目当ての部屋は、2階の奥にひっそりと有った。
入口は小さく、中を覗くと真っ暗。
学校の教室の半分くらいの、何もない空間。
更に入口の正面には背の高い説明パネルが置かれていて、容易には中の様子がうかがい知れないようになっている。
そのパネルを避け、部屋の中に入る。
真っ暗な部屋の、そこだけが明るくなっていた。
そして、そこで彼らは私たちを待っていた。
アムステルダムの国立美術館Rijksmuseum Amsterdam、レンブラントやフェルメールの作品の前には大勢の人が集まっていたのに、彼女の周りには誰もいなかった。
思わず見つめるしかなかった。彼女も私を見つめ返していた。
魂が吸い取られる。
彼女は”人”ではない、やはり聖女なのだ。いや、もしかしたら悪女?
これだけ文明が発展した現代の私ですら、息を飲む美しさ。神々しい。
中世の人たちはここに神がかりな美しさを見たことだろう。
そんな思いが頭をよぎりながらも、彼女から視線を逸らすことが出来なかった。
あの時ほど強い衝撃は受けなかったものの、やはり彼らもすごかった。
ようやく会えたPolittico di Montefiore(モンテフィオーレの多翼祭壇画)
Carlo Crivelli(カルロ・クリヴェッリ)の描く女性は、美しい。
いや、美しすぎて「美しい」なんて形容詞では不足だ。
女性とのスキャンダルが語り継がれている画家たちの描く女性は、どこか”人”ではなく、”人”を超越した美を備えている。
聖女たちはかくも美しいのだろうか?
修道女と駆け落ちしたFilippo Lippi(フィリッポ・リッピ)しかり、死因は性病だった言われるRaffaello(ラファエロ)しかり、人妻と不倫した罪でVeneziaを追われたカルロ・クリヴェッリしかり。
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全館撮影禁止だったため、写真はWikipediaから拝借、実際の部屋の様子をお知らせできないのが残念だが、決して広くはない部屋の壁に、この多翼祭壇だけが飾られ、そこにだけライトが当たっていた。
祭壇画に関する説明は全て入口のパネルに書かれている。
ガラスで覆われてもいないし、有るのは壁から50センチくらい離れた場所に、近づけないように低い柵が置かれているだけ。
防犯カメラは設置されているが、こんなにお粗末な警備で大丈夫なのだろうか?いやいや、それはここだけに限ったことではない。ここに警備員を配置したら、美術館の開館時間が更に減らされるのではないか?
基本的に作品は本来有った場所で鑑賞し、出来るだけ美術館などに移動しないことに賛成だが、そのせいで作品見られなくなるなら、美術館で保管して欲しい。このような辺境に有る作品、移動可能で、既に元来あった場所ではない場所に移されてしまっている作品に限ってだが。
1960年にVeneziaで開催された展覧会のために修復されたらしいが、保存状態もそれほど悪くなく、大きな金の剥落なども見受けられない。
友達がいなければ、閉館までずっと眺めていられただろう。
しかし、見れば見るほどこの祭壇画はおかしい。
イタリア語でPolitticoと呼ばれる多翼祭壇画。
Poli-はギリシャ語の「多数」を意味するから、複数の祭壇画の集合体をいう。
2枚組はdittico(ディプティカ・二福対祭壇画)、3枚組はtrittico(トリプティク・三福対祭壇画)、それ以上は通常polittico(ポリプティク・多翼祭壇画)という。
この作品も現在はトリプティクの形をしているが、ちょっと変。
というのも、3であれ5であれ、その中心は主役の座。
日本だって大抵真ん中には仏様、中尊がいらっしゃり、脇侍がその両脇を固めている。
しかし、これは???
真ん中にいるのはSan Pietro(サン・ピエトロ)。重要な聖人であるには変わりないけど、こんなの見たことがない。
中央には大抵聖母子図、聖母のみ、キリストのみなどの図が来るはず…
それもそのはず、このトリプティク、もともとは5枚組で、この形でなかったのだ。
この通称Polittico di Montefiore(モンテフィオーレの祭壇画)はクリヴェッリの作品の中でも,特に記録の少ない作品の1つ。その理由として挙げられるのが、この作品が既に1800年代、バラバラにされていたから。
再現案はこう。
この再構築案で行くと、cimasa、チマーサと呼ばれる頭の部分が1枚が無い。
そして下の部分Predella(祭壇画下部の小壁板絵・プレデッラ)を元は11枚有ったと考えれと3枚、13枚有ったと考える研究所もいるのでその場合は更にプラス2枚が無くなったことになる。
1858年、ローマの古美術商Vallatiに奪われた中心部の聖母子像とSan Francesco(サン・フランチェスコ)
1862年ベルギーの美術館に売却され、現在もベルギー王立美術館に所蔵されている。ただし、私がここを訪れた時は展示されてはいなかった。
チマーサ(一番上の段)のPietà(ピエタ)
これは1859年にロンドンのNational Gallery売却。こちらは現在もロンドンで見ることが出来る。
MontefioreのSanta Lucia教区の古文書館に保管されている手紙に、司教座聖堂参事会員(canonico)のVenazio Marcantonioの意向で、「1872年フランチェスコ会の教区で、市民は残念がっていたが、数枚のクリヴェッリの絵画を、修道院を修復するという口実で1000スクーディ以上で売却した」との記述が残っている。
Vallatiが1858年に数枚を奪い、売却、その後Montefioreに残っていたうちの数枚が更にここで売却されたのだろう。
その時点で何枚残っていたのか、後年残ったそれぞれ単体のパネルを、適当にくっつけて現在のトリプティクのように再編成したのがいつのことなのかは記録にないが、1908年Bollettino del Ministero(政府官報)にクリヴェッリの作品の売却を禁止する規定が出た時には既に中央のパネル、プレデッラは残っていなかった。
ちなみにこの官報に載った規定では、イタリア国内でのクリヴェッリ作品の売買を取り締まることは出来ても、海外への売却を阻止することは不可能だったため、その後もクリヴェッリ作品は海外に流れてしまった。
松方コレクションに1911年に入り、現在国立西洋美術館に所蔵されている聖アウグスティヌス(Sant'Agostino)もそんな作品の1つではないのだろうか?
この通常ではありえない、変なトリプティクのせいで作品の価値が下がり、作者も過小評価されてしまったようだ。
20世紀に入るまで作者の限定はされずにいたが、1925年Serraが多翼祭壇画のサインを調査したことと、1950年確かにクリヴェッリの作品であるという作品ばかりを集めた展覧会に出展し、ZampettiやPodestàの確証を得たことで、ようやくカルロ・クリヴェッリの作品であることが認めらた。
制作年代に関しては、色々な資料から1478年までには多翼祭壇画は完成していた。
クリヴェッリ研究の第一人者Pietro Zampettiは1475年説をあげていたが現在は1471‐72年という説が有力。
またFederico ZariはMontefiore多翼祭壇画のものと思われるプレデッラの人物像にNocolò Alunnoの影響がみられることから、この二人が接触を持った1472年以降で、
Polittico di Ascoli(アスコリの多翼祭壇画)
が描かれた1473年より前、つまり1472-1473年に制作されたと考えた。
Nocolò Alunno(ニコロ・アルンノ)、私的にはセリエBの画家だと思っていたのですが、実際はこちらの方がクリヴェッリより格上かも⁉
というのもクリヴェッリについてはVasari(ヴァザーリ)、全く触れてないのに、アルンノについては言及している。
ヴァザーリめ!!あんたがクリヴェッリについて書き残してくれていたら、もう少し資料が残ったはずなのに…
この二人に関する資料を見ると、一方通行の影響ではなく、お互いが他方から影響を受けていたことが裏付けられていて面白い。クリヴェッリは一匹オオカミで、誰の影響も受けていない、という人もいるけれど。
ちょっと二人に関してはもう少し調べたいので、今回はさらっと触れておくだけにする。
参考:Pietro Zampetti, Carlo Crivelli, Firenze, Nardini, 1986.
Comune di Montefiore dell'Aso
とにかく無事観賞できたようで、なによりでした。
聖マグダレーナだけではなくカタリナも素晴らしい出来だと思います。
モンテフィオーレにある6枚
2014年ごろ修復したみたいです。
そう大がかりな修復ではなかったようです(URL)。
Montefiore dell'Aso. Restauro in corso per il polittico del Crivelli - YouTube
URL
ロンドンナショナルギャラリーにある絵は、2000年ごろには、修復していたらしい。修復後の写真みると前より更に迫真的になってますね。
https://www.nationalgallery.org.uk/paintings/carlo-crivelli-the-dead-christ-supported-by-two-angels
ただ、少し補筆部分をとってしまったらしいが、これは、どうなのかな
ありがとうございます。
そうでした、2014年でしたね、どこかで記事を読んでいた気がします。ウルビーノ大学が調査・修復を手掛けたのですね。あそこは唯一国立大学に修復科があり、非常に有名です。学生が羨ましいです。
こうなると更にブリュッセルの聖母子像が見たいです!!
残念ながら、現在は展示してないということ URLのデータベースで、、
you can see under Localisation / Bewaarplaats (place of storage) in which part of the museum it is exhibited. If no place of storage is mentioned, the artwork is held in the storage rooms or restoration studios; or is temporarily on loan to another museum or cultural institution.
なんだそうです。確かにこのDBでCarlo Crivelliをいれると該当作品がでますが、Locationはでません。行く前にコレを検索すれば、無難かと思います。
取り急ぎ、核心部分のみ。。
ありがとうございます。
次回行く時は確認してから行こうと思います。(いつになるかは未定ですが)