1860年頃 フィラデルフィアの牧師 シルベスター・グラハムはアルコール・肉・香辛料・性行為は健康によくないと説いた。
更に、グラハムは化学肥料を利用した穀物は食べるべきではないと講釈した。彼にとって食の質の基準は味ではなく健康だったようで
白いパンを作る場合も石膏や水酸化カリウムの粉を混ぜることを糾弾した。
グラハムに耳を傾ける人が増え、アメリカの多くの都市にはグラハマイトというグラハム賛同者もいました。
しかもアメリカ東部のいくつかの大学のキャンパスには「グラハマイト党」を結成する者たちもいたそうです。
その後、グラハム粉という粗挽き小麦でグラハムクラッカーを作る人が現れました。
1880年ごろグラハムの弟子で化学者ウィルバー・オリン・アトウォーターは栄養価を量的に検証するために「カロリー」という概念を食物に当てはめた。カロリーはそもそも50年ほど前にフランスのニコラ・クレマンが熱量に対して用いた定義だったのですが、アトウォーターは食物が燃焼する際に放出される熱量として定義した。
この概念などによって 食の価値は味・香り・食感・素材・調理法・食事中の会話の質などではなく抽象的に表現されたカロリーという数字だけになった。
グラハムクラッカーは米国で大人気となりウィリアム・ヘンリー・ムーアと弁護士のアドルファス・グリーンの販売網が合併しナショナル・ビスケット(後にナビスコ)社になった。
現在のグラハムクラッカー成分である 砂糖・漂白された小麦・保存剤などグラハムが知ったなら自分の名前を冠したクラッカーを糾弾したかもしれません。
1898年にミシガン州バトル・クリークのサナトリウムを経営していた医学博士ジョン・ハーヴィー・ケロッグも
肉食・香辛料・アルコール・自慰を禁じた。ケロッグもグラハムの信奉者だった。
ケロッグは弟のウィル・キースとバトル・クリーク・サナトリウム・ヘルス・フード社を設立
自身の考えに合致する食物を生産し自分の患者に配った。
ケロッグ兄弟はパンの代用品を開発しようとして干からびた小麦の種を二本のローラーで引き伸ばして薄い生地をつくりこれを焼いた。
その後トウモロコシを使うようになり誕生したのがコーンフレークでした。
コーンフレークは自分の患者の消化不良治療と性欲を減退させるための薬になると革新していたそうです。
1906年には、バトル・クリーク・トースティッド・コーンフレーク社を設立し、1922年この会社はケロッグ社になりました。
今日コーンフレーク消費者は、コーンフレークが性欲減退させるために開発された食品であることを知るものはいない。