3月31日はソプラノ志賀景子さんのコンサートに出演しました。
志賀さんは、表現力と個性で長年のフアンの方が多く、
あまり宣伝しなくても満席になってしまい、
ファンの集いのようなコンサートでした。
「八木重吉の詩による六つのうた」を演奏しましたが、
八木重吉の詩にはいろいろな作曲がされています。
作曲家によって詩の捉え方は様々で、作曲家は音符という表現ツールしか持たないわけですから、
メロディ、リズム、和声のほかに、強弱記号やテヌート、アクセント、フェルマータ、テンポ、、などなど、
限られた記号で演奏者に伝えているわけです。
それは、言葉をもがれた状態で紙の上で表現するのと等しく、
いかに困難なことかと思います。演奏者は、それを読み取る、
というより汲み取って楽譜を読むわけですが、
たった一つの記号に作曲家の心情、ニュアンスが感じ取れます。
極限まで制限された中での表現記号ひとつに込められた思いを感じると、
時々せつなくなります。
五線の上に書かれた記号は、宇宙言語(暗号)なのだろうと思っています。
志賀さんは、表現力と個性で長年のフアンの方が多く、
あまり宣伝しなくても満席になってしまい、
ファンの集いのようなコンサートでした。
「八木重吉の詩による六つのうた」を演奏しましたが、
八木重吉の詩にはいろいろな作曲がされています。
作曲家によって詩の捉え方は様々で、作曲家は音符という表現ツールしか持たないわけですから、
メロディ、リズム、和声のほかに、強弱記号やテヌート、アクセント、フェルマータ、テンポ、、などなど、
限られた記号で演奏者に伝えているわけです。
それは、言葉をもがれた状態で紙の上で表現するのと等しく、
いかに困難なことかと思います。演奏者は、それを読み取る、
というより汲み取って楽譜を読むわけですが、
たった一つの記号に作曲家の心情、ニュアンスが感じ取れます。
極限まで制限された中での表現記号ひとつに込められた思いを感じると、
時々せつなくなります。
五線の上に書かれた記号は、宇宙言語(暗号)なのだろうと思っています。