思いやり(3)
第一副管長
トーマス・モンソン
残酷な仕打ちを受けている十字架上から救い主が母親にかけられたや優しい別れの言葉は特別にわたしたちの心を打ちます。
イエスは、その母と愛弟子とがそばに立っているのをごらんになって、母に言われた、『婦人よ、ごらんなさい。これはあなたの子です。』
それからこの弟子に言われた、『ごらんなさい。これはあなたの母です。』そのとき以来、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。
葬儀で飾られた花がしぼんだ後、友人たちの元気づける言葉は思い出となり、ささげられた祈りと語られた言葉は記憶のかなたに消えてゆくことを忘れてはなりません。悲しみに暮れていた人たちは自分が一人取り残されたことに気づきます。子どもたちの笑い声や起伏の激しい10代の子どもたち、そして世を去った伴侶の優しく愛のこもった関心はもう帰って来ないのです。時計の時を刻む音がやたらと大きくなり、時間がゆっくりと進み、家の四方を囲む壁が牢獄となります。
愛と思いやりにあふれる関心から、飢えている者に食物を与え、裸でいる者に着せ、家のない者に住まいを与える人々をわたしは称賛します。すずめが地に落ちるのをご存じの御方は、そのような奉仕に気づいておられます。
主の思いやりと神の計画によって、聖なる神殿は人知ではとうていはかり知ることのできない平安を御父の子らにもたらします。
今日、ゴードン・B・ヒンクレー大管長の指導の下で建設された、また建築中の新しい神殿の数の多さには目を見張るものがあります。地上にいる御父の思いやりにわたしたちはただただ感謝するばかりです。
自分の命、福音、模範、そして恵みあふれる贖いをわたしたちに差し出してくださった救い主イエス・キリストに感謝します。
再び、オクラホマ・シティに思いを戻します。現在、あらゆる美しさを備えた主の神殿があの街に建てられていることは、単なる偶然ではなく、地上における喜びと次の世における永遠の喜びへの道を示す、天から送られたかがり火であるとわたしは考えています。詩編の言葉を忘れないようにしましょう。
「 夜はよもすがら泣きかなしんでも、朝とともに喜びが来る。」
詩篇30:5weeping may endure for a night, but joy cometh in the morning.
主はまさにそのとおりの意味で、
「見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしはその中にはいって彼と・・共に〔いる〕であろう。」
とわたしたちに語りかけておられるのです。
主がたたいておられる音に耳を傾けようではありませんか。
心の扉を開いて、まことの思いやりを生きた模範として示された主が入って来られるようにしようではありませんか。
イエス・キリストの御名により心から祈ります。アーメン。
(完了)
このお話は、末日聖徒イエス・キリスト教会2001年4月の総大会からご紹介しました。
マタイ1:29 二羽のすずめは一アサリオンで売られているではないか。しかもあなたがたの父の許しがなければ、その一羽も地に落ちることはない。
29 Are not two sparrows sold for a farthing? and one of them shall not fall on the ground without your Father.