バンクシーの新作が、新型コロナウイルス感染症の治療に奮闘するイギリス南部のサウサンプトン総合病院に登場したいうニュースが先日流れていた。
参考:https://www.bbc.com/japanese/52568993
この正体不明のアーティスト、作品に「署名」を入れることはない。
今回の場合は、バンクシー本人と思われるメモが付いていたため、100%真作と確定されたが、普段はゲリラ的な行動と「署名」ないことから、100%真作と断定できるものは数少ない。
しかし、彼の作品はオークションに出れば、数億の値段が付く。
これって、何気に何世紀も前の芸術家たちに通じるところがないですか?
現代の私たちは、作品を制作したアーティストが自身の作品にサインを入れるのは当然のことだと思っている。
でも、これって、1800年代くらいからの常識。
昔は、サインを入れないことが当たり前だった。
というのも、中世、”芸術家”は存在しなかった。
彫刻家も画家も、注文を聞いて制作していただけの所謂”職人”だったため、サインを入れる必要がなかった。
もちろん注文主がそれを望めば別だが、指名して注文しているのなら、注文主は当然誰の作品だか知っているわけだし、まさか作品が数100年の後、私室でこっそり楽しんでいた異教的な作品が美術館に収められ、万人の目にさらされ、何億の価値で売買されるなんて想像もしなかっただろう。
”職人”が”芸術家”に変わり始めたのがルネサンスだった。
大流行したペスト、神の罰と考えた人々は必死で紙に祈った。
それなのに、神は人間を助けてくれなかった。
頼みの綱の神が信じるに足らず、となった人間は人間こそが世界の中心なのだ、と思い始める。
それこそルネサンスの幕開けだった。
今新型コロナの真っただ中にいる私たちの価値観も、このウィルス騒動の前と後で大きく変わると言われているが、きっとペスト前と後では、様々な価値観が変化したことだろう。
”職人”の自我が目覚めも丁度このころだった。
Albrecht Dürer(アルブレヒト・デューラー)は彼の作品の多くが版画というコピーされやすいものだったので、自分の作品で有ることを証明するためにADと頭文字を入れていた。
実際彼はこのサインのおかげで、ニュルンベルクとヴェネツィアで行われた作品の帰属に関する裁判に勝利している。
”芸術家”が作品にサインを入れるようになったことには、初期ルネサンス期の作品制作の方法が大きく変化したことにも影響している。
この頃、Scuolaと呼ばれる同業組合やBottega(工房)が出来、作品が共同で作られることが多くなった。
そこで、サインをして誰の作品なのか区別する必要が出て来たのである。
例え90%弟子が手掛けられていても、監督者として親方がサインする。
これは、中国で作られた作品にブランド品のマークだけ付けて販売する現代と大差ない。
作品を作って、問題なければ親方がサイン、ブランドのタグをつけるというわけ。
そして私たちがブランドの名前を信用して高い商品を買うように、作品も注文された。
親方は、相手によって誰が作品を作るか決める。王や教皇なら親方自ら製作、それ以外は弟子。弟子もランク付けされている。場合によっては、後に弟子の方が評価される。レオナルド・ダ・ヴィンチのように。
極上注文主の私室に飾るような作品は、親方自らオーダー通り文句も言わず作成。
そうなったらサインだって入れる必要はない。
しかし、例えば注文主が作品を教会などに寄進、万人の目に触れるような場所に作品が設置されるなら、名前を入れた方がいい。
それは次の注文につながる。
つまり作品はプロパガンダの役割を果たす。
現代の商品紹介のポスターと同じ?
イタリアより先にサインを入れ始めたのはフランドル。
1400年代始めはイタリアよりむしろフランドルの方が革新的だった。
例えば世界で一番有名な夫婦の肖像。
『アルノルフィーニ夫妻像』Jan von Eyck(ヤン・ファン・エイク)が1434年に描いた。
この作品は同じくファン・エイクと兄のフーベルト・ファン・エイクが描いた『ヘントの祭壇画』とともに、パネルに描かれた油絵としてはもっとも古い。
ロンドンのナショナル・ギャラリーが1842年に購入して以来、現在もそこにある。
なんとも不思議なこの凸面鏡の上に、画家の名前と年号が入っている。
実はこれ、商品のアイデンティティーを示すためだけのサインではない。
凸面鏡に移り込んでいるのは、これから結婚しようという夫婦。
「凸面鏡は結婚の誓いを見届ける神の目であり、同時に曇りない鏡は聖母マリアの処女懐胎と純潔の象徴でもある。凸面鏡には戸口に立つ二人の人物が映っており、一人は画家のファン・エイク自身であると考えられている。この作品が婚姻証明であるとするパノフスキーの説によれば、描かれている二人の人物はこの結婚を法的に正当なものにするために呼ばれた立会人であり、ファン・エイクが絵画の壁に書いた署名は、婚姻の法的証拠としての機能を果たしたとされている。」(wikipediaより)
イタリアの画家たちが、作品にサインを残すようになったのは、このような最先端のフランドルの油彩画を目にするようになり、自我が芽生えたのかもしれない。
自分のアイデンティティーを作品に残すだけなら、何も「署名」でなくてもいい。
Botticelli(ボッティチェリ)はメディチ家からの多くの注文に、Michelangelo(ミケランジェロ)はシスティーナ礼拝堂の壁に自分の自画像を描き込んでいる。
まるで私たちがスマホで自撮りをするように、自分はここにいたんだ、この作品を作ったんだと証明するために。
自撮り主は大抵こちらを見ている。
「これを描いたのは俺だ」と言わんばかり。
大勢の登場人物の中で、視線の先が他の人と違うのが大抵作品の制作者。
ここではDomenico Ghirlandaio(ドメニコ・ギルランダイオ)だ。
周囲の人々を、この時代の有力者に似せて描いて、自分はこんな有名人と一緒にいたんだぞ、と。
まさに”セルフィ”だ。
自己顕示欲を満たし、自分の作品で有ることが特定の人だけわかってもらえれば良いのなら、他の手がある。
Dosso Dossi(ドッソ・ドッシ)は1518年San Girolamo(聖ヒエロニムス)を描いた。
(カラー写真見当たらず)
右下に不思議なものが置かれている。
画家の名前の頭文字Dを1本の棒が貫いている。これが彼の印。
他にもBartolomeo Passerotti(バルトロメオ・パッセロッティ)は1565年Bologna(ボローニャ)のSan Giacomo Maggiore(サン・ジャコモ・マジョーレ教会)に祭壇画を描いた。
この作品の左端。
一匹の雀が描かれている。
苗字のPasserottiはPassero、つまり「雀」を連想させることから、画家が自分のサイン代わりに描いたのだ。
「署名」は名前を書くことが重要なのではなく、本人が特定できるものなら何でもよいのである。
当然注文主の要望でサインを残した画家もいる。
Diego Velázquez(ディエゴ・ベラスケス)が描いたInnocenzo X(教皇インノケンティウス10世)
この教皇は超お金持ちだっただけではなく、非常に気難しかったことでも有名で、ベラスケスに肖像画を描かせる当たっても最初から全然信頼していなかった。
まずベラスケスの才能を知るために、己の自画像のデッサンを描かせるなど、とにかく注文を付けたらしい。
この作品実はTiziano(ティツアーノ)のこの作品を髣髴とさせる。
しかし決定的な違いがある。
それは
教皇インノケンティウス10世が手にする羊皮紙。
ここには<alla Santà di N.ro Sign.re / Innocentiox/ per Diego de Silva / Velàzsquez de la Camera di S. M.tà Catt.ca>と書かれていて、教皇の名前とベラスケスの名前が書かれていて、この下に1650という年号が入っている。
当然、これはベラスケスの意思で書き入れたものではなく、教皇の注文だったのだろう。
幸い、この作品のおかげで、教皇の実家のPamphilj(パンフィ―リ)家のメンバーに紹介された。
ベラスケスの後のキャリアを決める出世作になったわけだから、我慢のし甲斐があったというものだ。
またこの作品は後世、フランシス・ベーコン(Francis Bacon)によって独自の作品に生まれ変わっている。
教皇は肖像画が完成した後、それを自分の邸宅でもあるドーリア・パンフィーリ美術館(Doria Pamphilj Gallery)にしまい込み、限られた人にしか見せなかった。
このことから、教皇がどれほどこの肖像画に満足していたのか分かる。
この肖像画を見た人フランス人哲学者イポリート・テーヌ(Hippolyte Adolphe Taine)、「全ての肖像画の中で最高の肖像画だ。一度見たら忘れることができない」と言ったという。
現在、私たちは同美術館でその作品を見ることが出来る。
サインというものは、時には非常に有益だけど、最近世間を騒がしたLeonardo da Vinci(レオナルド・ダ・ヴィンチ)のサルバトール・ムンディのような場合もある。
そっちの話はまたの機会、ということで。
これらの話は、あくまでも下記の記事を参考にしたものに、個人的に見解を加えたもので、学術的研究などを見、考慮したものではないので、間違いがあるかもしれません。ご了承下さい。
参考:https://www.madeartiscomunicatio.com/single-post/2018/08/23/8-UTILI-DA-SAPERE-SULLE-FIRME-DARTISTA
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コメントありがとうございます。
金羊毛騎士団のことは始めて知りました。
是非お考えを詳しくお聞きしたいです。