだんじょうで、ども感謝かんしゃのささげものとしてささげることさえおこなった。
11 さて、このさいは、かつてこのさいだんじょうで三にんのおとめをささげた。このおとめたちは、ハムのちょっけいおうひとであるオニタのむすめたちであった。このおとめたちはそのせっそうのゆえにささげられたのである。彼女かのじょたちはいし神々かみがみをひれしておがもうとしなかったために、このさいだんじょうころされた。そして、それはエジプトじんりゅうしたがっておこなわれた。
12 さて、さいたちはわたしにぼうりょくるい、このさいだんじょうでそのおとめたちをころしたように、わたしもころそうとした。このさいだんについてるために、このろくはじめにある参照さんしょうしてほしい。


30 このために、きんがカルデヤのぜんひろがった。すると、わたしのちちそのきんのためにひどくくるしみ、わたしのいのちろうとわたしにたいしてくわだてたあくいた。
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※先祖や父母がどうであれ、アブラハムは、神様にその信仰により、大いなる国民として祝福されました。
このことから、賀川豊彦を思い出しました。
賀川豊彦の生涯をご紹介します。




ビデオは、こちらから引用させていただきました。
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(また、ウィキペディアから、引用します。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%80%E5%B7%9D%E8%B1%8A%E5%BD%A6    



生い立ち
兵庫県神戸市に、回漕業者・賀川純一と徳島で芸妓をしていた菅生かめの子として生まれる。4歳の時に相次いで父母と死別して、姉と共に徳島の本家に引き取られる。徳島では血のつながらない父の本妻と祖母に育てられるが、「妾の子」と周囲から陰口を言われるなど孤独な幼年時代を過ごした[2][3] 。兄の放蕩により15歳の時に賀川家は破産してしまい、叔父の森六兵衛の家に移る。旧制徳島中学校(現在の徳島県立城南高等学校)に通っていた1904年(明治37年)、日本基督教会徳島教会にて南長老ミッションの宣教師H・W・マヤスより受洗。この頃安部磯雄・木下尚江の著作を読み、キリスト教社会主義に共感を覚える。また『戦争と平和』に代表されるトルストイの反戦思想にも影響を受け、軍事教練サボタージュ[要曖昧さ回避]事件を起こす。伝道者を志し、1905年(明治38年)に明治学院高等部神学予科に入学、卒業後の1907年(明治40年)、新設の神戸神学校(のちの中央神学校)に入学する。 社会事業家として結核に苦しみ、また信仰への懐疑に煩悶(はんもん)しながら、やがて「貧民問題を通じて、イエスの精神を発揮してみたい」と一念発起し、1909年(明治42年)神戸市新川のスラムに住み込み、路傍伝道を開始する。12月24日、神戸新川の貧民窟に転居し、救霊団(のちの神戸イエス団)の事業を始めた[4]。1911年(明治44年)に神戸神学校を卒業、1912年(大正元年)には一膳飯屋「天国屋」を開業した。


芝ハルとスラムで出会い、1913年(大正2年)に神戸の教会で簡素な結婚式を挙げた。ハルは印刷工場に勤務していた父の転勤に伴い、家族とともに横須賀から神戸に転居、父が勤務する印刷工場の女工となった。賀川はスラムの隣人を招いて披露宴を行い、普段はきつねうどん以上のご馳走を口にしない彼が寿司の折詰を配って妻ハルを紹介して言った。「私はみなさんの女中をお嫁にもらいました。あなた方の家がお産や病気で手が足らなくて困った時には、いつでも頼みに来てください。喜んで参ります」[5]。 ハルは結婚後、賀川とともにスラムで貧民の救済活動に献身、不衛生なスラムの環境によりトラコーマに感染し右目を失明するも、救貧活動を続けた。なお、賀川も両眼ともトラコーマに冒され、何度も失明の危機を経験している[2][3]。 1914年(大正3年)に渡米し、アメリカの社会事業、労働運動を垣間見つつ[6]プリンストン大学・プリンストン神学校に学び、1915年(大正4年)にスラムでの経験をふまえて渡米前に執筆した『貧民心理之研究』が出版される。同書は、貧民を外から観察するのではなく、貧民の中にあって観察・分析した「日本の貧民研究史上不朽のもの」[7]との評価もあるが、文中に被差別部落の人々への誤った差別的見解や表現があり、のちに、部落解放運動関係者から批判されている[8]。 1917年(大正6年)に帰国すると、神戸のスラムに戻り無料巡回診療を始めた。また、米国留学中の体験から貧困問題を解決する手段として労働組合運動を重要視した賀川は、鈴木文治率いる友愛会に接触し、1919年(大正8年)に友愛会関西労働同盟会を結成、理事長となった。また同年日本基督教会で牧師の資格を得た。 1920年(大正9年)に自伝的小説『死線を越えて』を出版、わずか1年で100万部超という一大ベストセラーとなり、賀川の名を世間に広めた。その後もベストセラー作家として、『一粒の麦』、『空中征服』、『乳と蜜の流るゝ郷』など、数々の小説を発表する。これらの原稿料や莫大な印税はほとんど関与した社会運動のために投じられた[2][3]。また同年、労働者の生活安定を目的として神戸購買組合(灘神戸生協を経て現・コープこうべ=日本最大の生協)を設立、生活協同組合運動にも取り組んだ。また、武藤富男らと共に、キリスト教系業界紙、キリスト新聞(発行元:キリスト新聞社)を立ち上げた。
(以下省略します。)
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先祖や父母がどうであれ、子供は立派な人物となり、立派な業績をあげることができます。
決して、先祖や父母の姿を見て、子供を判断してはなりません。
そのことを、アブラハムと賀川豊彦が証明しています。
その生い立ちがどうであれ、すべての子供に、素晴らしい可能性があることを、アブラハムと賀川豊彦は教えてくれています。
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お読みいただいてありがとうございます。
赤字青字下線は追加しています。



従順は祝福をもたらす

2022-02-17 05:07:36 | 日記
従順は祝福をもたらす
トーマス・S・モンソン大管長
神の戒めに従順になることによって,真理を知り,人が抱く最大の疑問への答えを得ることができます。
愛する兄弟姉妹の皆さん,皆さんと今朝一緒にいられることに感謝しています。皆さんにお話をするに当たり,皆さんの信仰と祈りを切に求めるものです。

すべての世代にわたって,人間はこの地上での生活,また現世における自分たちの立場と目的,また平安と幸福への道について,知識と理解を追い求めてきました。わたしたち一人一人が,それを探しています。

その知識と理解はすべての人に開かれています。それらは永遠の真理の中に含まれています。教義と聖約第1章39節にこうあります。「見よ,見よ,主は神であり,御霊は証する。そして,その証は真実であり,真理はとこしえにいつまでも変わらない。」

ある詩人は,このように書いています。
天は滅び,地は裂くとも
真理は悪を切り抜け
永遠に変わらずあらん
「その真理はどこにあって,どのように認識できますか」と問う人もいます。1833年5月,オハイオ州カートランドで預言者ジョセフ・スミスが受けた啓示の中で,主はこう宣言しておられます。

「真理とは,現在あるとおりの,過去にあったとおりの,また未来にあるとおりの物事についての知識である。……
真理の御霊は神から出ている。……
人はだれも神の戒めを守らないかぎり,完全な真理を受けることはない。
神の戒めを守る者は真理と光を受け,ついに真理によって栄光を受けて,すべてのことを知るようになる。」

何とすばらしい約束でしょう!「神の戒めを守る者は真理と光を受け,ついに真理によって栄光を受けて,すべてのことを知るようになる」のです。

福音のすべてが回復されているこの時代に,完全な真理を探すために地図にない海や標識のない道路を旅する必要は,皆さんにもわたしにもないのです。愛に満ちた天の御父が道を計画してくださいました。そして,常に変わることのない道案内を備えてくださいました。それは従順です。神の戒めに従順になることによって,真理を知り,人が抱く最大の疑問への答えを得ることができます。

わたしたちは人生を通じて従順を学びます。幼いころから,わたしたちを保護する責任を持つ人たちからルールや決まりを教えられ,それによって安全が確保されます。そのようなルールに完全に従えば,人生はより簡潔なものとなります。しかしながら,わたしたちの多くは経験を通して,従順こそ賢明であることを学びます。

子供のころ,毎年の夏,7月上旬から9月上旬にかけて,ユタ州プロボ渓谷のビビアンパークにある山小屋で家族とともに過ごしました。

休暇中の親友の一人にダニー・ラーセンがいました。彼の家族もビビアンパークに山小屋を持っていました。そこは男の子にとってパラダイスであり,彼とわたしは,川で釣りをしたり,石やそのほかの宝物を集めたり,ハイキングをしたり,高い所に登ったりして,毎日,毎時間,毎秒を楽しみました。

ある朝,ダニーとわたしは,その夜に渓谷にいるほかの友達と一緒にキャンプファイヤーをしたいと思いました。近くの野原の一部を全員が集まれるように準備する必要がありました。6月から生えていた草が枯れて,とげだらけになっており,わたしたちの目的には適していなかったのです。わたしたちはその背の高い枯れ草を引き抜いて,そこに大きな円形の場所を設けようとしました。わたしたちは一生懸命草を抜きました。しかしその枯れ草は頑固で,少しずつしか抜くことができませんでした。この仕事を終えるには1日かかるだろうということが分かりました。わたしたちの意欲も徐々に失われていきました。

そのとき,8歳のわたしの頭にすばらしい解決策が浮かびました。わたしはダニーに言いました。「この草を燃やせばいいんだ。草を燃やして大きな丸い形を作ればいい!」彼はすぐに賛成しました。わたしは山小屋へマッチを取りに行きました。

誤解のないように言っておきますが,当時8歳だったダニーとわたしは,大人の監視のないところでマッチを使うことを禁じられていました。わたしたちは二人とも火の危険について何度も警告されていました。しかし,わたしは,家族がマッチをどこに置いているか知っていましたし,その雑草をどうしても処分したかったのです。わたしは夢中で山小屋へ走って行き,マッチを数本取り出して,だれも見ていないことを確認しました。そして,マッチをポケットに入れました。

ダニーのところに走って戻りました。問題を解決してくれるものをポケットに入れていたので,とてもわくわくしていました。今でも覚えていますが,火をつければ,わたしたちが必要としている部分だけが燃えて,その後は魔法のように消えてくれるものと信じていました。

わたしはマッチを石にこすって火をつけ,乾き切った6月の草に火をつけました。まるでガソリンがかかっているかのようにすぐに火は燃え移りました。最初,ダニーとわたしはその雑草が燃えていくのをわくわくしながら見守りました。しかし,ほどなくして,この火は勝手には消えてくれないということに気づきました。火を止められないことが分かったとき,わたしたちはパニックになりました。火は雑草をたどって山の斜面に向かい始めました。松の木や,そこにあるすべてのものが危険にさらされたのです。

結局,助けを求めに走る以外に選択肢はありませんでした。すぐに,ビビアンパークにいたすべての男性と女性が大きな麻袋を持って走って来て,その火をたたいて消そうとしてくれました。数時間後にやっと鎮火ました。古い松の木々が救われ,火にのみ込まれていたであろう家々も救われました。

その日,ダニーとわたしは,難しいけれども重要な教訓を得ました。特に重要な教訓は,従順であることです。

ルールや法律は,わたしたちの身の安全を確保してくれます。同様に主は,わたしたちがこの危険な地上での生活をくぐり抜け,霊的に安全に天の御父のみもとへ戻れるようにするために,導きや戒めを与えてくださいました。

何世紀も前に,動物を犠牲にささげることが伝統になっていた民に向かい,サムエルは大胆にこう宣言しました。「従うことは犠牲にまさり,聞くことは雄羊の脂肪にまさる。」

またこの神権時代にも,主は預言者ジョセフ・スミスに次のことを明らかにされました。「主は心と進んで行う精神とを求める。そして,進んで行う従順な者は,この終わりの時にシオンの地の良いものを食べるであろう。」

昔も今も,預言者たちは従順が救いに不可欠であることを知っていました。ニーファイはこう宣言しました。「わたしは行って,主が命じられたことを行います。」ほかの人の信仰や従順が揺らいだときでさえ,ニーファイは常に主が求められることを行いました。それによって,数知れない世代が祝福を得ているのです。

アブラハムとイサクの従順の模範も,霊に感動を与えます。アブラハムにとって,愛するイサクをモリヤの地に連れて行き,燔祭としてささげるようにという神の戒めに従順に従うことは,何と難しかったことでしょう。定められた場所に向かっていたときのアブラハムの重い心を想像できるでしょうか。イサクを縛り,祭壇に乗せ,殺すために刃物を取り出したとき,悲しみが体と心の両方に襲いかかったことでしょう。アブラハムは主に対する確固とした信仰と信頼をもって,その戒めに従いました。彼は次の宣言を聞いたとき,その言葉をどれほど喜んで受け入れたでしょう。「わらべを手にかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子,あなたのひとり子をさえ,わたしのために惜しまないので,あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った。」

アブラハムは試練を受け,試されました。そしてその忠実さと従順さのゆえに,主は彼にすばらしい約束を下さいました。「地のもろもろの国民はあなたの子孫によって祝福を得るであろう。あなたがわたしの言葉に従ったからである。」

従順を示すために,これほど劇的で心を引き裂くような経験は求められませんが,わたしたちにも従順が求められます。

ジョセフ・F・スミス大管長は1873年10月にこう宣言しました。「天の第一の律法は従順である。

ゴードン・B・ヒンクレー大管長はこう言いました。「末日聖徒の喜びは,末日聖徒の平安は,末日聖徒の進歩は,末日聖徒の繁栄は,そして,この民の永遠の救いと昇栄は,神の勧告に従順に歩むことにかかっているのです。」

従順は預言者の特質の一つです。すべての時代を通じて,預言者は従順を通して強さと知識を得てきました。この強さと知識の源をわたしたちも受けられることを理解しなければなりません。それは,神の戒めに従うことにより,今の時代のわたしたちもすぐに受けられるものなのです。

わたしは長年にわたり,多くの忠実で従順な人々に会ってきました。わたしは彼らによって祝福され,霊感を受けました。その中の二人について,皆さんに分かち合いたいと思います。

ウォルター・クラウスは教会の熱心な会員であり,家族とともに第二次世界大戦後の東ドイツに住んでいました。当時その国には自由が限られていたためにクラウス兄弟は苦しみました。それでもクラウス兄弟は主を愛し,主に仕える人でした。クラウス兄弟は与えられたすべての割り当てを,忠実に,きめ細かく成し遂げました。

もう一人の男性はハンガリーの出身のヨハン・デンドーファーです。彼は1911年,17歳のときにドイツでバプテスマを受け,その後間もなくしてハンガリーに戻りました。第二次世界大戦後,故郷のデブレッセンという町で,まるで囚人のような扱いを受けました。当時,ハンガリー国民も自由が奪われていたのです。

ウォルター・クラウス兄弟はデンドーファー兄弟を知りませんでしたが,彼のホームティーチャーになって定期的に訪問するように割り当てられました。クラウス兄弟はホームティーチングの同僚に電話をして,こう言いました。「わたしたちはヨハン・デンドーファー兄弟を訪問するように割り当てられました。今週わたしと一緒に彼を訪問して福音のメッセージを分かち合うことはできますか。」そしてこう付け加えました。「デンドーファー兄弟はハンガリーに住んでいます。」

同僚は驚いて,こう聞きました。

「いつ出発するのですか。」

「明日です」とクラウス兄弟は答えました。

「いつ戻って来ますか。」同僚が聞きました。

クラウス兄弟は答えました。「1週間ほどです。もし帰ることができれば」と。

二人のホームティーチングの同僚がデンドーファー兄弟を訪問するために出発しました。ドイツ北東部から電車やバスを乗り継ぎ,ハンガリーのデブレッセンに移動しましたが,かなりの長旅でした。デンドーファー兄弟には戦前からホームティーチャーがいませんでした。彼はこの主の僕たちを見たときに,彼らが来てくれたことへの感謝で圧倒されました。彼はホームティーチャーとすぐには握手をしませんでした。寝室に戻って,小さな棚から箱を出し,長年ためてきた什分の一を取り出しました。彼は什分の一をホームティーチャーに渡してからこう言いました。「やっと,主に対して什分の一の義務を果たすことができました。これで,主の僕と握手するのにふさわしくなれました。」後に,クラウス兄弟はわたしに言いました。「長年教会と連絡が取れなかった彼が,わずかな収入の中から常に10パーセントを取り分けておいたことに,言葉にできないほどの感動を覚えました。彼は実際にいつ納められるか分からないまま,忠実にそのお金をためていたのです。」

ウォルター・クラウス兄弟は9年前に94歳で亡くなりました。彼は生涯を通じて忠実に,従順に仕えました。彼はわたしに,そして彼を知っていたすべての人に,すばらしい霊感を与えてくれました。彼はどんな割り当てを受けても,決して疑わず,つぶやかず,言い訳せずに,実行しました。

兄弟姉妹の皆さん,この人生の大きなテストは,従順であることです。主はこう言われました。「わたしたちはこれによって彼らを試し,何であろうと,主なる彼らの神が命じられるすべてのことを彼らがなすかどうかを見よう。

救い主はこう宣言されました。「わたしから祝福を受けたいと思う者は皆,その祝福のために定められた律法とその条件に従わなければならない。その律法とその条件は,創世の前から定められたものである。」

わたしたちの救い主以上に従順の模範はおられません。パウロはこう述べています。

「彼は御子であられたにもかかわらず,さまざまの苦しみによって従順を学び,

そして,全き者とされたので,彼に従順であるすべての人に対して,永遠の救の源と〔なられた。〕」

救い主は完全な人生を送ることにより,御自分の聖なる使命を果たすことにより,神への愛を示されました。主は高ぶることも,尊大になることも,不忠実になることもありませんでした。常に謙遜で,誠実で,従順であられました。

イエスは悪魔に試みられたときも,40日40夜の断食の後に肉体的に疲れて空腹になられたときも,悪魔から最も強い誘惑を受けられたときも,御自分が正しいと知っておられることから離れることなく,完全な従順の模範を示されました。

ゲツセマネの苦しみに直面したときも,「汗が血のしたたりのように地に落ち〔る〕」ほどの苦しみに耐えながら,主は御子としての従順さを示し,こうおっしゃいました。「父よ,みこころならば,どうぞ,この杯をわたしから取りのけてください。しかし,わたしの思いではなく,みこころが成るようにしてください。」

初期の使徒たちと同じ指示を,救い主はわたしや皆さんに与えておられます。「わたしに従ってきなさい。」わたしたちは従順になる決意ができているでしょうか。 

わたしたちが求める知識,切に願う答え,また,複雑で常に変化するこの世の試練に立ち向かうために必要な強さも,進んで主の戒めを守ることによって得ることができます。もう一度主の言葉を引用します。「神の戒めを守る者は真理と光を受け,ついに真理によって栄光を受けて,すべてのことを知るようになる。」

わたしたちが,従順によって得られる豊かな報いをもって祝福を得られますように,へりくだりお祈りします。わたしたちの主であり救い主であるイエス・キリストの御名により,アーメン。

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このお話は2013年4月の末日聖徒イエス・キリスト教会 総大会からご紹介しました。

十分の1について

以下の記述があります。

「 38 かみかれを,まずしい人々ひとびとのために什分じゅうぶんいちるようにさだめておられた。
39 そこでアブラムは,ぶんっていたすべてのもの,すなわちかみ必要ひつようえてさずけてくださったすべてのしょゆうとみ什分じゅうぶんいちかれおさめた。 」
(ジョセフ・スミス訳創世記14:25-40より 抜粋)

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本日もお読みいただいてありがとうございます。

赤字青字は付加しています。

良い1日をお祈りします。