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「なすべきことをなせ、何があろうとも・・・・・」(トルストイ)

日本の憲法 Vol.31 公務員の政治活動【有罪か無罪かの分れ目】Ⅰ

2017年10月10日 | Weblog


憲法15条2項
「すべての公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。」
※公務員というのは、一部の国民の為にだけではなく、全ての国民の利益の為に奉仕する者と規定しているため、政治的には公平かつ中立の立場で職務を遂行しなければならない。

憲法21条1項
「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」
※「表現の自由」とは、全ての国民に認められる政治活動の自由も保障しているものであり、民主主義社会の根幹をなす重要な権利といえる。

政治活動に対して、これまでの公務員は猿払事件他の最高裁判決によって、一律全面禁止を合憲とする有罪判決を示してきた。
しかし、平成24年12月7日最高裁判所第2小法廷で2件の国家公務員法違反事件の判決がでて、「公務員に対する政治的行為の禁止は、国民としての政治活動の自由に対する必要やむを得ない限度にその範囲が画されるべきものである。」と判示して、2件の内、1件は有罪、もう1件は無罪の判決を言い渡した。

1、国家公務員法違反事件 最判平成24年12月7日刑集第66巻12号1722頁 事件番号平成22(あ)957
2、国家公務員法違反事件 最判平成24年12月7日刑集第66巻12号1337頁 事件番号平成22(あ)762

2件の詳しい判例は次号に続く

日本の憲法 Vol.30 公務員の政治活動禁止は憲法21条に違反しないか?(猿払事件)

2017年10月09日 | Weblog


北海道猿払村で郵政事務官をしていたX氏は、衆議院選挙に際し労働組合の北海道猿払地区協議会の決定に従って、日本社会党の候補者の選挙用ポスターを自ら掲示したり、掲示を依頼して配布したとして、国家公務員法102条1項および人事院規則14-7第6項13号に違反するとして起訴された事件である。

第1審の旭川地方裁判所では、「非管理者である現業公務員でその職務内容が機械的労務の提供に止まるものが勤務時間外に国の施設を利用することなく、かつ職務を利用して、若しくはその公正を害する意図なしで人事院規則14-7、6項13号の行為を行う場合、その弊害は著しく小さいものと考えられる」として、この事件の被告人の所為に、国家公務員法の処罰規定が適用されるのは憲法21条及び31条に違反するとした違憲判決を示し、無罪とした。(旭川地判昭和43年3月25日下刑集10巻3号293頁)

検察側は控訴したが、控訴審でも地裁判決が支持されたため(札幌高判昭和44年6月24日判例時報560号30項)、検察側から上告した。

最高裁は、①立法目的の正当性、②立法目的と規制手段との間の合理的関連性、③禁止によって得られる利益と失われる利益との均衡の3点から検討された。
①「行政の中立的運営とこれに対する国民の信頼の確保」という立法目的は正当である。
②この目的と「政治的行為」の禁止との間には「合理的な関連性」がある。
③その「禁止によって得られる利益」>「失われる利益」=憲法21条に反せず合憲とした。

判決:破棄自判 被告人は有罪(罰金5,000円) (最大判昭和49年11月6日刑集28巻9号393頁)

☆この猿払判決で長い間、公務員の政治活動が全面禁止ととらえられていたが、国家公務員法違反事件判決(最判平成24年12月7日刑集66巻12号1722頁)で、「公務員の政治的中立性」から「公務員の職務の中立性」に目があてられ、時代の流れとともに憲法に少しずつ沿う形に改められてきている。この事件は後日記載します。


日本の憲法 Vol.29 人権制限の合憲性を判断する方法

2017年10月08日 | Weblog


1、比較衡量論:これは、人権を制限する利益とそれを制限せずに維持する利益とを比較して、前者の価値が高いと判断される場合には権利制限を合憲とする違憲審査の方法である。
この比較衡量論を採用した判例に、全逓東京中郵事件(最大判昭和41年10月26日刑集20巻8号901頁)がある。
最高裁はこの判決で「労働基本権を尊重確保する必要と国民生活全体の利益を推進増進する必要とを比較衡量」して、その制限は「合理性の認められる必要最小限のものに」限られると判示した。
最高裁は、多くの判決でこの手法を用いている。
しかし、この問題点として、①比較の基準が不明確で、比較対象の選択が恣意的になる恐れがある。②多くの場合、国家的利益と個々の国民の利益とが比較されることから、秤はどうしても前者に傾く。

2、「二重の基準」論:この理論は、精神的自由が立憲民主政の政治過程にとって不可欠な権利であることを主たる理由として、経済的自由に比べて「優越的な地位」を占めるとし、精神的自由を制約する法律の違憲審査基準は、経済的自由の制限立法について用いられる「合理性の基準」ではなく、より厳格な審査基準が用いられるべきであるとする理論である。
学説は、一般に「二重の基準」論を支持している。
この二重の基準論の表現を用いた最高裁の判例に、薬事法事件(最大判昭和50年4月30日民集29巻4号572頁)がある。
この判決で「職業の自由は、それ以外の憲法の保障する自由、殊にいわゆる精神的自由に比較して公権力による規制の要請が強い」と判示している。
しかし憲法施行後、現在まで最高裁が精神的自由を規制する法律を違憲と判断したことはない。

日本の憲法 Vol.28 男女差別に関する判例(憲法第14条1項)

2017年10月05日 | Weblog



憲法第14条1項
「すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」

過去には多くの職場における男女差別による事件があったが、その中から代表的な判例を何点か紹介します。

1、日産自動車男女差別定年制事件(最判昭和56年3月24日民集35巻2号300頁)
 日産自動車株式会社は、就業規則により定年を男子が満55歳、女子が満50歳と定めていたが、最高裁は本件就業規則における男女差別定年制には合理的理由がないこと。本件就業規則は民法90条の規定によって無効であると判示した。

2、住友セメント事件(東京地判昭和41年12月20日労民集17巻6号1407頁)
 女子職員は、結婚するか又は満35歳に達したときに退職するという「結婚退職制」を定める労働協約等が民法90条に違反して無効と判示された。

3、伊豆シャボテン公園事件(東京高判昭和50年2月26日労民集26巻1号57頁)
 地元採用の主婦については、就業規則により男子の57歳定年よりも10歳低い47歳定年制を設けていたことが民法90条に違反して無効と判示された。

4、岩手銀行事件(仙台高判平成4年1月10日判例時報1410号36頁)
 共働きの女性に対する家族手当等の支給を制限する給与規定が、不合理な差別であり無効であると判示された。

5、芝信用金庫事件(東京地判平成8年11月27日判例時報1588号3頁)
 昇格、昇進につき、許すことのできない著しい男女差別があるとして差額賃金や慰謝料の請求を容認した。

日本の憲法 Vol.27 人権は法人(社団、財団)にも認められるか?

2017年10月04日 | Weblog



人権は、本来自然人について認められるものであるが、時代の要請に基づいて法人やその他の団体の重要性が高まる中で、法人にも一定種類の人権規定の適用が認められるようになってきた。
通説、判例とも、人権規定は性質上可能な限り法人(団体)にも適用されることを認めている。
通説の根拠:①法人の活動は自然人を通じて行われ、その効果は究極的に自然人に帰属する。②法人が現代社会において一個の社会的実体として重要な活動を行っている。

法人の社会的実在性を重視する立場に立てば、人権の適用可能性は形式上の法人格の有無に関わらないことになる。
サンケイ新聞事件における上告審で最高裁は判決文の中で、表現行為による名誉侵害に関する「人格権としての個人の名誉の保護(憲法13条)と表現の自由の保障(憲法21条)」との調整問題について、「被害者が個人である場合と法人ないし権利能力のない社団、財団である場合とによって特に差異を設けるべきものではないと考えられる」と判示している。

サンケイ新聞事件
1973年12月2日付けのサンケイ新聞に掲載された自民党の共産党に対する意見広告をめぐって、共産党は反論権(アクセス権)を求めて発行元の産業経済新聞社を訴えた事件。
1審、控訴審とも、憲法21条から直接に反論権は認められない。人格権の侵害を根拠としても新聞に反論文の無料掲載という作為義務を負わせることは法の解釈上も条理上もできない。また名誉棄損罪も成立しないとして請求は却下された。
また最高裁判所は上告を棄却して共産党の敗訴が確定する。

日本の憲法 Vol.26 外国人に対する公務就任権(東京都管理職試験資格訴訟)

2017年10月03日 | Weblog



保健婦として東京都に勤務する在日韓国人二世の女性が、東京都の保健・健康事業の企画立案に携わることを希望して、都の実施する課長級への管理職試験を受験しようとしたが、外国人であることから受験資格がないものとして受験できなかった。そこで、受験資格の確認を求めるとともに、都が管理職試験の受験を拒否したことは不法行為にあたるとして、国家賠償法に基づき慰謝料の支払いを求めた訴訟である。

1審は原告の請求を棄却。原告が控訴する。
控訴審では、請求が1部認容される。東京都側が控訴審判決に不服で上告する。

最高裁判決は、破棄自判、原告・被上告人側敗訴確定(最大判平成17年1月26日民集59巻1号128頁)。

判決において都の管理職には「公権力行使等地方公務員の職」と「これに昇任するのに必要な職務経歴を積むために経るべき職」とがあり、都が両職を一体的なものとする管理職任用制度を構築することも許され、その結果、日本国民である職員にかぎり管理職に昇任できる措置をとることは、合理的な理由に基づいており、憲法14条に違反しないと判示した。

批判:この判決は、一般職公務員への公務就任権が職業選択の自由の問題として、憲法22条で保障されるのか否かについて全く触れていない。外国人にも職業選択の自由として公務就任権が認められるのであれば、外国人の就任できない管理職の種類を限定することが憲法上求められるのではないかとの批判がある。

日本の憲法 Vol.25 外国人に対する参政権(定住外国人選挙権訴訟)

2017年10月02日 | Weblog


参政権とは、国民が自己の属する国家の政治に参加する権利であり、性質上その国家の国民にのみ認められる権利であると考えられてきた。この考えに基づいて、現行公職選挙法は、国政選挙、地方公共団体の選挙のいずれについても、選挙権および被選挙権を国民にだけ認めている。

地方公共団体の選挙については、従来の判例及び通説の考え方は、憲法93条2項の「住民」も日本国籍を有する国民であることが前提であり、憲法は地方参政権といえども、国民以外の者にそれを認めることを禁止していた。
しかし近年は、住民としての一定の要件を備える外国人をその選挙から排除することは、憲法の趣旨とはいえないのではないかとの主張が有力となってきている。

定住外国人選挙権訴訟(最判平7年2月28日民集49巻2号639頁)
永住資格を有する在日韓国人である原告らが、定住外国人は憲法93条2項の「住民」にあたり、憲法上地方選挙権を保障されているとして、大阪市選挙管理委員会に対して選挙人名簿への登録を求める異議の申出をしたが、これが却下された。そのためその取消を求めて裁判を起こした。
1審は、原告の請求を棄却した。
そこで、公職選挙法25条3項「前項の裁判所の判決に不服がある者は、控訴することはできないが、最高裁判所に上告することができる。」に基づき最高裁に上告をした。

最高裁判所は、原告らの訴え自体は認めなかったが、判決文の中で「公務員を選定罷免する権利を保障した憲法15条1項の規定は、権利の性質上日本国民のみをその対象とし、右規定による権利の保障は、我が国に在留する外国人には及ばないものと解するのが相当である。」また、「憲法93条2項は、我が国に在留する外国人に対して地方公共団体における選挙の権利を保障したものとはいえないが、憲法第8章の地方自治に関する規定は、民主主義社会における地方自治の重要性に鑑み、住民の日常生活に密接な関連を有する公共的事務は、その地方の住民の意思に基づきその区域の地方公共団体が処理するという政治形態を憲法上の制度として保障しようとする趣旨に出たものと解されるから、我が国に在留する外国人のうちでも永住者等であってその居住する区域の地方公共団体と特段に緊密な関係を持つに至ったと認められる者について、その意思を日常生活に密接な関連を有する地方公共団体の公共的事務の処理に反映させるべく、法律をもって地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではないと解するのが相当である。」と判示している。

要するに一定の定住外国人であっても、国政選挙は国政選挙は憲法違反となるが、地方公共団体の選挙であれば立法府である国会が決定するのであれば憲法違反とはならないとのことである。



日本の憲法 Vol.24 外国人に対する社会権(塩見訴訟)

2017年10月01日 | Weblog


通説となっているのは、「外国人に対する社会権は、入国の自由と異なり、原理的な意味で外国人に認められないものではない。財政上の支障がないかぎり、法律によって外国人に社会権の保障を認めることは、憲法上何ら問題がないだけでなく、むしろ望ましいと考えられる。」

通説となっている判例に塩見訴訟判決があります。
塩見訴訟
両親が朝鮮人で昭和9年生まれの塩見さんは、2歳で全盲となり、昭和42年に日本人と結婚して、昭和45年に日本に帰化しました。
一方、国民年金法は、昭和34年4月16日にでき、障害福祉年金をもらえる権利のある23歳以上の外国人は、同法81条2項に昭和34年11月1日の地点で日本に帰化していなければならないと規定されていた。
よって、塩見さんは訴訟を起こしましたが1審、控訴審ともに塩見さんの請求を棄却され、憲法25条(生存権、国の社会的使命)、憲法14条1項(法の下の平等)、憲法98条2項(国際法規の遵守)の各項に違反するとして最高裁に上告をした。

判決は、憲法25条、14条1項、98条2項のどれにも違反するとはいえないとして、上告を棄却しました。(最判平成元年3月2日訟月35巻9号1754頁)

判決文の中で、社会保障上の施策において在留外国人をどのように扱うかについては、国は政治的判断によってこれを決定することができる。しかし財源は限られているから自国民を在留外国人よりも優先的に扱うことも許される。よって、障害福祉年金の支給対象者から外国人を除外することは立法府の裁量の範囲であるとして違憲ではないと示された。

最近では、社会権は人が社会の一員として労働し、生活を営むことに基づき権利であることから、歴史的経緯からとくに国民同様の扱いが要請される在日外国人を含めて、日本社会に居住し、国民と同一の法的・社会的負担を担っている定住外国人にも保障されるべきであるとする説が最も有力視されている。

☆私も同見解であります。日本に住み、日本で働き、日本に税金を納めている人は皆当然に社会権の保障が受けれるという国であるべきだと考えます。