≪手を動かさねばっ!≫

日常で手を使うことや思ったこと。染織やお菓子作りがメインでしたが、病を得て休んでいます。最近は音楽ネタが多し。

カーブの運転

2018-09-12 16:25:49 | その他思ったこととか

山奥の家と一応関東平野の別宅を毎週往復している。山道のワインディングを下ったり上ったりしているんである。
どこに行くにも山道をぐねぐね運転しなければならない生活を20年以上続けているので、まあそれなりに慣れた。

その山道に、新緑の頃から紅葉が散るまではよそから遊びに来る車やバイクも走っている。流れを乱す運転で、有体にいえばイラッとくることもままあったりする。

1つは無理な追い越しをかけてくる車両。これは特にバイク。カーブの先が見通せないのに (追い越しのためのはみ出し禁止 の)黄色いセンターラインを越えて抜かしてくる。非常に危ない。
こちらがスピードを落としたとしても、もし対向車がいて衝突したらこちらももらってしまう可能性が高い。なんでああするかね!?
黄色いセンターラインを越えて追い越しにかかるのは絶対にやめましょう。


そして2つめ。今回 論じたいのはこちら。カーブの運転がなんちゅうかで、後続のわたしがどうしても追いついてしまう件。


どこで仕入れた方法か分からないが、カーブをやたらと回り込みたがるのだ。わざわざカーブに入るときに外側に行って、それから急にハンドルを切って黄色いセンターラインを越える。

そもそも元の道路のカーブがじゅうぶん急なんである。50km/h で走っていれば 40km/h くらいかもう少し下まで速度を落とさないと曲がれないカーブなんである。なるべくスピードを落とさず曲がろうと思えばハンドルを少しでも切らないようなルートを取るべきだ。
それを道路のカーブよりももっと曲がるコースを選ぶもんだから、やたらとスピードを落とさなければならなくなる。
レースのようにそこからの加速がぶっちぎりならまだしも、そこらの普通車で、アクセルをベタ踏みするわけでもなし、しかもだらだらと上る道だったりするもんだから、曲がった後の加速がいいわけない。

車間距離はちゃんと取りたいわたしでもどうしても追いついてしまう。煽るつもりはないんだけどねえ。


カーブが2次曲線ではないのは知っているのだが、そう仮定して試しに計算してみた。かなりゆるゆるですが、イメージが伝われば。
↓慣れぬエクセルで描いてみる。下から上へ進む右カーブのつもりです。
黄緑がセンターライン、青がわたしのとるライン(右まえタイヤ)、で、赤が件のライン(右まえタイヤ)。本当は赤のラインはもっと右に傾けて、カーブに入るまえはセンターラインをまたがせないように描きたかったのだが、わたしのスキルじゃムリです。
 
keisan 生活や実務に役立つ計算サイト 放物線の弓形 で計算してもらった。
   
センターラインを a=1, b=2 とすると、 L=2.95789
わたしのコースを a=0.5, b=2 とすると、 L=2.29558
件の車を a=2, b=1.8 とすると、 L=4.54494 。 そうとう長い。わたしの2倍弱。まあ目安なんですけどね。


そもそもとったコースの距離がわたしより長いんじゃスピードが同じでも時間がかかるだろう。それをわたしよりも遅いスピードで長い距離はしるのだから追いつくのは自明だ。
そんな運転ではタイヤやブレーキの減りもはげしいよ、きっと。


ああ知らないのね、と寛大な心で見守れればいいのだが、狭小ですみません。


とりあえずこれだけ。 黄色いセンターラインは越えない!!!
 *越えていいケースもあります。道路交通法に従いましょう。


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風神雷神図屏風の立版古(たてばんこ)

2018-03-19 08:29:04 | その他思ったこととか


これは 小学館の「週刊ニッポンの国宝100」の
付録のペーパークラフトを子どもが作ったもの。
器用な奴だ。




風神さま




雷神さま

どちらも腹で一番盛り上がっているのがへそなんです ...




週刊ニッポンの国宝100」は、固くなりそうなところを
そうなりすぎない内容がよい。
ものによっては表紙のデザインも凝らされて面白い。

これと ずっと取り続けている JAL ART カレンダー
日本古来の美術品を少しは知ることができたかな


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・・・そして当事者たちが求めた

2018-02-06 08:32:28 | その他思ったこととか


2月1日に積年の悩みをついにアップしてしまった のだけれど、
そこに至るまでに、まあそれなりにあれこれ読んでいたのではあった。
っていうか、単に救いが欲しかっただけかもしれないし、興味もあったし。

河合隼雄 とか オリバー・サックス とか


そんななか巡りあったのが いつも空が見えるから というサイトで、
人間の不思議を慈愛の目を忘れることなくわたしのまえに拓いてくれて、
ずいぶん救いになった。
とはいえ、相当読み応えのある量で、大して理解してないし、
本の紹介という体が多いけどその元ネタをほとんど読んでいないし、
えらそうなことはいえないが。


このサイトで特にわたしにとってインパクトがあったのがコレ ↙
   いつも空が見えるから 2018年1月7日
タイトルは、
「ADHD研究の混乱に埋もれてしまった、知られざる敏感な子どもたちの歴史」


そのなかの 「そして当事者たちが求めた」 という章に
はじめ、ADHDは、学校に適応できない問題児とその親たちを取り巻く概念でした。
とある。  そこなんだよ!
毎日 朝も早よから学校に行ってじっと座って
いわれたことだけをおとなしくやらなければならない学校に
 適応できない、
ということがどんなに自尊心を傷つけるか、卒業後何十年にも渡って重い枷になるか。
自分は本当は悪くない、っていう根拠を ADHD に求めてしまっても仕方ない。

もちろん ADHD であることが悪いわけでもない。
ヒトの遺伝的にプログラムされた適応する環境からずれたところに
無理矢理押し込めようとしていることが問題なのだ。
それなのに、子ども時代のほとんどをそこで
我慢させられるだけで過ごさなければならないなんて

約40年たって、やっとわたしはそこから抜け出すことが出来るかもしれない、
という気持ちを持った。


当事者だからこそ書けるそのサイトはとても説得力がある。
ヒトって何なんだろう? という興味のある人に
薦める。

発達障害というものは彼岸のもの、と己から切り離して
見えないふりをしている人たちにこそ教えてあげたい、とは思うものの、
そういう人たちってまず己のなかを見ないからなあ。


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チャンネルと スイッチと コツまたはアメ

2018-02-01 11:37:14 | その他思ったこととか


子育ても終盤、なんだが仕上げが困難だ。
他のもろもろの要素も加わって、現在わたしは2ヶ所に住んでいるような状態だ。

元々体力のある方でもなければ精神的にタフでもないし、
すぐにバランスを崩して復帰するのに時間がかかるのに、
こんな生活を続けられるというのが我がことながらびっくりだ。
やればできるんだなぁ。

もちろん夫の多大な協力と友人のあたたかい励ましがあるからだ、
というのは承知している。 ありがとう


ギリギリでやっていて気づいたことがある。
心の輪郭を作っている膜のチャンネルが開きやすい、ということ。
今までだったら、月夜の山奥を独り運転しているときとかに
やたらと音楽が心に入ってきて涙が出てくる、というようなことが
今では昼間にも起こる、というようなこと。
テンション高くて疲れます。


わたしはまだ本気を出していない、みたいな感じで
アラフィフのこの歳までノホホンと生きてきたが、
そうもいっておれないギリギリのところまで来て
怠けている蟻がいよいよ動き出す、スイッチが入る、たぶん。

思えばずいぶんお気楽に生きてきたもんだ。
器用貧乏、いいかえれば、どれもものにしないまま、だもんな。
自慢じゃないが、ものにしようという意志意欲がわたしに継続的にあれば、
二流どころのミュージシャンにでもお菓子研究家にでもwebデザイナーにでも
ニットデザイナーにでもガーデンンデザイナーにでもなれたと思う。
しかしそのいずれにもなってないその理由は、ええ、分かっていますとも。

意欲がない、というのはわたし的にいいかえれば
社会と繋がる欲がない、認められたいという欲がない、ということなのだ。
おばちゃんマインドを発揮してひとに親切にするのは好きだけれど、
対価をいただける仕事をする自信/ハッタリがない。

小学校高学年くらいから顕著になる、誰がボスなのか?という
権力争いが苦手で、それなら外れていよう、というスタンスを
長く続けていたもんで。 どうせ、って臆してるんですね。
夫と仲のよい友人にだけ認められればもう満足。

こういう態度を子どもに見せてりゃ仕上げが困難なのも分かるな。
子どもの振りみて我が振り直せ、ですよ。


小学校高学年くらいで己についてあれこれ考えるようになってからこのかた
首尾一貫して誰にもまして扱いづらいのは己だ。
本当に、いうことのきかない。
やらなければいけないことをまえにして一歩も譲らぬその根性、
一体どこから来るのやら。
怠けている、おまえが悪い、反省しろ。 謗りは受け入れます。
否定できない。 多方面にご迷惑をかけました。 ごめんなさい

よく似た我が子をまえにして、因果なものを与えてしまったなぁ、と
深い深い哀しみがどどどと湧いてくるのであるが、まずは自分!
こいつを扱うコツを探して40年費やしているんである。
 半端じゃないね
我が子よ、あんたはあんたで何とかしてくれ。

わたしにだってね、いいところはいっぱいあるんだよ。
それを台無しにするあれやこれや。
それでもよいところを汲み上げて見捨てなかった人たちがいるのは
幸いである。 ありがとう

でね、コツだよ。 飴と鞭、とかいいますがね、そういう感じ?
やっと分かってきたことには、
とりあえずこいつを上機嫌にさせなければいけない、ということ。

やらなきゃいけないことを先にやってからご褒美にやりたいことをやらせてあげる。
王道だ。  これが、できない。
子どもの頃に何度叱られたかわからない、でも全く身に付いてない。
この王道を守ろう、と思うほどのレベルではなくて、
この順にやった方が都合がいいよね、
くらいに思うだけでも動かなくなってしまうんだ。

そんな難儀な己を上機嫌にさせるには、仕方ない、飴が先なんですよ。
 仕方ないんですよ!
己を責めても反省しても、動かないものは動かない。
この開き直りを得るのに30年、そこからコツの端緒を掴むのに10年。
己を責めても自己肯定感が下がってこじれるばかりだ。

反省より 観察と対策、トライ&エラーの方がよっぽど建設的だ、って
謗る人たちのなかで言ってくれた人はいなかった。
そういう人たちには必要ないんでしょう。
時間がかかるわけです。

ちいさい工夫をひとつひとつ積み上げて、
普通なら出来て当たりまえ、っていわれることを出来るようにする。
出来るときは造作もないんだけど、出来ないときにどうするのか。

思ったほど大変じゃないよ、君なら出来るよ、やってみれば面白いんじゃない?

そんな苦労をしているのはわたしだけじゃないよ、って
言われるかもしれないが、最終的にやれないから困っている。
己の裏をどうかけばいいのか、難しい。


コツは、飴の質と量。
とはいえ、朝の仕事のまえの飴で我に返ったら夜だった、っていうのは
なにがなんでも避けねばならぬ。
でも、一瞬時を忘れるようでないと飴にならない、ということも分かってきた。
己を御するコツを会得するのにあとどれだけかかるんだろう?
会得できぬまま老いてしまうのか?

なんとか死ぬまえにいっぱしの大人になれないものか?


こんなことを人様の目に曝していいんだろうか.....?

なんてアップしちゃえば少しはキリキリ動きますかね?
そう簡単に人は変わらないことくらい知ってますって。
ジリジリ進んで、社会と繋がることのできる立派な染織家になります


コメント (4)
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カメラが替わった。

2016-05-18 14:55:40 | その他思ったこととか


子供たちが皆 家を出て行って、気持ちも一新少しは真面目にもの作りをするようになるか、と
思っていたが、全くそうではなかった。
鳥のヒナが巣立ちをしても親はまだ餌をやりにいかなければいけない、みたいな状況なんである。

いやあまいった。
心のメモリがずいぶん費やされて他のことを考えるのも大変なら 体力も削られて、へろへろである。

3人いるとだれかがダメでもだれかはまあまあの状況、というのをよしとするしかない。
つくづく、親業って心配するのが仕事、と思う。
醍醐味だ、と思うようにしている。  うへぇ


で、話をタイトルに戻そう。
4月のあたまの時点ですでにカメラのレンズにゴミが入っていた、というのは
このまえにアップした記事でお分かりだと思う。
 
ブロアーで吹いてみたりしたが、レンズ中央に入ってしまった白いごみはぴくともしない。
それで、カメラを買ったお店に持っていった。
お店の人はメーカーに電話して、修理代は1万2千円くらいかかる、と教えてくれた。
うーん としばらく考えたが、絞り優先の機能のあるコンデジをその値段で手に入れるのは難しいだろう、という
判断で、修理を頼むことにした。

のちに、部品がない、という連絡がきた。
それで、渡した XZ-1 の替わりに STYLUS 1s をお店で渡されたのだ。

XZ-1 の白はかなり気に入っていたので、かなり残念ではあった。
カメラを買い替える気もなかったので、青天の霹靂だった。
一回り大きくなったカメラは、ずしっとして、ボタンも多くて、なんだか本格的に見える。
起動させると、ボタンの反応が早い!
ズームも4倍から10.7倍になって、子供の運動会がなくなってからこのスペックを手に入れても、というかんじ。
1万2千円+α (消費税、取り次ぎ手数料) でなんだかずいぶん得してしまったかもしれない。

っていうところまで。
これからマニュアルを読みながらいろいろいじってみます。
(上の写真は夫のオリンパスの TGー2 で撮った。)


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