日本語と英語はまったく異質な言語であると、気づき始めたのも最近です。
そのひとつとして、「主語のあいまいさ」があります。
広島の原爆慰霊碑には「あやまちは決して繰り返しません」と、ありますが
これは英語では The mistake should not be repeated と受身で表さざるを
えないのは、主語が原文にないからです。
日常の会話でも主語は省く場合が多いのです。
「お寒うございますねぇ」「もうかってまっかぁ?」「超むかついたぁ」
「ひどぉぉい」「よろしくお願いします」
これで通じてしまうのは、日本がハイコンテキストな社会であるからだと
ともに、日本人のコミュニケーションが「毛づくろい」(互いに共感する
ことで同調するコミュニケーション)だからでもあります。
海外で、日本人が集まって日本人村をつくりやすいのも、日本人同士なら
阿吽の呼吸でわかりあえる気安さからだと思われます。
そのひとつとして、「主語のあいまいさ」があります。
広島の原爆慰霊碑には「あやまちは決して繰り返しません」と、ありますが
これは英語では The mistake should not be repeated と受身で表さざるを
えないのは、主語が原文にないからです。
日常の会話でも主語は省く場合が多いのです。
「お寒うございますねぇ」「もうかってまっかぁ?」「超むかついたぁ」
「ひどぉぉい」「よろしくお願いします」
これで通じてしまうのは、日本がハイコンテキストな社会であるからだと
ともに、日本人のコミュニケーションが「毛づくろい」(互いに共感する
ことで同調するコミュニケーション)だからでもあります。
海外で、日本人が集まって日本人村をつくりやすいのも、日本人同士なら
阿吽の呼吸でわかりあえる気安さからだと思われます。
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