“実”について、以後思い浮かんだことを綴ってみる。
自分の外側にある、多くは目に見える“実”は「現実」と呼ばれている。
これに対して、自分の内側にある、目に見えない、
しかし、強い実感を伴う“実”を「真実」と呼んでいこう。
広義の「現実」は、前者と後者を含み込んだもので、
前者を指すときは「外的現実」、
後者を指すときは「内的現実」と呼ばれる。
外的現実世界は客観世界とも呼ばれ、内的現実は主観世界とも呼ばれる。
現実は、人々と客観的に共有でき、
真実は、共感と了解をもって共有される。
いずれも“実”で、無視することはできない。
現実と真実を、そして、それに向かい合いながら、
私たちは生きている。
自分の外側にある、多くは目に見える“実”は「現実」と呼ばれている。
これに対して、自分の内側にある、目に見えない、
しかし、強い実感を伴う“実”を「真実」と呼んでいこう。
広義の「現実」は、前者と後者を含み込んだもので、
前者を指すときは「外的現実」、
後者を指すときは「内的現実」と呼ばれる。
外的現実世界は客観世界とも呼ばれ、内的現実は主観世界とも呼ばれる。
現実は、人々と客観的に共有でき、
真実は、共感と了解をもって共有される。
いずれも“実”で、無視することはできない。
現実と真実を、そして、それに向かい合いながら、
私たちは生きている。
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