Pitiglianoの続き、最終回です。
ゲットーを出て、インフォメーションで言われた通り坂を下って行くとCapisotto地区に出ます。
その中心に有るのがこの教会。
おお、これは素敵な教会。
この教会はPitiglianoで一番古い教会だと考えられていて、現在も建設当時の面影を残す石がいくつか残っています。
1276年、PitiglianoにはSan Pietro, San Rocco,San Giovanniの3つの教区教会の存在が明らかになっています。
聖ロッコ教会が聖マリアも祀っていたことからこの教会はChiesa di S. Maria e S.Rocco(聖マリアと聖ロッコ教会)と呼ばれています。
これが教会が出来た当時のもの。
というかこれしかないのが残念。
明らかにロマネスクの彫刻、12世紀のもの。
蛇型をした翼をもつモンスターに両手をかまれた人間。
これは冥界の力に抗う人間の魂を表現したものなんだそうです。
意味はともかく、なんてかわいい~
ううう、これしか残っていないのが本当に残念。
15世紀末Niccolo III Orsiniの要望でDalmata Traùによって再建されたようです。
控えめなファサードは2層に分かれいます。
上部は装飾なし、中央の円窓から光が差し込みます。
入り口の扉の周りについている側中にはOrsini家とPitiglianoの町(市ではないよね?)の紋章がついています。
中は
台形プランの3身廊、イオニア式の柱ではけられています。
結構フレスコ画の跡が残っていますが、15世紀くらいのものかな?それほど古いものではなかったですね。
アプシス(教会堂祭壇後方に張り出した半円形の奥室)には”被昇天の聖母”が描かれ、 その上の前に張り出した壁には宗教とは関係ない多くの紋章が描かれているのが興味深いです。
この写真には写っていないのですが、(でかいカメラ持って行けば良かったと後悔)「1891年」という年号は描かれています。
多分この年は最後に教会に手を加えた年だろうと考えられています。
小さな教会ですが、内部の装飾からもこの教会の重要性を窺い知ることができます。
反対にPitiglianoのDuomo(大聖堂)は
こってこてのバロック様式
正式にはSS.Pietro e Paolo(聖ぺトロと聖パオロ教会)と呼ばれています。
14世紀、18世紀に再建されたそうです。
隣接する鐘楼は教会よりも古い感じがしますが。
内部も完全に新しい。
1身廊で、両側にかなり深めの礼拝堂が有りましたが、特に興味を引くものはありませんでした。
とこんな感じでPitiglianoは2,3時間も有れば周れてしまいます。
それに反して公共交通手段を使ってたどり着くのはかなり大変です。
車を出してくれた友達に感謝、感謝。
この街は意外と冬の平日なのに、ツーリストインフォメーション、教会などが開いていて困らなかったのですが、
こういうところは得てして冬季は土日しか開いてないことが多いのでご注意を。
ということで、レストランを探すのには一苦労。
レストランを探しながらぶらぶらしていたところ、素敵なお店を発見しました。
イタリア各地の建物の門を陶器にしたもの。
アーティストさんは、どれがどこの門や窓か全て覚えていました。
かわいい~
重くなかったら危うくもっと買っちゃった…
って1枚Tarquiniaの窓を買いました。
また荷物増えちゃった。
でも本当にかわいかったんです。
あれ???絵葉書もらってきたはずなのに、どこいったんだろ?
情報が載せられない…
行けばわかりますけどね。
この後SovanaとSoranoにも行ったのですが、その話はまたの機会に。
帰り道
遠くにOrvietoの街が見えました。
街に入ってしまうとこの光景は見えず「ここからの眺めが最高だよ」とわざわざ車を一時停止してくれた友人に重ね重ね感謝です。
そして私はまた明日からしばらくフィレンツェからいなくなりま~す。
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