11月20日は二の酉。
ということで初めて酉の市に行って来た。
応永年間(1394~1428)より日本武尊の命日とされる11月「酉の日」に、尊への神恩感謝のためのお祭りが行われるようになり、人々が集まるようになると門前市が開かれるようになり、「とのまち」「とりのまち」と称され、農耕具などが売られるようになり、これが後の「酉の市」の起源と言われている。
昨年なくなった落語家桂歌丸師匠の実家からも程近い、横浜橋商店街。
14時頃なのに、すでにすごい賑わい。
金刀比羅(ことひらじんじゃ)は1859年横浜開港時、港崎遊郭の岩亀楼主人である岩槻屋佐吉が讃岐国象頭山 金比羅大権現を勧請し、港崎町(現在の横浜公園の地)に祭祀した。
1872年に遊廓の移転とともに高島町7丁目の海側へ遷座。
1882年4月に同様の理由で真金町へ遷座した。
1923年9月1日の関東大震災と1945年5月29日の横浜大空襲で共に被災。
その度に再建されたが、現在の社殿は1988年8月に更に再建されたもの。
大鷲神社
1872年港崎遊廓が高島町に移転した際、東京の吉原に倣い、「おとり様」を勧請した。
この時より、浅草と同様に酉の市が行われるようになった。
当初は境内の末社であり別宮となっていたが、現在は金刀比羅神社の相殿に祀られている。
(wikipediaより)
地元だし、平日昼間だし、と侮っていたら行列。
まぁ、大して待たずにお参りできたけど。
今年の酉の市は2回。
特別御朱印も有ったけど、行列並んで更に待ち時間3,40分ということで断念。
最後に小さな熊手を購入。
正式には「熊手」ではなく「かっこめ」というらしい。
熊手にお札と稲穂が付いている「かっこめ」がいつから頒布されるようになったのかは定かではない。
形の由来はいくつかあるそうだが、運を掻き込むように熊手の形をしているとか、社名になぞらえて幸運を鷲掴みにするとして鷲の足が元になっているとか。
お酉様の熊手は酉(鷲トリ)が取るに通じ、取る熊手というので福運をかき集める縁起から喜ばれ、熊手に開運守りをつけ鷲掴みという語源から更に大鷲づかみという縁起にもとづき掻き米(掻き込むの意味)として一般参拝者に授与されている。
酉の市=年の瀬のようなイメージ。なんとなく慌ただしい気分になる。今年も残すところあと1か月少々。
そして昨日は寒かった。
参考:http://www.welcome.city.yokohama.jp/
http://ootori-jinja.or.jp/index.html
そしてランチは横浜市民を長年やっているが、実に2度目の訪問。
文明開化と言えばと教科書にも載っていた、「牛鍋」発祥のお店荒井屋…
げっ、ずっと「発祥の店」だと思っていたのに、違った!!
明治28年創業で、そのころは政府の牛肉奨励で色々なお店で牛鍋が出ていたそうだから。
20年以上前、忘年会で本店の方へ行ったときは、砂糖たっぷりと割り下で調理された牛肉にびっくり。
その頃本店の建物は
まさにこんな感じ。階段が非常に急で、店内が昭和の臭いぷんぷんだった。
今はあちらも建て替えられてすっかり近代的なビルになってしまった。
ただし、本店の周りの治安の悪さは相変わらず。
中に入ると
横浜の塔がバックに描かれたステンドグラスも素敵。
お食事の方は
写真が逆さまだが、牛鍋セット。
私が食べたのは「開花丼」
牛肉、ごぼうの卵とじで非常においしかった。
(写真のピントがおかしいのは気にしないで下さい)
http://www.araiya.co.jp/
横浜には今も文明開化の雰囲気の残る場所が結構残っております。
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