イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

作品の所在を明らかにーLe Marche disperse(バラバラのマルケ)

2020年02月02日 16時47分45秒 | イタリア・美術

Carlo Crivelli(カルロ・クリヴェッリ)のことを書いていて、ふと思い出したことがあって、昔試験のために勉強していた教材を引っ張り出してみた。
それを読み始めたら、いろいろ気になることが…
その辺を少しずつ解決していこう!!

ナポレオンがオーストリアからイタリアを解放し、北イタリアを次々と手中に収め、最終的に教皇と終戦協定に当たるTrattato di Tolentinoを結んだのは1797年2月19日のこと。
このTrattato di Tolentino(トレンティーノ条約)のせいで、教皇が所有していた美術品、貴重な写本などは接収され、更に教皇領だったVenazzino伯爵領などもナポレオンのものとなってしまった。
1797年5月にはヴェネツィアも陥落させたナポレオンは1798年7月27日、イタリア国内から略奪した美術品などを行列に連ねてパリへ凱旋した。
ナポレオンは、イタリアからだけでなく、オランダ、ベルギーなどヨーロッパだけでなくエジプトからも多数の美術品をパリへ運ばせ、それがルーブル美術館の基礎となった。
ルーブル美術館=盗品美術館という人もいるが、多かれ少なかれ、ヨーロッパの美術館にはその手が多いので、他人のことはあまり言えないのでは?
イタリアからパリに運ばれた絵画は全部で506、後にイタリアに戻ってきたのはそのうちの249点、248点はフランスに留められ、9点は行方不明になっている。(目録に掲載されていたヨーロッパの作品で足取りがつかめない作品、というのは非常に稀)
返還の交渉役に当たったのは、彫刻家で有名なCanova(カノーヴァ)。

あれ?ここで気がついた。
ナポレオンがイタリアから美術品を運ばせたのは1797~98年。
Crivelli(クリヴェッリ)の作品がブレラ絵画館に持って来られたのは、1811年だ。
私は何か勘違いしてるなぁ…
ということで調べてみたらやっぱり!!
今ブレラ絵画館にあるクリヴェッリは、ナポレオンのせいではなかった。

ナポレオンの美術品略奪は、イタリアにとってマイナス面だけではなかった。
というのも、ナポレオンに美術品が略奪されたことで、イタリア人(この時期はまだイタリア統一前なので、正式にはイタリア人というのはおかしいのだが)は自国の財産の価値に気がついた。
そして、これらの”国有化”と美術館への保存、という動きが出て来たのだ。

1805年、ミラノを首都とする、Regno d'Italia(イタリア王国)誕生。(イタリア中東部と北部)
1811年、政府からGiuseppe Santi,Antonio Bocolariという二人のAccademia(美術大学)の教授が調査にRomagna(ロマーニャ)、Marche(マルケ)に派遣される。
目的は”国有財産”にする教会が所蔵する絵画の調査(教皇はナポレオンに敗北したから)、およびブレラ絵画館の所蔵品を更に充実させるための作品選びだった。

マルケ州からは157作品が選ばれ、ブレラ絵画館に移送されることとなった。
その作品には次のようなものがある。
il Polittico di Valle Romita di Gentile da Fabriano, (ヴァッレ・ロミータの多翼祭壇画、ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ)

la Pala Montefeltro di Piero della Francesca, (モンテフェルトロの祭壇画、ピエロ・デッラ・フランチェスカ)
L'Annunciazione di Ascoli di Carlo Crivelli, (受胎告知、カルロ・クリヴェッリ)
il Polittico di San Domenico e tutte le altre opere di Crivelli che si trovavano a Camerino,(聖ドメニコの多翼祭壇画とカメリーノに有った全てのクリヴェッリの作品)
il Polittico di Cagli di Niccolò di Liberatore, (カーリの多翼祭壇画、ニコロ・ディ・リベラトーレ)
tavole del Signorelli conservate a Fabriano e ad Arcevia, (ファブリアーノとアルチェヴィアに保存されていたシニョレッリの板絵)
la Pala di Amandola di Pietro da Cortona. (アマンドラの祭壇画、ピエロ・ダ・コルトーナ)
2世紀が経った現在も、これらの作品はブレラ絵画館にある。
国もミラノ市もマルケ州が返還を求めているのに、沈黙を守っている。

しかし、国内に留まった作品はまだ良い。
他にも多くの作品が世界中に散らばってしまい、今も戻らない。
ギリシャから奪った「パルテノン・マーブル(大理石)」をイギリスが返還しないのと同じ。

ということで、マルケ州は考えた。
Le Marche disperse (バラバラのマルケ)”というプロジェクトが2005年立ち上がった。
これはマルケ州が推進しているプロジェクトのようで、散らばってしまった美術品などのマルケ州の遺産の由来、足取りを1つ1つ探ってサイトで公表しているもの。
これが非常に良く出来ている。
他の州がこういうことをやっていないのは、文化に掛けるお金がないからか、それとももともと自分たちの州の作品だったのに、という執念かはわからないけど、このプロジェクトは称賛に値すると私は思うので、活用させていただこう。

まぁ、結局ブレラ絵画館も盗品絵画館ってことになるわけだ。



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2 コメント

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ゼーリを思い出しました (山科)
2020-02-09 14:00:11
どうも、このサイトはとても重く、アクセスしにくいようです。また、東京のクリヴェッリははいっていないようですね。

フェデリコ・ゼーリの「イメージの裏側」の179P(第三講)に、「最も驚くべきコレクションは、ある司祭によってベルガモ周辺に集められたものでしょう。彼は北中部イタリアを巡回し、信じられほど多量の祭壇画、それも一五,一六世紀のものを買い集めたのです。」ってのがあってナポレオン戦争以後、修道院の廃止荒廃にともなう惨憺たる事情が書いてありました。
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読んだのに… (fontana)
2020-02-09 15:58:51
山科様
コメントありがとうございます。
ゼーリの「イメージの裏側」、昔読んだのにすっかり内容を忘れていました。

ベルガモと言えば、近年修復されたばかりのアカデミア・カッラーラも非常によいコレクションを持っていますし、Lorenzo Lottoの素晴らしい作品が点在していて、それを見て周りました。
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