お店を退店後、上げ松を見に出かけました。
一時間前くらいに到着。
雰囲気を見ながら撮影をしました。
笛や太鼓の練りこみがあって、その後高いもじを目がけて松明を放り上げます。
子供用は、割と早めに火が点いて順調でしたが、大人用は中々投げ込む事が出来ません。
一時間も過ぎようかという時に、投げた松明がもじの下に火を点けてしまいました。
残念!今年は下から燃えるのかと、一同溜息。
しかし、さすがに気がきいていて、消防のホースで放水し火を消してくれました。
その後、懸命に火を投げ入れて、そのひとつが上からもじに飛び込みました。
徐々に大きくなる炎。大方燃え尽きたところで、もじを落としてお祭りは終了します。
途中で三脚が壊れるアクシデントも有りましたが、沢山の写真の中から数枚は良い写真が撮れたと思います。
おぼろ月夜の中、家路へとつきました。
上げ松の由来
宝永2年(1705年)7月24日(今は新暦の8月24日)に始まり、愛宕神社神明火祭といわれ、火災予防を願ってのお祭りです。
愛宕神社信仰のあらわれで、鶴ヶ岡地区の各集落で行われていましたが、現在では盛郷地区と殿、川合の集落で行われるだけになりました。
午後8時。公民館より笛や太鼓で練りこみを行い、上げ松の行事が始まります。
子供用と、一際高い大人用の二基の炬火投げ入れの競演が行われます。
文字に炬火が投げ入れられて「もじ」に火がつき、かかげて有るご幣が落下し、九分方燃え尽きたところでお祭りは終わります。
このお祭りが終わると、美山は秋の取り入れのシーズンを迎えます。
昭和63年に京都府登録無形文化財に指定されています。
写真は、上げ松の様子です。
フォトチャンネルβ「上げ松」の写真は、 こちら
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一時間前くらいに到着。
雰囲気を見ながら撮影をしました。
笛や太鼓の練りこみがあって、その後高いもじを目がけて松明を放り上げます。
子供用は、割と早めに火が点いて順調でしたが、大人用は中々投げ込む事が出来ません。
一時間も過ぎようかという時に、投げた松明がもじの下に火を点けてしまいました。
残念!今年は下から燃えるのかと、一同溜息。
しかし、さすがに気がきいていて、消防のホースで放水し火を消してくれました。
その後、懸命に火を投げ入れて、そのひとつが上からもじに飛び込みました。
徐々に大きくなる炎。大方燃え尽きたところで、もじを落としてお祭りは終了します。
途中で三脚が壊れるアクシデントも有りましたが、沢山の写真の中から数枚は良い写真が撮れたと思います。
おぼろ月夜の中、家路へとつきました。
上げ松の由来
宝永2年(1705年)7月24日(今は新暦の8月24日)に始まり、愛宕神社神明火祭といわれ、火災予防を願ってのお祭りです。
愛宕神社信仰のあらわれで、鶴ヶ岡地区の各集落で行われていましたが、現在では盛郷地区と殿、川合の集落で行われるだけになりました。
午後8時。公民館より笛や太鼓で練りこみを行い、上げ松の行事が始まります。
子供用と、一際高い大人用の二基の炬火投げ入れの競演が行われます。
文字に炬火が投げ入れられて「もじ」に火がつき、かかげて有るご幣が落下し、九分方燃え尽きたところでお祭りは終わります。
このお祭りが終わると、美山は秋の取り入れのシーズンを迎えます。
昭和63年に京都府登録無形文化財に指定されています。
写真は、上げ松の様子です。
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