久々に毎日更新できてますねぇ。
それだけこのネタに心が奪われているわけですが…
今日はあまり時間がないので、早速本題に入りましょう。
マヨリカをラスター彩だけ、としてしまうなら、イタリアにおいてマヨリカ焼きを最初に始めたのはどうやらUmbria(ウンブリア州)のDeruta(デルタ)ということになりそうだ…と本を読みながら思ったのもつかの間、いやいや、ということに。
というのもやはりSicilia(シチリア)のCaltagirone(カルタジローネ)に軍配が上がりそうな記事発見。
シチリアがビザンチンの支配を受けた後、827年にはアラブ人が入ってきます。
彼らが既存の装飾芸術に新しい風を吹き込みます。
その時新しく持ち込まれたものこそ「釉薬」だった。
ただ、鉛や錫をベースにした釉薬が使用されるのは、時代が少し下って1300年代始め、スエビ族やノルマン人と一緒に、ということです。
参考:http://www.italoamericano.org/story/2015-11-26/Caltagirone-Sicilia
出典が分からないので、何か根拠が有るのかどうかは確かではないのですが、やはりCaltagironeもラスター彩の陶器を制作していたんだな。
それもダイレクトにアラブの影響で、14世紀初めから。
私の頭を混乱させているのは、マヨリカ焼きの定義がしっかり固まっていないせいなんだと思う。
日本語の資料では要を得ないので、イタリア語の方を見てみたけど、これも大差がない。
イタリア語の「Maiolica」は狭義や特別な用語として「マヨリカ」を考える時は、陶器の中でも錫の釉薬だけを使った陶器が「マヨリカ」なのだが、一般的な辞書にはマヨリカは「すべての釉薬を使ったテラコッタ」とか「透明な薄い上塗りがなく、装飾や白の釉薬を塗って素焼きしたあらゆるもの」とある。
ということはマヨリカ焼きについて語る時は、ラスター彩かそれ以外のマヨリカなのか、そこのところを見極める必要が有りそう。
ところでシチリアに伝わったマヨリカは時代も起源も大体わかったわけだけど、本土の方はどうなんだ?
このラスター彩のマヨルカ焼きが特に盛んだったのは、中央イタリア、Umbria(ウンブリア州)のDeruta(デルタ)を中心とするGubbio(グッビオ)やMarche(マルケ州)のUrbino(ウルビーノ)やUrbania(ウルバニア)、Toscana(トスカーナ)のFirenze(フィレンツェ)近郊やEmilia-Romagna(エミリアーロマーニャ州)のFaenza(ファエンツァ)この辺りには一体どうやって伝わったんだ?
本には「1490年頃、突如としてラスター彩の生産が始まった」と書いてあるけど…突如?
まぁそこらへんを調べるとなると、論文一本書けちゃいそうだから、すっきりしないけどここらへんで止めておきますけどね。
なんとなくすっきりしないような、すっきりしたようなぁ…というところで、専門家でもないし、専門家になるつもりもないのでこの辺で止めておきましょうね。
そうしないと、全然先に進まない。
実は今日はこれから来週から公開される「ゴッホ 最期の手紙」という映画のジャパンプレミアムに行ってきます。
久々に抽選に当たった試写会です。
これここのところすごく気になっていたんですよね。
というのも
”映画はまず、俳優たちが役を演じる実写映画として撮影された。俳優たちはゴッホの絵画に似せて作られたセットで、あるいは撮影後にCGアニメーションでゴッホの絵と合成させるためのグリーンバックを背景に演技を披露。それをとらえた映像は特別なシステムでキャンバスへ投影され、長期にわたる特訓でゴッホのタッチを完璧に習得した画家たちの筆で油絵に。各国から選ばれた画家たち(日本人画家、古賀陽子も参加)は各俳優の特徴を残しつつも、絵画に登場する人物の風貌や雰囲気をうまく混ぜ合わせ、動く肖像画へと生まれ変わらせた。本編の1秒は、12枚の油絵を撮影した高解像度写真によって構成されている。こうして豪華キャスト陣の名演と、それを元に描かれた62,450枚もの油絵が、ゴッホの世界に新たな生命を吹き込んだのだ。”(オフィシャルサイトより)
映画『ゴッホ ~最期の手紙~』日本版予告編
たぶん、
・トルケマダによるユダヤ人追放
・グラナダの陥落
で、企業・職人がスペインから他国に逃げたためでしょう。
ありがとうございます。