イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

気になる壁

2016年02月22日 22時33分51秒 | イタリア・美術

最近ちょっと気になっていることがある。
それは、日本語の本は、2度と読まないものは、イタリアで処分しようと思って、読んでいなかった本とか、読んだかどうか忘れちゃった本を読み返している。
そこにちょっと気になることが…

「なぜ聖堂には壁画やステンドグラスがあるか」ということです。
海外旅行で聖堂に案内されて、「昔は文字が読めなかった人が多かったから、そういう人のために聖書の代わりとして壁画やステンドグラスが制作されたのです」という説明を聞かれたことがあるかもしれません。海外に行かずとも、そう理解している人は多いと思います。
このような説明を、そのまま信じてもいいものでしょうか。疑わしいと思うことがふたつあります。ひとつは、聖堂の壁画は見えにくいし、絵を見ただけで内容はまるでわからない、ということです。
-中略ー
第二の疑問は、文字が読める人専用の聖堂にも壁画がよく描かれていることです。修道院聖堂は、一般の人は入りません。ここで祈るのは修道士ですが、修道士は字が読めないどころではなく、聖書の全文を暗記していて自由に引用する修道士でさえ珍しくありませんでした。そういう人に、「文字の読めない人のための聖書」がなぜ必要なのでしょうか。
また先に述べたシスティーナ礼拝度にも壁画が描かれています。天井画の旧約聖書場面と祭壇の後ろの「最後の審判」はミケランジェロの作品で、両側面の壁にはそれより一世代前のボッティチェリ、ペルジーノたちが旧約聖書や新約聖書の場面を描いています。ここはローマ教皇の指摘礼拝堂でしたが、ローマ教皇たちが絵で聖書の物語を学ばなければならなかったはずがありません。
このようなことを考えると、聖堂の壁画やステンドグラスが「文字の読めない人のための聖書」であるというのは、単純すぎる考え方と言わざるを得ません。
どういうわけで、そのような誤解が生じたのでしょうか。それについては、ゴシック美術の専門家である木俣元一さん(名古屋大学教授)の論考が意を尽くしているので、それを紹介させていただきましょう。木俣さんの研究は、およそこうです。教皇グレゴリウス一世は599年と600年に当時のマルセイユ司教に送った手紙の中で、「絵画は、文字を知らないこれらの人々が、彼らが書物をよむことができないことを、少なくとも壁画を見ることによって読めるように、教会で用いられている」「読み書きのできる人々に書かれたものが提示するものを、絵画を見る読み書きのできない人々に絵画は提示する」と書いている。これらの言葉が19世紀の学者や文学者によって拡大解釈され、壁画は「文字を読めない人々のための聖書」という考えが定着してしまった。しかし、最近になって研究者はこういう考えに疑問を抱き始めている。木俣さんはこう述べた後で、この問題にかかわる研究をいくつかしょうかいし、グレゴリウス1世の言葉は誤解されてきたが、イメージ(絵画的表現)とテキスト(文章)、また説教や朗読、説明などをあわせて研究することが今後の課題である、と結んでいる。
私も木俣さんの意見に賛成です。私はまた。こうも考えます。聖書に限ったことではなく、何かを理解したり楽しんだりするには、文章だけでなく絵を描くのはとても効果的なやり方です。説明もしてもらえれば、またもっとよくわかります。でもそれは、私たちのように字が読める人にとっても同じことなのです。だから私たちは、小説にも挿絵を添えたり、映画化したりして楽しみます。「文字が読めない人にとっての聖書」という説がことさらに強調されるのは、中世は暗愚でキリスト教一辺倒の時代というステレオタイプ化された歴史観が、根強く残っているためではないでしょうか。 
引用:浅野和生、ヨーロッパの中世美術、中公新書、pp.86-90、2009

この文章。
言ってることが正しいとか、賛成とか反対とかいうわけではなく、まぁこれは論文ではないからいいのかなぁ?
この明らかではない根拠の記述が気になります。
この木俣さんがどこからそういう研究結果を導いたのか、誰がそんなことを言っているのか研究者ってなんの研究者?美術?聖書?
いまいち分からなくて、なんか気持ちが悪いんです。

聖堂の壁画やステンドグラスは確かに「文字の分からない人に教えを説く」ためだけに存在するわけではありません。
例えば以前も言ったと思いますが、ステンドグラスには”奇跡”を生み出す力があります。
光の加減で、存在しないものが見えたり…とこれは恩師の説。
勿論これだけではなく、色ガラスを入れればそれだけ教会の中が明るくなる。
更に縦に高く伸びているゴシック建築では少しでも壁を軽くしたいという意図も、装飾とは関係ないところに存在しているわけです。

教会を豪華に装飾し、素晴らしい聖遺物を収蔵し始めたのはフランスのシュジェール。
「教会は神様の家なんだから、美しく飾るべきだ」と同時代に生き、彼とは正反対に清貧を貫いたSan Bernardoに言い放ち、
最初のゴシック建築の教会サン・ドニ大聖堂を建て、金銀財宝をいっぱい集めました。
彼が”収集家”の先駆けだったと博物館学の授業で習いました。(辛うじて覚えてた)
サン・ドニ大聖堂と言えば「フランス王家の墓所」とも呼ばれていますが、
ここの宝物はフランス革命以降持ち出されたり、破壊されたりして、当時のすごさは有りませんね。 

卒論後、壁の装飾が以前にも増して気になる私です。
日本には壁の装飾という文化が、建物の構造上有りません。
強いていうなら襖絵くらい?
でもこちらはフレスコ画はローマ時代以前から存在し、シルクやArazzi(つづれ織り)果ては私の卒論のテーマの革まで。
フレスコ画の場合は装飾目的というのが明らかですが、シルク、つづれ織りにしろ革にしろ、他にも役割を負っています。
この二つには部屋を温める効果が有ると。
そして卒論の結論でも書いたのですが、金唐革が重宝されていた理由の1つは、部屋を明るくするためだと。
だから冬が長い北ヨーロッパ、特にオランダで発展したのではないか、と。
家の壁に描かれたもの、それを研究するのも面白そうです。

あ、ここでちょっと文句ですが、言っちゃいます。
卒論のテーマだった金唐革。
日本では研究者がほとんどいないわけですが、どこに根拠が有るのか
「このテクニックはボッティチェリが考案(推進)させた」とまことしやかに言っている方がいます。
私が今回探した資料の中にそんな記述は皆無でした。
確かに当時はかなり有名な画家が、金唐革のデザインを考案していた記録はあります。(Cosme TuraとかBernini)
つづれ織りの図案をラファエロが考えていたりもしてますし。
でもボッティチェリの記述はどこにもなかったです。
そういう記録がどこかに有るなら、著書やサイトの中に書かないと、それはダメではないですか?
自分の仮説ならその旨一言書くべきだし…うそついてもばれないと思っているのでしょうか?

なんてことが頭に引っかかっていたところ、丁度先日の恩師の講演会で気になる発言が
「Bibbia pauperumは中世では役に立たず、役に立ったのはRiforma tridentina(トレント公会議)以降だ」と。
まぁ恩師の発言も時々突拍子もないのですが、調べてみたらなるほどね。

Bibbia pauperumとは貧しい人(貧乏ではなくて、識者ではないという意味の)の聖書とも呼ばれ(bibbia dei poveri)るもので、
「字が読めない人のための描かれた挿絵付き聖書」なのです。
BremaのSant'Oscar(801-965)著とされるものが最古と考えられていて、これが壁に描かれたキリストの人生などのイメージの元になったと考えられている…と思っていたのですが、どうやらそれだけではないんですよね。

このBibbia pauperumは700年代後半は「新・旧の聖書に基づいたキリストの人生の1つのエピソードに、分かりやすいよう、神学に乗っ取ったに短い文章を付けたイラスト」のドイツと 
「無学の人のために、聖書の物語を芸術の中で表現する」イタリア方式の2種類に分かれていたそうです。
実はこの壁画が重要になる最初の景気は、異端のキリスト教が多く生まれた時期なんだそうです。
それぞれの宗派が、それぞれの解釈で壁画を描かせたということですね。
そして、最重要になるのがトレント公会議後。
キリスト教の教えを一つにまとめるため、多くの古いイメージが破壊され、ルールに沿った装飾が教会の壁や窓を飾るようになるわけです。
これって、今どきの広告、看板みたいなものと変わらないじゃん。

と最初に言った通りあまりいい加減なことは書けないので、この先もう少し資料を集めて行きたいと思います。 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿