イタリアの泉

今は日本にいますが、在イタリア10年の経験を生かして、イタリア美術を中心に更新中。

Da Donatello a Lippi(ドナテッロからリッピまで) a Prato

2013年10月04日 22時14分16秒 | Mostra(展覧会)in Italia

わぉ、あっと言う間に10月一週間終わっちゃうじゃないですか。
今週は月曜日こそ天気が悪かったものの、その後ピーカン秋晴れが続いて、夏に逆戻り?くらいの暖かさだったのに、とうとう来ましたよ・・・明日は雨。
あさってはなんとか晴れてくれないかなぁ。
いや雨が降ってなければいい。曇りぐらいでいい。

さて、先週の小旅行のお話は、写真がまだ片付いていないので、後回し。
何せまたまた600枚ほど撮影してしまいました。
デジカメになって、いくらでも消せる分枚数も増え、処理に大変困っておりますが、懲りずに取り続けております。
そんなにとっても殆ど日の目をみないし、DVDなどに焼いたら最後(焼かないね。コピーする?)封印です。
そしてネタは「後回し~」といって闇に葬られてしまうことがよ多々起こっている今日この頃です。

え~今週から授業が始まり・・・
って月曜日に校舎を間違えて初日休んでしまった授業なんですけど、なぜか水・木と教授が来なかったんですよねぇ。
私だけなら、月曜日の授業で言ったのだろう、仕方がない、で済んだけど、数名私のような学生が教授が来るの待ってたのよねぇ、でも来なかったけど。
そんなこんなで新学期そうそう色々な意味で振り回され、なんとかスタートしたわけですが、授業が始まってしまうと、身動きが取りずらくなる。
まぁ一応本業は学生だし、今年は今までになく(?)本気で試験突破を試みる心構えなので(単に少々焦ってきただけですが)、とりあえず何よりも授業重視。
私が入学した頃は、諸所の事情で授業に出れない人は、出席している人とは別の本を読んで試験を受けることが出来ていたんだけれど、数年前の大学制度改正で、今は75%出席しないと試験が受けられないことに基本的にはなっている。
但し、教授の殆どは100人も生徒がいるのにいちいち出席を取る(大体紙が回ってくるだけ)のが面倒で(失礼!)学生の自由意志に任せている。
授業に出ても不利な私は、余程のことがない限り授業に出るようにはしているのだが、それでも一般性とに比べたらダメねぇ。

しかしこうなると出かけたくても出かけられない。
まぁ寒くなればあまりそういう気にもならないけどね。
幸い今は金曜日授業がないので、ここに用事を集中させる・・・
ということであまり天気は良くなかったのですが、今日は近場のPrato(プラート)へ行ってきました。

Pratoはまぁ日本人で知っている人がいれば、繊維の街という感じかしら?
それと同じくらいこちらでは「イタリアで一番中国人が多い街」として有名。
今でこそないと思いたいけど、昔Perugiaにいた頃、台湾人の友人たちがここまで食材を買いに来て知らないイタリア人につば吐きかけられたと言って怒っていましたが、イタリア人との折り合いが悪かったんだよねぇ、あの時期。
だから私たちもPratoにいく時は気をつけた方がいいと言われていた。
今はどうなんでしょう???
さすがに中心街はそう多い感じは・・・しないこともないけど。
大体中国人は旧市街ではなく”チャイナタウン”にいるみたい。

まぁタダでさえ国同士の中が危うい中国の話は置いておいて、Pratoは繊維で栄えた街なんです。(今もですが)
その様子はMuseo del tessuto(繊維博物館)に行くとよく分かるでしょう・・・が、私はここに行かなかったのよね。
なぜかというと、日曜日無料らしいし、今日は学生がいっぱい(それも中国人ばかり)吸い込まれて行くの見ちゃったんだよね。
まぁこちらはまたの機会(あるかなぁ???)に。

FirenzeからPratoまでは鈍行(って言い方もなつかしいか)で30分位。
バスも出ています。
Prato centrale(プラート中央駅)よりもPrato Porta Serraglio(セラーリオ駅)が中心街に近い。
その駅から真っ直ぐ行くといとも簡単に

中心街、Duomo(大聖堂)の目の前に出ます。
今日の目的は

こちらの”Da Donatello a Lippi(”ドナテッロからLippiまで)という展覧会。
そしてそれと合わせてDuomo(大聖堂)の中にあるFilippino Lippiのフレスコ画。

どちらも10時からなので、まずDuomoに入ってみた。
するとびっくり!
なんと今週授業に現れなかった教授がここにいた・・・ってず~といたわけではないでしょうけど。
すごい偶然なんですけど、実はこの教授とは以前Romaの展覧会でも鉢合わせたことがあるんです。
何のご縁ですかねぇ・・・よりによって同じタイミングって。
こうなったらこの教授に卒論の指導をお願いする???
いやしかし待てよ。
この教授は日本人を恐れていると聞きました。
というのも多数の日本人が彼にご迷惑をおかけしているらしく、我ら日本人の学生に辟易しているとか。
これで私まで頼んだら・・・日本人嫌いになるだろうなぁ。
しかし、どうしたものかねぇ。

さてさてそれはさておき・・・まだフレスコ画には近づけないようなので、ひとまずインフォメーションを探しに行くことに。
地図や色々な冊子をもらって、10時までわずかに時間があったので、ベンチに座っていた。
10時の鐘がなってしばらくすると入り口が開いたのでいってみると
「チケット売り場のコンピューターの故障でチケットの販売ができない」と
ひひひ、出た~さすがイタリア。
まぁそんなことで怒ったり、イライラするのも馬鹿らしいので(誰もそんなことしてないし)、他を回って戻ってきましょう、ということで街中をブラブラ。

途中

Pratoと言えばまずこちら
Cantucci(カントゥッチ)
このビスケットは歯が折れるか、というくらい固いので、Vinsanto(ヴィンサント)というお酒につけて食べるのが定番。
有名なのが

水色の袋に入ったこちらのAntoni Matteiのもの。
そうそう、昨日誘惑に負けてSchiacciata all'uva(ぶどうのスキアッチャータ)

を買ってしまった。
これが街に出回ると「秋だなぁ~」と感じる人もここFirenzeには多いよう。
そしてうっかり誘惑に負け、また落ち込んだ。
そうこれ、見た目より重いのよねぇ。
これで5ユーロ。
イタリアのお菓子にしては高いなぁ~と毎年思いながらついつい買ってしまうんですよねぇ。
だって旬のものだし、素朴で・・・何と言ってもおいしいんだもん。(見た目はそうでもないかもしれませんが)
特に今年ぶどうおいしいよ。
私例年になく買ってます。

これで1.5€、200円しないんだからねぇ。
これはきっとワインもおいしいぞ~

Cantucciも予想以上に重いので、量り売りの時はご注意を。

ちょっとかわいいPrato県庁の標識。
あれ?そういえば行政区画改定でPratoを県庁所在地ではなくしてFirenzeに統合しちゃおうってあの案はどうなったんだろう???
ものすごく反対してましたけど。

Castello dell'Imperatore(皇帝の城)
城っえ言っても城壁しか残ってない?

Giuliano da Sangalloという初期ルネッサンスにおける重要な建築家によるBasilica Santa Maria delle Carceri(サンタ・マリア・デッレ・カルチェリ教会)
と小一時間ブラブラしたにも拘わらず、チケット売り場は相変わらず不能。
仕方がないので、同じチケットでもう1箇所入れるDuomoの方へ

そしてここでラッキーなことに、入場券が4枚だけ残っていた。
何でもコンピューターの故障は今日中には直らないみたい。
業者はBolognaで、そのBolognaは今日は祭日なんですって。
たまたま私の後ろにいた2人組が「だから(Bolognaから)来た」と言っていた。
この2人組と私ともうひとりでチケット終わっちゃった。

いやいや、すばらしいですよ。
本当は写真撮っちゃいけないんだけど、先の教授がフラッシュまでたいてバシバシ撮っていたので、こっそり1枚だけ撮っちゃった。

それにしても教授、フラッシュバシバシたくのは専門家としてどうなの?
というのと、フラッシュたいたらうまく撮れないと思うんですけど・・・と素人で、生徒の私は思ったりするわけですよ。
まぁ教授のほかにもプロのカメラマンが撮影していたんですけど、彼はさすがにフラッシュはなしで三脚を使っていました。

スタンダール症候群になる・・・くらい上を見上げていたので、首が痛い。
ここを出たのが11時半くらい。
いやいやFilippo LippiだけでなくPaolo Uccelloもよかったよ~!!
この後Museo di pittura murale(壁画家の美術館)へ向かった。
一度ここに来たら「展覧会のチケットを持ってきたら無料」だと教えてくれたので、まずチケットを購入して戻ってきたというわけ。
更にここは13時に閉めるっていうから・・・

あまり期待はしていなかったんだけど、結構いいものおいてありました。
現在のPratoをFirenzeと比較してしまうと同じ土俵には乗れないけど、当時はそれほど差がなかったのではと思えるくらい芸術性が高いのは、この街がいかに繊維業で潤っていたかを表していると思う。
こんな(失礼!)場末の美術館にもLorenzo MonacoとかLuca SignorelliとかBernardo DaddiとかMaso di Bancoなどジョット派の画家とか多くはないけど、すばらしい作品がありましたねぇ。

そしてそんな作品の合間に気になるパネルがありました。
そこには第2次大戦中に爆撃にあったFilippino LippiのTabernacolo(壁がん)の様子でした。
それをみているとたまたま通った美術館のおじさんが、このフレスコ画のことを説明してくれました。

Tabernacolo di Santa Margherita sul canto del Mercatale
Filippo Lippiの息子Filippino Lippoの作品です。
1944年爆撃でここまでボロボロに破壊されてしまいました。

この破片を一つ一つ拾い集め、8年の年月をかけて修復したのが地元の偉大な修復家Leonetto Tiotori
私も名前は聞いたことがあります・・・あ~あ修復もテスト受けんとなぁ。
Vainellaというところに彼が生前住んでいた家を利用した芸術作品の修復の学校があるそうです。
「あなたと同じ日本人の生徒さんもいるんですよ」と
あれっ?おじさん、何で私が日本人だって分かったんだろう???

修復された状態がこちら

こちらも今回の展覧会に出ていると教えてくれました。おじさんありがとう!!
う~ん、話を聞いていなかったらささっと通りすぎてしまうところだったよ。

とここらで晩御飯食べてきてもいいですか?
結局今日は展覧会会場で約2時間、どっぷり浸かってしまってお昼を逃してしまったので、お腹空いちゃったのよね。
しばしお待ちを・・・

戻ってまいりました。
今日はヒヨコマメと玉ねぎ、パプリカでスープを作ってみました。
適当にやってみましたが、結構おいしかったです。
眠くなる前にざざっと最後まで行ってしまいましょう。

この展覧会自体始まったばかり(9月半ばから来年1月13日まで)
平日ということもあってそれほど混んではいませんが、余剰職員と思われる人は結構いました。
いやいや、一言でいうと「見る価値あり!」
ちなみに展覧会の監修はさっき会った教授が手がけております。

ここでFilippino Lippi(1406-1469 この時代の人にしては長生きだ)についてちょっとだけご紹介。
まぁ彼についてはご存知の方も多いと思いますが、元は修道士だったにもかかわらず修道女とかけおち(言い方が正しいかは微妙ですが)したというまぁなんとも破天荒な人なんですね。
で、この修道女Lucrezia Buti(ルクレツィア ブーティ)との出会いなんですけど、1452年LippiがPratoの大聖堂のメインの礼拝堂にSan Giovanni Battista(洗礼者ヨハネ)とSanto Stefano(聖sテファノ)の伝説を壁画にする仕事を請け負っていた。
1456年にはPratoのサンタ・マルゲリータ修道院の礼拝堂付き司祭に任命されている。
そして同年、Lippiはサンタ・マルゲリータ修道院の当時23歳の修道女ルクレツィア・ブーティを祭礼の混雑にまぎれて誘い出し、自宅に連れ去った。当時リッピは50歳前後の壮年である。
今回の展覧会にはLippiが他の画家と共にこの修道院の為に描いた

Madonna della Cintola(腰紐の聖母)の作品も展示されています。

1457年頃には2人の間に息子フィリッピーノ・リッピが生まれている。このことは当然問題となり、リッピは告発されて修道院に出入り禁止となった。しかし、芸術家に援助を惜しまなかったメディチ家の当主コジモ・デ・メディチのとりなしにより、彼らは教皇から正式に還俗を許され、正式の夫婦となる。
リッピの描くマリアやサロメのモデルはルクレツィアだとされています。

とまぁ週刊誌のネタになりそうなドラマチックな方なんですけど、私以前からLippiの作品を見るたびに、「こんなに美しい女性だったらわかるよ~」と思っていた。
キリストは「隣人を愛せ」というのに、神に仕える修道士が女性を愛することをなぜ禁止しているのか?
「そういう簡単な話じゃないんだぞ」と怒られるかもしれませんが、Lippiの絵を見るたびに私は考えてしまいますよ。
だってこれですよ

この美しさ。言葉では表現できないよ。
レオナルド・ダ・ヴィンチのモナリザのようななんとなくごっつい人とは比べものにならないこの美しさ。
これはウフィツィ美術館に保管されているものですが、これを見ると息を飲むもの。
あまりにもきれい過ぎて・・・と思う反面、なんか少女マンガみたいだなぁと私は以前から思っています。
あまりにも美しすぎて・・・やばいやばい寝てしまっていた。

ということでそろそろ終わりです。睡魔に負けた・・・
こうしてしばらく遠出はおやすみ。
あ~眠い!!



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2 コメント

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プラトー (M.SATO)
2013-10-06 16:18:38
最近の「News Week}にプラトーの事が載っていました。繊維の町・中国移民の町。イタリアンドリームもあるけれど、奴隷のように働かされ、逃げ出してきた若者のことが書かれていました。不法就労も多いみたいですね。何処にでも進出する中国の人には感心しますが、イタリアに何十年住んでてもイタリア語が話せないとい人が大勢とか?NewYorkのチャイナタウンの人たちも多くは英語が話せないと聞きます。その土地に溶け込まないのも「生活の知恵」なんでしょうかね!!

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共存 (fontana)
2013-10-07 00:25:08
M.SATOさん
確かに「共存」という観念はないかもしれません。ただやはり生存力は強いです。どこでも生きて行けると思います、中国人は。そしてそれほどの生存力がない人種(イタリア人も日本人も)は結局食われてしまうんですよね。更に事実、多くの貧しい村の若い中国人が買われる様に連れてこられて、一日20時間労働の上、4畳半に10人近くが入れられているような最悪の労働条件で働かされていることはイタリアでも問題になっています。
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