イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

Musei degli Innocenti(捨て子養育院美術館)

2017年12月10日 18時39分50秒 | イタリア・美術

寒い寒いと思っていたら、雨ではなく雪がちらちら。
もちろん積もることはなく、すぐに雨になりましたが、寒いです。

さて、午前中はちょっとメルカートに行ったりしていたのですが、この天気なので、家でお仕事…と思いながらもこうしてブログを更新することにしました。
フィレンツェに戻って10日くらい経ちましたが、ほとんど出かけていて、ネタは山ほどありますが、なかなかやる気が出ない。

先週の月曜日Museo degli Innocenti(捨て子養育院美術館)に行った話からしましょうかね。
ここ、昨年の夏にリニューアルオープンして、まだ行ってなかったんですよね。
今回はロッビア一族のことをちょっと調べていたので、ここは外せないでしょう。

お天気良いですね。
回廊は1427年に完成、ブルネレスキ(Brunelleschi)がよそに呼ばれて行ったため、完成させたのはFrancesco della Lunaでした。
アンドレア・デッラ・ロッビア(Andrea della Robbia)のメダルは1487年に作られたものです。

リニューアルして入り口はこちらに。
月曜も開いているところがいいですね。お客さんほとんどいません。
さて、中に入る前にこちら。

これが1660年から使われていたいわゆる“赤ちゃんポスト“です。
勿論今は使われていません。
1875年に窓は閉められ、その時から匿名で赤ちゃんを捨てることはできなくなりましたが、未婚の子供やどうしても育てられない赤ちゃんは継続してここに預けられていました。
実際1970年代まで恵まれない子供や両親を亡くした子供たちの養育や教育などに尽力していました。。
窓に格子が張られていて、新生児しか入れないようになっていたそうなので、今のこと格子とは違ったものだったと思います。
そのドアに入れられた赤ちゃんはクッションの上に置かれていたのですが、そのクッションの脇には

聖母マリアと夫のジュゼッペの人形が佇んでいたそうです。
この光景、この時期は街のあちこちで見かけるプレゼピオと同じなんです。
でもなんで赤ちゃんキリストがいないのか?というと、捨てられた赤ちゃんがこの間に置かれたそうです。
捨てられても神のご加護ありますように、という計らいだったのでしょうね。
この2体は美術館に飾られています。

美術館は地下から始まっています。
無料のロッカーなども整備されていて、非常に近代化されましたね。

捨て子養育院の歴史。
このフロアーで流れていた、建築物の歴史のビデオが非常にわかりやすかったです。
捨て子養育院は1419年Arte della Seta(絹織物業組合)がブルネレスキ(Brunelleschi)のプロジェクトでOspedale(病院)を建設し始めます。
1770年、トスカーナ大公の意向で絹織物業組合の援助を切るまで組合は捨て子養育院に寄り添っていました。
1445年、最初の赤ちゃんを受け入れました。
最初は今の美術館の入り口に近い場所に別の“赤ちゃんポスト“が有ったそうです。

美術館に入って最初の作品はこれ

この捨て子養育院ができる前、捨て子を受け入れていた数少ない病院の1つSanta Maria della Scalaを立てたのがこの人。
Cione di Lapo di Gherardo Pollini
1531年その病院が捨て子養育院に吸収されてしまいます。


色々な時代の赤ちゃん。
このぐるぐる巻きの包帯が気になっていたのですが、これ赤ちゃんの骨がまっすぐ育つように巻き付けていたんだそうです。
ちょっと驚き。

そしてこの地下の展示室の最後に


こんな棚があります。
これ、1つ1つの引き出しに、赤ちゃんが捨てられた時に持っていたものが1人ずつ分けて入れられています。


例えばこれのように、半分に割ったメダル。
親が後に子供を引き取り来ないとも言えないので、こういう身元の分かるような品物はきちんと保管していたそうです。

このあと外に出ます


ここを通り過ぎて


美術作品のあるエリアへ。
階段を上っていきます。

ここでは


Luca della Robbia(ルカ・デッラ・ロッビア)の「聖母子像」

Botticelli(ボッティチェリ)の初期の作品

師であるFilippo Lippi(フィリッポ・リッピ)の影響が色濃く表れていますねぇ。
そして

ロッビア派かと思いきやベネデット・ブリオーニ(Benedetto Buglioni)だった。
ん?このベネデットロッビア一族のライバルなんです。
Andrea della Robbiaの工房でテラコッタに釉薬をかけて色を付ける陶彫の技術を学んび、1480年フィレンツェにロッビア風の陶彫の作品を主に手掛ける工房をオープンさせた。
重要な作品は甥のSanti Buglioniと共に手掛けた(メインは甥)ピストイアのチェツポ病院(Opere della Misericordia all'Ospedale del Ceppo) のフリーズの作者でした。

ロッビアの工房で学んでも、血縁ないからロッビア派とは言えないし、イタリア語でAntagonista(敵対者)って書かれてるけど、それって仲良くない感じだよね、実際どうなんだろう?
そしてこちら

本家本元のAndrea della Robbiaのメダル。
今は2個だけ美術館に展示されてました。

そしてメインはこれですかね

1488年捨て子養育院のメインの教会のためにDomenico Ghirlandaio(ドメニコ・ギルランダイオ)に描かれた「東方三博士の来訪」
綺麗ですねぇ。
そのメインの教会というのは、この美術を展示しているスペースの下にあるんですが

人形のように女性がここからミサに参加した、ということなんでしょうねぇ…ちょっと怖い。
こんな感じで美術館を周った後は、是非Barに寄ってくださいね。
Barは美術館の入館料を払わなくても、美術館の入り口の隣の入り口から入れます。

向こうのガラス張りの部分は全部Barです。

お昼は食事もできますが、何より一番はこれ

この眺め。最高ですよ。
着席すると若干料金は上がりますが、ゆっくりできるのでお勧めです。



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
リニューアル (山科)
2017-12-11 09:02:13

 前、訪ねたときは、一角にある展示室という感じで、おばさんが一人担当でいるだけ、
というとこでしたが、かなり変わってますね。
  イノセント マークの入った厚手のTシャツをお土産に買って、今でも大切に着てます。
 ところで、ここにはピエロ ダ  コシモの、コシモにしては、あまり変わっていない普通の絵もあったはずですが、展示されておりましたでしょうか? 画像はURLに
Virgin and Child Enthroned with Saints 1493   Panel, 203 x 197 cm

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ありました (fontana)
2017-12-11 21:41:46
山科様
ホントにすっかり綺麗になりました。
ピエロ・ダ・コジモの作品ありました。ギルランダイオと同じ一番奥の部屋に。
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