イエス・キリストの福音をご紹介します。

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

あな た を愛 す る あな たの嫁, 七人 の むす こに も まさる彼女

2023-01-15 15:35:43 | 日記
改宗を通して
得られる自信

中央扶助協会会長会第二副会長
アイリーン ・H・クライド


助協会と若い女性の皆さん,そして初等協会の子供たちの指導者である皆さんが一堂に会す る、この大きな集会に出席でき,とてもうれしく思います 。今晩,恵まれて,ヒン クレー副管長 ,モンソン副管長 ,ハンタ
ー長老 をはじめ、多くの神権 指 導者 の方々 が,私 た ち と共 に集 って くだ さ ってい ます。

私 た ち は, 「す ば ら しい」 時代 に生きて い る と思 い ます。 「す ば ら しいと呼 べ るの は,私 た ち一人 一人 が個 人として, 自信 に満 ち た,正 しい, そ して何 よ りも幸福 な人生 を送 るた めに必要 な知識 を与 え られ てい るか らです。

い つの 時代 の男女 もそ うで あ った よ うに, 確 か に私 た ち は複 雑 で, うつ ろいやす く, また と きには腐敗 した社 会 に生 活 してい ます。

しか し,回復 され た福 音 の おか げで, 心 の平安 や成長 を脅かす よ うな不 安定 な状 況 にあ って も,生 きて い くた めの, さ らには勝利 を得るため の知識 を,私 た ち一人 一人 が 学び, 身 につ けてい くこ とが で き ます 。

は るか昔 , モー セ は山上 で主 と言 葉を交 わ しま した。

主 はモーセに,現在私たちが住んでいる世界をお見せになりました。それはたぐいまれな示現でした。私はこのような記録をほかに見たことがありません。

モ ー セ この世 の極(はて) と,創 らる るすべ て の 人 の子 ら と嘗(かつ) て創 られ しすべ て の人 の子 ら とを見 て, これ らの こ とをいた く驚 き怪 し め り。」(モ ー セ1:8)

こ の地 上 にか つ て存在 し, また これ か ら存在 す るで あ ろうすべ て の人 や 物 を 目にす る とい うの は どの ような もの か,想 像 で きるで し ょうか 。畏 敬 の念 に満 たされた モー セ は,この よ うに言 い ま した。

さて これ を以 て わ れ知 る,人 は物 の数 に もあ らざる を。 この事 を嘗(かつ) てわ れ考 えた る こと もなか りき。」(モ ーセ1:10)

そ の後 ,主 は モ ー セ に, 最も重要 な真 理 をお教 えに な りました。

主 は この よ うに言 わ れ たの で す。 「れ わが 業 に してわ が栄 光, す なわ ち人に不死 不滅 と永遠 の生 命 とを もた らすな り。」(モ ー セ1:39)

私 は これ に,「す べ て の男 女 に」 と付 け加 え た い と思 い ます 。

私 た ち は, 広大 な宇宙 に比べて 自分 は取 るに足 りない存 在 だ と感じる もので す。その私たちのために、宇宙や地 球 が創 造 され た とい うの です 。

これ は, モー セ だ けで な く私 たち に とって も, ま さに驚嘆 す べ き事実 で す。

大 切 な の は, 私 た ちが心 を開 いて,モ ー セが 目 に した よ うに, 小 さい存 在で あ りなが ら大 いな る価値を持 つ という,一 見相 反 した もの の よう に思 える事 柄 を理解 し よ うとす る こ とです 。

典 は, 私 た ちが特 別 で, 永遠 の存 在 であ る こ とに気 づ かせ て くれ ます。 私 たち は この世 に生 を受 けるず っ と以 前 からひ と りの人 として存 在 して い ました。

そ の時 に も選 択 の 自由が あ り,危 険 困難 が待 ち受 けて い る と知 りなが ら地 球 に来 る こ とを選 び ました。 私 たちはその 時, イ エス ・キ リス トの計画 に従 うこ とを選 ぶ だ け の確 か な確 信 を持って いた ので す。

私 たちが 正 しい生 活を送 れ るよ うに, また互 い に愛 し助 け合 い, 悪 を断 ち切 っ て善 を求 め る よ うに,主 が道 を示 して くだ さる こ とも知って い ま した。

その後 ,私 た ち は この地 上 にや って来 ま した。そ して, モ ーセが 見 た あの大 いな るパ ノ ラマ の中 の一部 , す なわ ち真砂 の よ うな多 くの人 々 のひ と りとな った のです。

今 で は, 一人 一人 が かつ て は理 解 して い た 自分 の価 値 , そ してか つ て抱 い てい た 目的意識 や 天 の家族 との一 体感 を見 いだ そ う と必死 になって い ます 。 この地 上 で再 び一 か ら学び直 して福音 の知 識 を得 る と き,私 たち は前世 にお いて 自分 の選 び に よって偉大 な指 導 者 で あ られ るキ リス トに従った のだ とい う, か けが えの ない真 理 を知 る こ とが で き ます 。

主 は ご自分 の使命 を果 た して くだ さい ました。 私 たち も主 と契 約 を交 わ し, 主 にパー トナー とな って いた だ くために, 自分 の責任 を果 たす のです 。

これ につ い て, モルモ ン経 の 中でベ ンジ ャ ミン王が 次 のよ うに記 してい ます。
お前 た ち の結 ん だ誓 約 の た め に お前 たち はキ リス トの子 と呼 ばれ, キ リス トの息 子 や娘 と呼 ばれ る。 それ は今日(こんにち)キ リス トが お前 たち の精神 を新 に生み た も うた か らで あ る。 お前 たち はキリス トの御名 を信 ず るか ら自分 の心 が改 ま った と言 う。従 って, お前 た ち は
キ リス トに よ り生 れて そ の息子 や娘 となっ た。
お前 た ち はキ リス トと言 う頭 の下 にあっ て 自由 を得た。 この ほか に は どこに もお前 たち を 自由 にす る こ との で きる頭 はな く,救 い を与 え る名 前 はない。
それで あ るか ら,私 は生 涯 の終 りまで従順 で な くて はな らな い誓約 を神 と結ん だお前 たちが喜 んで キ リス トの御 名
を引 き受 け るよ うに望 む。」(モ ーサ ヤ5:7-8)

天 父 や救 い主 に とって私 た ち一 人 一人 が大切 な存 在 で あ る とい うこ とをお話 しす るのは,皆 さん が この福音 の知識 に よって, 正 しい選 び をす るた めの自分 の力 に自信 を築 き, 霊 的 に成 長 して い ける よ う,切 に願 って い るか らです。

中 に は強 い命 令 口調 で 「これ を しな さい, あれ を しな さい」 と言 っ て ほしい と思 う人 もい るで し ょ う。 また,何 をす る に も,前 もっ て ど うす べ きかはっ き り とした神 様 か らの答 えを望 む人 もい るか もしれ ませ ん。

最 近, ブ リガ ム ・ヤ ング大学 で の フ ァイヤ サ イ ドの説教 でダ リン ・H・ オ ー クス長 老 はこの よ う に話 され ま した。

個 人 的 な決断 は,私たちが現世で経験するように意図され た、成長 の源 の ひ とつで す。
すべ て の決 断 を主 にゆ だね, あ らゆ る選 び につい て啓示 を求 め る人 は, 祈 っ
て も導 きが得 られな い こ とに, やが て気 づ くで し ょう。例 を挙 げ るな ら, さ
さいな こ とにつ いて の選 びで あ る場 合や , どれ を選 んで もよい場 合 な どです 。
私 た ち は, 創 り主 か ら与 え られた判 断力 を用 い, 心 の 中 によ く思 い計 る必 要が あ ります。 それ か ら導 きを祈 り求 め,導 きを受 けた な ら, それ に従 って行 動し ます 。
しか し, も しも導 きを受 けなか っ たな らば, 自分 の最 良 の判 断 に従 うのです 。」(「己 の 力 は破 滅 を もた らす こ と
もあ る」 ブ リガム ・ヤ ング大学 ス テーキ部 にお け るフ ァイ ヤサ イ ド,1992年6月7日 ,pp.3-4)

私たちがイエス・キ リス トの福 音 に 改 宗すると、謙遜になるとともに勇 敢にもなります。 改宗 に よって, 決断 するた めの大 きな力 を得 るか らで す。

良 な人 々が この世 で実 際 に直 面 す る状況 を示 す良 い例 が, 旧約 聖書 の中 のルツ記 に記 され て い ます 。

〔英 文 で〕 わず か5ぺ 一 ジ とい う大変 短 い もので すが, 読 む たび に新 しい発 見 が あ ります。

最近 は,改 宗, 勇気 , そ して決 断 の物語 として とらえ るよ うに な りま した。

時代 や文 化 は異 な って い ますが ,私 たち に も当て はま る こ とが書 かれ て い るの です。

ナオ ミは,夫 エ リメ レ ク とふ た りの息子 と共 に,敵 国 であ るモ ア ブの地 に移 りま した。彼 らの祖 国イ ス ラエル にい ききんが起 こったか らで す。 しばらくして息子 た ち は,オルパ とルツというモ アブ人 の妻をめとりました。

それか ら10年 の間 に,夫 と息 子 たち はこの世 を去 りま した。ユダ か ら ききんが去 った こ とを耳 にしたナオミは,祖
国に帰りたいと思いました。

彼 女 はふた りの嫁 に, それ ぞれ の母 の家 に帰 るよ うに勧 め ます 。

ナオ ミはふ た りをと呼 び, 口づ けを し ます 。 ナオ ミを愛す るふ た りは涙 を流 しま し た。

(こ れは実 に注 目すべ きこ とで す。 これ ま気 づ きませ んで したが, この明確 で有名 な記録 が役 立 て られれ ば,世 の中 によ くあ る嫁 しゅ う とめ につ いて の笑 えな い冗談 も影 を潜 め るので はな いで しょ うか)

し か し, 結 局 オ ル パ は モ ア ブに残 るこ とに しま した。

そ してナ オ ミは もう一度 ル ツ に 「ごらん な さい。あなた の相嫁 は 自分の民と自分の神 々 のも とへ帰 って行 きま した。 あな た も相嫁 の あ とにつ い て帰 りな さ い」 と言いました。(ル ツ1:15)

こ こで ル ツ は, 自分 の決 意 を,威 厳に満 ち,美 しい響 きを持 つヘ ブ ライの言 葉 で語 り, そ の改宗 が堅 固 な ものであ る こ とを示 しま し た。

あ な た を捨て, あ なた を離 れ て帰 る ことをわ た しに勧 め ないで くだ さい。 わた しはあなたの行 か れ る所 へ行 き, また あな たの宿 られ る所 に宿 ります 。 あな たの民 は
わ た しの民 , あ なた の神 はわ た しの神で す。」(ル ツ1:16)

現実 的 で賢 明 なナオ ミは, ル ツの固い決 心 を知 り, 「そ の上 言 う こ とをやめ」 ま した。(ル ツ1:18参 照)

こ れ はル ツ に話 す こ とをや めた とい うの で はな く, イ ス ラエル で経験 す るで あ ろ う困難 につ いて ル ツにわ か らせ よ う とするの をや めた とい う ことです。 モ アブ人 で あ るル ツが, よそ者 扱 い をするかたくなな人々や,飢え,多くの危険に遭遇するのは目に見えていました。 しかし彼は改宗していました。 決心していたのです。 彼女 はナオミと一致協力 して,や って来 る問題 に立 ち向か うだけで な く,与 え られ るチ ャンス も前向 きに受 け止 めて い った のです 。
------------------------------
(She and Naomi became a great team, facing together not only the problems before them, but the opportunities that would come also. )
------------------------------

やが てル ツは ボアズ と結婚 し,ふ たりに子供 が 生 まれ ました。rそ の とき,女 たち は ナ オ ミに言 った, 『主 は ほむべ きか な, … … あな た を愛 す る あな たの嫁, 七人 の むす こに も まさる彼女〔その子〕 を産 ん だの です から。』
そ こで ナオ ミはそ の子 を とり,・・・養 い育 てた。近 所 の女 た ち は 『ナオ ミに男 の子 が生 れ た』 と言 って ,彼 に名をつ け, そ の名 をオベ デ と呼 ん だ。彼はダ ビデの父 で あ るエ ッサ イの父 となった。」(ノレツ4:14-17)

この よ うな予言 こそ,私 たち に とって大 変重 要 なの です 。

女性 が リー ダーシ ップ を取 る こ とを よし と しな い社会
にあ って, この ふ た りの女性 , ナオ ミとル ツが もた ら した結果 を、聖典の筆者は注意深 く強調してい ます

オベデはダ ビデ の父であるエッサイの父となった のです が, マ タイによ る福音 書 第1章 に詳 細 に記 され て い る ように、このダ ビデ の系統 か らキ リス トと呼 ばれるイエ スが 生 まれ たの です。

短 い ル ツ記 が, この よ うな大 い な る出来 事 を予言 してい るな どと考 えた こ とが あ るでしょ うか。

ル ツ は,愛する人の死 ,新しい土地での孤独感 ,糧を得るた めに必死 に働くことなど,私 た ち の時代 にもあるような困難 に,自信を持って立ち向かいました。彼 女 の数々の小さな努 力が,後の偉大な出来事に結びついたのです 。

私はこのルツの行ないを通して, 私 たち一人 一人 に とって の 日々 の生 活 の価値 とと もに,神 に従 う選 び をす る こ との大切 さ を学 び ました。

今 晩私 が皆 さん にお話 しした ことは,私 の個 人 的 な証 です。 私 は自分 が ,選択 の 自由 につい ていくらか理解して いることと,天父と天父が与 えてくださる導きを信頼している ことに感謝しています。 救い主 の贖いに感謝しています 。主 は,そのためにどのような目に遭うかを完全に理解しておられ ました。

信仰 と愛 が もた らす 祝福 に感 謝 して います。 これ に よっ て私 の胸 は喜 び に満た さ れ, 私 た ち は確 か に 「す ば ら し」時代 に生 きて い ると感 じる こ とがで きるので す。
イ エス ・キ リス トの み名 に よ り申 しあ げます。 ア ー メ ン。

------------------------------
このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会総大会1992年9月26日(士)女 性 の大 会から、
ご紹介しました。
------------------------------
学んだ事は、
7人の息子に勝る嫁がいたということ

姑は、嫁を自分自身の娘として受け入れたこと

姑と嫁がteamチームを組んで協力し合って一緒に、困難に立ち向かっいったこと

この姑と嫁が、イエス・キリストの先祖になったこと

夫と息子を失った、全てを失った姑に男の子が生まれた事実

女性の働きの素晴らしい潜在的な可能性

女性の偉大な可能性が発揮されたら、偉大なことが起こることを、男性は、知るべきです。
女性も、自らの偉大な可能性を理解出来ますように。



Agencyとはただ選択する自由だけではなく,自分が世界を作り出すこと,無限に秘められた力を発揮することです。

2023-01-15 10:54:14 | 日記
リアホナ2014年2月号
 福音のキーワード─【Agency】選択の自由─行動を選ぶ自由

デレック・リン・ウェスマン

Agency(名詞)という英語は,ラテン語のagere(動詞)に由来します。agereはまさに「行う」という意味です。agencyの名詞としての意味は,「力を発揮するその様子」または,「行動している状態」ということなんです。

モーセ書7章32節,ここは神様がエノクに話しているところです。「わたしは彼らを創造した日に,彼らに知識を与えた。またエデンの園で人に選択の自由を与えた。」英語は「gave I unto man his agency」,もちろん「選択の自由を与えた」というのは正確な表現ですけれど,agencyの語源を考えてこれに当てはめると,「またエデンの園で人に行動する能力,力を発揮する能力を与えた」,そういう意味です。


Agencyを持つもの,という意味でagentという言葉があります。スパイ映画でよくエージェントって言いますね。

辞書の定義を並べると,「代理人,代理業者,取次人,仲介者,政府の職員,警官,護衛官,スパイ,工作員,諜報員」。

化学的な意味も面白いんです,「変化をもたらす主体,手段,媒介,作用因子。ある結果を引き起こす化学物質や病原体」。

肝心な点は,語源的にagentやagencyの裏にはとにかく,行動するもの,(作用されるのではなく)作用するもの,という意味が入っていることです。

「選択の自由」は,日本語表現的にはあまり行動のイメージを伴いません。どちらも選んでいいよ,みたいな感じになるでしょう。だからもし「選択の自由」と聖文の中に出てきたときには,それを「自分の行動を選ぶ自由」と置き換えたらいろいろな発見や洞察が得られるかもしれません。

独立と自由と責任

エージェンシーはチョイス(Choice)より深いですね。単純にチョコレートを選ぶかクッキーを選ぶかは,ある意味,子供でもできます。

でもagencyはそうじゃなくて,意味の深層に,自分の行動と振る舞いに対して責任が伴う,自分以外に責任を持つ人がいない,という自己責任のニュアンスが含まれています。


もう一ついい聖句があります。教義と聖約93章30−31節。

「30すべての真理は,神がそれを置かれた領域において独立し,それ自体で作用する。すべての英知も同様である。そうでなければ,存在というものはない。

31見よ,ここに人の選択の自由があり,(Behold, here is the agency of man,)またここに人の罪の宣告がある。

なぜならば,初めからあったものが分かりやすく示されているのに,彼らがその光を受け入れないからである。」

30節に,すべての英知(intelligence=人間)も同様である,とありますね。

ですから神様がわたしたちをどんな境遇に置かれたとしても,人はそこで独立して自分で作用(act for itself)できますよ,作用されるのではなくて。ここに行動を選ぶ自由(agency)がある,と言われているんです。

わたしたちには,特に教会員としていろいろな光が与えられています。


それに従うかどうか,行動するかどうか選択する自由(agency)はある。けれど,行動を選んだ結果には責任を伴うし,不幸なことも起こり得ます。「すべての人がわたしの与えた道徳的な選択の自由(moral agency)に応じて……自分自身の罪に対する責任を負う」(教義と聖約101:78)。

周りが皆しているから大丈夫だとか,それは言い訳にならないんです。

だからエージェンシーというのは独立(independent)という概念にも結びついている気がします。


人生は自由回答の試験


プロ野球ではよくフリーエージェントという言葉を聞きます。それはまさに自由に移籍できる選手のことですよね。自分にとっていいと思ったときに別のチームに移ってそこでプレーする。チームには作用(拘束)されず,自分で選んだ行き先のチームに作用(貢献)する。そしてもっとお金がもらえる。

─それは教会の教義と無縁ではないのです。わたしたちはこの地上で,神の戒めに従い,人にはキリストのように接する中で,自分たちの可能性を追求することは大いに許されています。自分で決めて自分にとってベストだと思うことをどんどんしていいんです。

わたしたちは神様の性質を受け継ぐ神の子供として,神様から与えられた力を発揮できる。どんな方法でするかは,何と,わたしたちに任されている。そう考えると人間ってすごいなと思うわけです。

わたしたちは独りでもすごいことを成し遂げることができます。重い責任も伴いますけど,これはすごくうれしい話じゃないですか。神様の賜物がいかに大きいか,垣間見る気がしますね。


例えば,試験で幾つかの選択肢から選びますよね。それは誰かに与えられた,すごく限られた選択の自由です。

これを人生に当てはめると,Agencyとはただ選択する自由だけではなく,自分が世界を作り出すこと,無限に秘められた力を発揮することです。選択肢問題ではなく,わたしたちは自由回答問題で生きています。自由回答の方がよほど難しいでしょう。だから人によっては選択肢を好む気持ちがあると思います,楽だし。

でも,受け身になってはだめです。Agencyというのは決して受け身じゃないんですよ。自由回答形式だと,一生懸命考えて,行動することによって,もしかしたら史上最強のすばらしい答えを出せるかもしれないんですよ。(談)◆

-----------------------------------------------------------------------------------------------
こちらの記事は、末日聖徒イエス・キリスト教会機関誌
「リアホナ2014年2月号 福音のキーワード─【Agency】選択の自由─行動を選ぶ自由」からご紹介しました。

日本人は、周りの空気を見ることにたけていますが、神様の教えは、
自分の考えで良いことを、たくさんの良いことを実行しなさいということです。特に、学問、学校の成績などで、人の本来の能力の開花を妨げる、本来の才能を委縮させることのないことが望まれます。大学共通テストなど、日本の学校制度の点数選抜の嫌いな理由です。

本日もお読みいただいて、ありがとうございます。
良い一日になりますように。