原爆公園の真下に今でも眠る被爆者たち
長崎の原爆公園の北側の端っこに、地下に下がる階段があります。観光客なら見落としてしまうでしょう。
ボランティアのそのご老人は、私たちをそこに案内してくれました。
その半地下の断面には、分厚いガラスがはめ込まれていて、熱線で焼かれた生活用品が瓦礫の層に埋まっているのを見ることができます。家具や家の建具などがバラバラになって何層にも折り重なるようにして埋まっています。
生々しいので画像は貼りません。
というのは、その瓦礫の間には、まだ大勢の遺体が埋まったままになっているからです。
つまり、この爆心地周辺は、住宅密集地だったのです。
見分けがつかなくなるほど真っ黒に焼かれた黒こげの死体の多くは回収されて荼毘に付されたものの、残りの人たちは見つからないままです。
原爆公園を造るときに、荒々しくブルドーザで掘り起こしたものの「ヒトの形をしたもの」は見つからなかったそうです。
「ここには、まだ数十人の人が埋まったままになっています・・・」と、そのボランティアのご老人は私に言いました。
それは、意外にも事務的に、要領よく、てきぱきと説明してくれました。
「なぜ、最後の一体まで探さず公園を造ってしまったのでしょう?」と私。
沈黙の後で、「そうしたかったからでしょうね」と多くを語りたがらないご老人。
私は、知らなかったとはいえ、その上を歩いてしまったことを後悔しました。
そして、一般の観光客も、そうして人が埋まっている上を歩かされていることに恐怖を覚えたのです。
「○○記念公園」、「○○平和公園」と名付けられた公園には、歴史の暗部が封印されていることが多々あるということです。
破壊を免れた長崎三菱造船所
数年前から、長崎の原爆はB29から投下されたものではなく、地上で起爆させたという「地上起爆説」があります。
現場の痕跡や長崎原爆資料館の豊富な遺品の状況や、数百点に及ぶ直後の現場の写真、そのボランティア(市から委託を受けている)のご老人が地元の被爆者たちから直接聞いたという話などすべてを勘案すると、地上起爆説は、かなり無理があるものと思わざるを得ません。
彼は、長崎で生まれ、地元の被爆体験者とともに戦後を過ごしてきました。その聞いた話を総合すると、こういうことになります。
「当初は小倉市が原爆投下目標に設定されていました。
8月9日当日、小倉市の上空には厚い雲が垂れ込めていたため、地上がまったく見えず、急きょ、長崎の三菱造船所に標的を変えたのです。
しかし、長崎上空も雲に覆われており地上が見えない。
かなりの高度を旋回していると、一瞬、雲の切れ間から長崎市街を見下ろすことができた。今だ!その間隙をぬってファットマンは投下されたのです。そのため、ここが爆心地となったのです。」。
広島への原爆投下も市街になってしまいましたが、広島の呉海軍工廠の破壊を目的としたものであることはあきらかです。
この港で起工された戦艦大和は、原爆投下の4ヵ月前に九州の南方海域で米空母から飛び立った艦載爆撃機による魚雷攻撃によって撃沈されています。
長崎三菱造船所で建造された戦艦武蔵も終戦の前の年の10月に、フィリピン沖で撃沈されています。
以後、広島にも長崎にも、米国が恐れるに足る戦闘能力を持った戦艦を造る余力などなかったにも関わらず、この二つが標的とされたのはツジツマガ合わないのです。
ましてや、その長崎三菱造船所に、1909年に設置された鎚頭(ついとう)型起重機(ハンマーヘッド型クレーン)は、原爆投下によって損傷を受けずに、現在でも稼動しているのです。
これについては、長崎の人たちも合点がいかないと思います。
長崎三菱造船所は、あえて標的をはずされたかのようです。
異界の街・長崎に見る痕跡の数々
さて、爆心地の原爆公園の北側には、あの有名な平和祈念像があります。
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バフォメットと同じポーズをした「平和」のイメージをまったく感じさせない不気味で奇妙な像です。
「○○記念公園」と名付けられた公園には、歴史の傷跡や恥部を隠すために造られたとされる公園があるという話は聞いてはいましたが、まさか・・・絶句です。
さて、公園から町中を少し歩いて、別の場所に復元された浦上天主堂に向かいました。
この辺りは、長崎市の中心街から大分離れているので、喧騒から守られています。
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以前、連休に訪れたときは、若い女性であふれていましたが、連休をはずすと、誰もいません。静かです。
これは、戦後、建てられたものです。
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浦上天主堂周辺の道路の歩道には、こうしたマークのある鋳鉄の蓋が10メートルが30メートルおきにあります。そう、そこいら中に、こうした栓があるのです。
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「おすい」、「電気」、「通信」、「空気弁」など何種類もあります。
これらのペンタグラム(五芒星)は偶然でしょうか。
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