ピアニスト藤木明美のブログ No.2

異色のピアニスト藤木明美が、音楽を通しての日々を綴ります。

パーヴォ・ヤルヴィ N響第九

2015-12-26 09:30:14 | 日記

昨夜は、NHK交響楽団の第九を聴いてきました。
指揮は今年N響の主席指揮者に就任したばかりの、パーヴォ・ヤルヴィ(エストニア出身)。昨日、朝イチに出てましたね。

年末の第九は、日本フィルを聴くことが多いのですが、今年は初めてN響にしました。
予想とは違い、昨夜の第九は、これまで聴いたものとは全然違う(私にとっては)ものでした。
第1楽章から、そのドライブ感は圧倒的でした。中でも強調されていたのは、スラーの部分のクレッシェンド、デクレシェンド。(楽譜はこうなってたっけ?と思うほど)多重な音が濃厚な液体のように、ウワ~ンとウネルわけです。

そうすると、聴衆の身体の液体までが一緒にウネルようになり、同じ空気圧の変化を体感する感じで物凄いドライブ感が生まれます。

そしてテンポはかなり速めで、リズムのコントラストが明確なので、
そのドライブ感がさらに加速されて、一体化していきました。

また、フォルテッシモとピアニッシモの差のつけ方が凄くて、特に、第4楽章の何回もの否定の問答の後に始まる、低弦のあのメロディ(歓びの歌)は、ホール中が、息をひそめないと聞こえないほどの、ピアニッシシシシモで始まりました。(あの音は、死ぬ時にもう一度聴きたい。静かな歓喜の涙に抱かれます。)

プログラムに書いてあった、P.ヤルヴィのコメントです。
「私の人生にとって重要な作曲家を一人あげるとすれば、それはベトーヴェンなのです。これまでに多様な角度からベートヴェン像の解明を試みてきました。(中略)ベートーヴェンに対する私の発見や核心を反映させる演奏をお約束します」

ベートヴェンの音楽は、楽譜に忠実に演奏すれば、必ず全ての人の魂に一体化する偉大な作品です。中でも、第九は、その頂点となる作品で人類の残した偉大な財産。
それでも、これを聴くことなく人生を終えてしまう人の方が多いわけです。
病に伏す人々、戦地の人々、路上で暮らす人々、国家のトップの人々、全ての人々に、小さなプレーヤーからの雑音まみれの音でも、何とか聞いてもらいたいと思うのです。この普遍的なメッセージを。

忘れてはならないのは、ベートヴェンの耳は30代から悪くなり、
第九を作曲したときはもう聴力を失っていたということです。
その中で、晩年、あの大曲を作り上げたということです。

昨夜、私はウネリと振動の第九を聴きました。
ベートヴェンは、恐らく、あの天地を揺るがす振動を浴びながら書いていたのだろう。
そう想いを馳せました。

(写真はNHKホールのロビー)